2007/03/30

冬の時代に花を咲かせた──京都御所

2007.03.25
 京都御所(Map)—京都府


 さぁ、さぁ、南国の夢から覚めねば。
 こちら本土も、もう「春」です。
 日常に戻って、京都めぐり再開です。

 明治の頃、すさんでしまった武家屋敷跡の区画を整備したそうです。
 ある面、京都の都としての歴史はここに向かって歩んできたと言えるわけで、善し悪しは別にしても象徴になっているのだと思います。とても落ち着ける憩いの空間だと思いますが、お金もかかっているのでしょうに。
 都の立場を失ってからも町の営みは続いており、一度は落ちぶれたもののそこからはい上がってきた経験を、次の時代にどう引き継いでいくのかが課題なのだと思います。

 平家、源氏、足利、秀吉、徳川それぞれに功罪があったとしても「財産」(文化)を残してくれましたし、それについてはきちんと評価されていると思います。でもそれらは、過去の遺産です。
 忘れてはいけないのが、現代の京都も歴史の一部になるということです。
 わたしたちは、将軍でも偉人でもない一庶民ですが、後世に残したいと思うモノがあれば、それを守るべきなのだと思います。
 きっといつの時代の庶民もそうだったのではないかと思うのですが……

 07年の一番桜を見て思ったこと。

 明治期に日本の仏教寺院は牙を抜かれたということもありますが、現在の宗派の乱立状態においてもこの平穏を保てていることに感謝し、治安の心配もせずに桜を眺めていられることに、ただ感謝です……
 春めいてきて、ちょうど桜の開花期に出会えて酔ったのかも知れません。
 それがまた「春」ですよね……

2007/03/10

散歩道にしよっ!──真如堂

2007.03.10
 真如堂(Map)—京都府


 立派な寺院なのに地味な印象なのか、人が少なくとても落ち着ける空間です。期待通りの空気に、散歩コースにできそうな「隠し球」を見つけたうれしい気持ちで、お寺を後にしました。また来ます。


 すぐ隣の迎称寺門前。

 また、色味のない写真になってしまったので、ここでひとつ。


 帰路の京阪電鉄出町柳駅(でまちやなぎ)の券売機で、関西私鉄共通のプリペイドカードが「印字が一杯です。新しいカードを発行します」と出てきたのがこの「おけいはん」(京阪のマスコットガールの名称)カード(この絵はあまり可愛くないけど、下がり気味の目と、口を開いた表情がアホっぽくて可愛いの!)です。
 何だか「当たり!」が出たようなうれしさがあって、こんな恥ずかしい写真を撮ってしまいました。
 デジカメは、こんなバカな写真を撮れる(お金がかからない)気楽さがうれしい、と納得した本日です。
 なんて、説明しようと調べたら「神農 幸(じんのさち)」という娘で京都出身で云々と、現実に引き戻される内容を見るハメに。
 調べなきゃ良かった……

「八つ橋」→「門跡寺院」→「役行者」
 ──聖護院門跡

2007.03.10
 聖護院門跡(Map)—京都府

 京都を歩くようになって「聖護院(しょうごいん)」の字面を目にするたびに、懐かしさを覚え「行かなきゃな」と思っていました。
 今ではもう口にしたいとも思いませんが(甘味はゴメンナサイ)、小・中学生時代に出会った「生八つ橋」のニッキ(?)の効いた甘味菓子が驚きで、その包装紙の文字「聖護院」が今でもとても印象的に残っています。
 中学の修学旅行では「生ものですからお土産に買わないように」の指導で、買えなかったような気も…… ちょっと定かではないのですがどちらにせよ、そのころ新興の「おたべ」(生八つ橋の商品名)は偽物だ! なんて思っていたことが思い出されます。
 今では考えられない、遠い日の「甘い」思い出です。
 そんな聖護院が「門跡寺院」(皇族関係者の住まいにだったりした特別な待遇を受けられるお寺)であるとは知りませんでした。昔この付近には、広大な森が広がっていたそうです。
 「ならば、庭もさぞかし!」と思いきや、文化財的には重要視されていながらも非公開とのことで、肩すかしでした(そんなこと調べてから行けよ!)。
 また「役行者(えんのぎょうじゃ)」(山伏の先駆者)縁の修験道総本山であるなどとは、まったくもって知りませんでした。
 ですがここで、乏しい知見ながらも、奈良県吉野山の金峰山(修験道の山岳修行の門のようなお寺で、そこで役行者の名を知った)とのつながりを知ったということに「知的空間の広がり」を自覚し、それだけで心が豊かになったような気がして(単純!)とてもうれしい気分でおりました。
 そんなレベルの感想では「無知なヤツが」と片付けられてしまいそうです。
 でも何と言われようが「着実に自分の世界は広がっている」のだ。そのために、未踏の場所を歩いて回るのだ。
 そう思いたい自分がいるのも確かです。

京都再興祈願事業──平安神宮

2007.03.10
 平安神宮(Map)—京都府


 明治時代に「遷都1100年記念」として造営されます。
 皇居が東京に移ってしまいさびれてしまった「古都再生事業」の一環だそうです。
 周辺の広い範囲に、京都会館、美術館、動物園、野球場などがあり、自治体主導の大事業だったことがうかがえます。
 そうそう、この一角の東側には琵琶湖流水を引き込んだ発電所があり、西側にも発電所と水道局があります。また、この北側には点々とですが併せればかなり広い土地を占有する京都大学があります。それらをひっくるめて考えてみれば、明治維新のおかげで京都自身の革新が始まったと言え、平安神宮と京大はそのシンボル的存在だったようです。
 そんな心意気を、庭園を鑑賞するための「泰平閣(屋根と椅子つきの橋)」の設計精神に感じ、心配りが行き届いていると感心させられました。
 ガイジン客も多いし、結婚式も行われており、造営の目的は達成されたのではないでしょうか。

 近ごろ掲載する写真は、どうも色合いが無さ過ぎると反省しながらファインダーをのぞいた本日です。
 こういう建造物を見た印象として「竜宮城みたい!」と感じてしまう習性は何とかならないものなのか?
 と思ったもんですが、もう完全に「ひとつの夢」としてすり込まれている訳で、臨終の際まで夢見続けていくのでしょう。
 では、竜宮城という概念がなかったら「○○みたい!」と、何を想起するのでしょう?
 それもきっと、想像上の存在のような気がします。


 この木、不思議だと思いませんか?
 庭園の中にあるので近づけず、観察はできないのですが、どう見ても一本の木が枝分かれしてからまた一本になってるように見えました(近くに、なりそうでなってない木もありました)。
 そんなわけねぇだろう! でも、そんな「だまし庭師」がいたのかも(これも生け花?)と思っているのですが……


























 暖冬とはいえ春は待ち遠しいものです。
 それも、もう間近のようです。

2007/03/04

ワンランク上の「男」を目指して──花街(宮川筋)

2007.03.03
 花街(宮川筋)(Map)—京都府

 何の予備知識もなく「街のにおい」に誘われて、ふらりと舞い込んで行きました。「これが!」と最初はドキドキしましたが、この一角だけが整った秩序(健全な観光地です!)をアピールしているようで、妙な印象を持ちました。
 「お上の仰せ通りに商売しております」とのお上に対する姿勢と、事業内容を表に出したくない、という二つの「裏(ダークサイド)」を持ち合わせた「着飾った暗黒街」なのではないかと思えてくると、ちょっとビビッてきました。
 着物の姉さん(女将さんレベル)を「カッコイイ!」と思っていたのが、「プロって怖いんだろうなあ」と一気に見方が変わってしまったりして。
 一説によれば「いまの御茶屋は、コンパニオン派遣の元締め」との見解もありますが、果たして? 万が一にも「ハマッて」しまったらお金は覚悟の上でも、身も心もボロボロにされてしまいそうな……
 「その覚悟がなきゃな、祗園じゃ遊べねえつーの」という、ワンランク上の「男」を目指す気概が必要なのかも知れません。
 わたしには、そんな甲斐性は一生持てそうもないので、前言は撤回します……

 そのすぐ裏に「えびす様」があります。
 理由は定かではありませんが、正面でお参りした後に社殿の脇に回り、口しか見えない賽銭箱(写真下)に賽銭を入れ、その上の板をたたいてお参りするのだそうです。何の「裏取引(袖の下)」なんだろう?(大変失礼!)とかんぐりたくなりますが、御利益ありそうだと思いませんか?

あんたが大将!──清水寺

2007.03.03
 清水寺(Map)—京都府

 人が多くて大変そうだとは思っていました。でも、修学旅行以来の再訪をしたい場所でもありました。行くならシーズン前と、予定を変更して行ってみたら「年中シーズン」みたいなところでした(そりゃ、雪が降ったらそれで歓声が上がるようなところですから)。
 「舞妓さんに変身!」が流行のようで何組も目にしました。遠目には華やかなのですが、表情や動作に品が無いもんですからハロウィンの仮装行列のようなものです。
 やはり「清水の舞台」なのでしょうね、あの高さと広さと人の多さ。
 「100人乗っても壊れない!」の実験に参加したいわけでもあるいまいに……



 清水の飲み場に並ぶ気持ちは理解できるというのも、修学旅行のときは3つとも飲んだ気がしてきたからでしょうか。
 参道の坂道で見知らぬおばちゃんの「江ノ島みたいね」との声が聞こえ「まさしく!」と答えそうになった、大混雑の清水坂でした。
 あなたが京都の人気No.1です。恐れ入りました。

また、桂浜へ──龍馬の墓

2007.03.03
 龍馬の墓(Map)—京都府

 護国神社という神道派が明治維新の礎となって亡くなった人たちを奉っている場所で、意図は理解できますが真偽については? という印象があります(中岡慎太郎の墓が並んでいます)。
 ですが、当時のことを展示する併設の「霊山歴史館」では、新撰組の展示もあるようなので(内容は未見)スタンスとしては偏ってない、現代風になっているようです。
 その墓のある山中から最期の地となった近江屋辺りを眺めることができ「龍馬はあのあたりで死んだのか……」との、思いをはせるには絶好の地であると、現在のビル群をぼんやりと眺めていました。
 そしてまた、若い女性にも人気があることに少し驚かされました。生前の龍馬って、女性にちやほやされたのでしょうか?
 お墓を見ちゃうと、もう終わりのような気がしてしまいますが、さて、ぼちぼちまた桂浜に行きたい気持ちが芽生えてきたぜっ!

 京都はまだ半分しか回っていませんが、これで聖徳太子(広隆寺)から幕末まで一応のタイムトリップはできました。やはり、最も長い間日本の中心地であった「都」ですから、感ずるものは東京や鎌倉の比ではないとの印象があります。
 まだまだ、歩き回ってみたい気持ちに衰えはありません。

食わず嫌いは損──八坂の塔(法観寺)

2007.03.03
 八坂の塔(法観寺)(Map)—京都府

 どうもこの一角の「オシャレなイメージ」は、テレビCMなどの作り物的な印象があって「通ったついでに見てやろうか」的な先入観がありました。
 行ってみると、そんなイメージが当たり前に存在している一角であり、周辺で生活していればあの「オシャレなイメージ」を、裏切られることなく実現出来るのではないかと思えました。
 やはり「八坂の塔」あっての町並みとの認識があり、そのためには何をすべきかという住民の意識が「町への愛着」として現れているのではないでしょうか。「なるほど、なるほど」と納得させられる雰囲気を町全体から感じさせてくれ、観光地としての売りがすんなり伝わってきてとても好きな界隈です。


 これは料亭の玄関で、柳の枝に飾られたお餅は本物です(よく見えないかも知れませんが)。
 これを作りお客さんを待ち受ける人の姿。お客さんを待つこの絵の姿。それをくぐり店に入っていくお客さんの姿。
 どれをとっても、暖かみを感じさせてくれる気がしてきます。

繁華街の中の禅寺──建仁寺

2007.03.03
 建仁寺(Map)—京都府


 祗園の街中に、それもWINS(場外馬券売り場)のすぐ隣にこんなにも静かで落ち着いた空間があることに驚きました。そんな立地情報を知らないわたしは、交通整理の警備員が出ているのを見て「うわっ、何かの祭りにあたっちゃったか?」と思ったのですが、そこでは毎週末「祭り」が行われているのでした。
 ここは「風神雷神」の金屏風があるお寺さんで、入って最初の部屋にその屏風絵が飾られています。ですが、そんな状況に慣れてしまい落ち着き払った態度で「模写だよねぇー」の反応。そんなものかも知れませんが、その態度に自分でも「シラケてるなぁ」と、ちょっと反省です。
 法堂の天井に描かれた「双龍図」は迫力ありましたが、2002年の作と聞いてありがたみのレベルが下がるという「古いモノほどイイ」という感覚にも、いけない認識であると戒めを…… ちょっと、すれてきたのかなぁ? いや、目が肥えてきたと思うことにします。(フォローではないですが、この「双龍図」は一見の価値があると思います)
 意図的に襖を外しているのかも知れませんが、屋内の空間の広さがとても印象的でした。その印象の良さをわたし的に言うと「人が少なかったから」だと思います。
 四条付近の散策に疲れたら「ホッと」一息つける場所なので、是非一度。
 禅道場もあるようです。