2007.05.26
【京都府】
三条大橋(Map)
橋の本体はコンクリート製ですが欄干は木製なので、やはり絵になる橋です。
東海道と中山道の終点だそうです。テレビの「街道てくてく旅」だったか、歩いて踏破する企画で聞きました。
川面の堰がはいると、グッと京都らしくなります(いい写真ではありませんが…)。
昨日の雨の影響でとても水量が多く、ちょっといつもとは表情が違います。
上流の賀茂川(上賀茂神社方面:西側)と高野川(大原方面:東側)からの流れが、下鴨神社・出町柳(でまちやなぎ)付近でYの字状に合流して鴨川になります。
ですから市街区域では水量が増えているのですが、流れを管理することで水深の浅い「サラサラ感」を演出しているのだと思われます。
そのおかげで心地よい憩いの場になっていて、京都の街には欠かせない水辺だと思います。
桂川は、どちらかというと郊外の避暑地的な印象があるので、やはり京都の街には鴨川です。
四条大橋(Map)
一番の繁華街であり、週末の夕刻などは立ち往生するほど混雑する一角です。
そんな橋の上を何度も歩いているので、橋の下からこんなにものんびりとした絵が撮れるとは驚きました。
橋の奧は歌舞伎劇場の南座で、その奧と道を挟んだ左手が祗園、背面側が先斗町になります。
舞妓修行中の若い娘には「まだ一人で、四条の橋を西側に渡ったらいけんよ」と、くぎを刺される掟が横たわる深い川であること、テレビで見ました。
裏返すと、橋の向こう(祗園)は違う世界だと言ってるようにも聞こえますが、未熟な者が目が届かない所へ迷い込むことを戒めていたのではないでしょうか。
逆にわれら未熟者たちは「橋の東側に一人で行ったらいけんよ」という場所なのかも知れません……
今でも、情のつながりの姉妹関係が保たれていて、花街ぐるみで若い舞妓・芸妓を育成しているそうです。そりゃ確かに、違う世界だよなぁー。
まだ明るいうちはこんな程度ですが、夕方になるとこの川岸にズラーッとカップルが並びます。
背面側にある納涼床(川面の上に縁台を設けて涼を楽しむ席)が騒がしかろうと、となりがすぐ近くにいようと関係なく自分たちの世界に浸っているのでしょう。
でも、それもありだと思います。思い出に残るしね……
エッ、ひがんでいるように聞こえる?
団栗(どんぐり)橋(Map)
これ、これが納涼床。
人工水路の禊川(みそそぎがわ)の上に、川岸の店から張り出された縁台で涼を楽しむ席です。
この水路は、丸太町付近の以前花見の時に紹介した発電所からの水路(琵琶湖からの水路)との合流地点付近から始まっていて、五条大橋で鴨川に戻ります。
元々、洪水対策で整備されたとのことですが、今では観光のために整備を欠かせない存在になっていますよね。
これを始めたのは料亭やお茶屋だったそうですが、今ではエスニックからバーや喫茶店まで様々なお店があります。
鴨川遊びと言ったらこれだよなあー。是非一度、とは思っているのですが……
誰か行きませんかー、希望者を募集しています! でも、決して涼しくはないそうです……
松原橋(Map)
ここから西側の松原通で見かける「五条」の名や「牛若と弁慶」ゆかりの寺などを目にすると、ここが当時の五条大橋付近との説明が納得できてきます。
現在の五条大橋は、秀吉が町の区画を整備し直したことによるそうなので、「京の五条の橋の上〜♪」の年代の方が昔ですから、この辺りだったのかも知れません。
現在の地図を見ても、バランス的にその説明の方が正しいのではないか、と思われます。
そんなおかげで取り残されたと言うか、メジャーな大通りにならず橋は一方通行の1車線で、両岸から先の通りも昔の道幅しかない下町風な面影があります。川の東側は以前紹介した祗園の宮川筋ですし、落ち着いた雰囲気で人も少ない場所なのでオススメかも知れません。
五条大橋(Map)
現在五条通と呼ばれている道(秀吉が付け替えた)は国道1号なので(京都の看板?)、道路も、装飾もかなり力がはいっています。
欄干は石造りで、タマネギの金属部分には昔の年号で「正保」の文字が見られるので、まだ京都が都だった時代に作られた物と思われます。
タマネギのことを擬宝珠(ぎぼし)と言うそうで、由来としてもタマネギの形からきたとも言われているそうです。勉強ついでに、先ほどの三条大橋の擬宝珠が日本に現存する最古のものだそうです。
橋のたもとには「扇塚」があります。ここには平家ゆかりの寺があったそうで、源平合戦の一ノ谷の戦いで亡くなった平敦盛(あつもり)の妻がここで扇を作ったそうです。
やっぱり昔の五条大橋はここではない、との思いを強くするのですが、ではこの二人「牛若丸と弁慶」はどうしたらいいのか?
現存する「五条」の橋のたもとで、排気ガスにまみれるしかない、というオチしか見つからずスミマセン……
鴨川と平行して物流用水路として作られた高瀬川は(鴨川には昔から堰が作られていたためではないか)、二条大橋付近から始まっており、木屋町通りなど歓楽街の中を流れています。
今回は鴨川を歩いてきましたが、高瀬川沿いに歩いても散策路として結構楽しめると思います。そのうち歩いてみたいし、まだ続いているので次回以降に登場するものと思います。お楽しみに。(写真は五条大橋付近)
高辻通(Map)
仏光寺通(Map)
写真にはありませんが、万寿寺通や松原通などには職人さんのお店が昔の風情で並んでいたり、万寿寺通の東側など車が1台通れるだけの狭い通りだったりと、昔の風情が残されています。
ここで思ったのは、昔の中心街である二条・三条・四条を挟んで、南北に離れるにつれ昔の暮らしが残されているように見える、ということです。
でも、五条の南へ行けばJR京都駅が近くなってくるしなぁ、と思いながらも、まだ風情の残る町並みがあるかも知れないと、気を取り直しています。
仏光寺通(四条通の南側に平行に伸びている)辺りまで来ると、四条通まで綾小路を挟んで200m程度なので、観光客も目についてきます。
写真の人は違いますが、観光に自転車を使っている人をよく目にしますが、それ正解だと思います。市街地を回るなら平坦だし、路地をスイスイと小回りが効くし時間が節約できると思います。
でも、事前に調べておかないと、東山なんかで「ここは自転車は無理だろう」ってな人も見かけますから、お気をつけて。
P.S. 近江屋跡(Map)
2週前(京都ストリートでお腹一杯になり)行き忘れた龍馬、慎太郎最期の地です。
河原町通に面した繁華街(旅行代理店前)にあります。
ここは、隠れ家としていた酢屋(海援隊屯所)や脱藩したとはいえ土佐藩邸から、2〜300m程度の場所にあり、昔の人の行動範囲は狭かったのだろうかと思ってしまいます。いざとなったら、高瀬川から船で逃げることも考えていたのだろうか?
わたしが隠れる気ならば、鴨川を渡ったのではないかと思いますが、橋は警備の目が厳しかったのかも知れません。それに彼らも、祗園で遊べるほど裕福とは思えませんしね…… だったとしたら、共感度急上昇です!
いくら知り合いの家とは言え、こんな町中にいたのだからかなり油断していたように見受けられますが、それが彼らしさだったのかも知れません。
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