2007/10/27

謡曲って何?──鞍馬寺

2007.10.27
【京都府】

 鞍馬寺(Map)


 第2ラウンドも鞍馬寺からのスタートにしました(前回はカメラ持ってこなかったので、ここの写真は初めてです)。昨年「京都への最初のあいさつはどこへ行こうか」と考えて、数年前に見た大河ドラマ「義経」の鞍馬へ行こうと決めたことが思い出されます。
 山門をくぐった中に乗車時間2〜3分程度のケーブルカーがあります。昨年は京都おのぼりさんでしたから、キョロキョロしているだけで、何の疑問も感じることなく「鞍馬寺だぁー」と、本当に修学旅行生のようでした……
 よく見れば寺内にケーブルカーがあるわけですから、少しは不思議に思えって言うの。お寺が鉄道事業者(日本唯一)なんだそうです。
 ケーブルカーの車内ガイドで「鞍馬山の信仰は『尊天』を信じ(中略)、万物を存在させてくれる宇宙の生命にあるのです」の説明に「おお、宗派を越えた自然信仰の教えを伝えるなんぞ、この険しい山に抱かれる地にふさわしい教義だ」などと信じて疑わずこの1年間「最初に行ったのが鞍馬で良かったよなぁ」と思い続けておりました……


 明治時代の「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく:仏教を弾圧し神道を国教としようとする政策)の影響で荒廃を続けていたものを、戦後新らたに「鞍馬弘教」を開宗して現代に至っているそうです(それが「尊天」さんです)。ちゃんと聞いてみると、何やら怪しい雰囲気を感じてきます……
 寺の「鞍馬弘教」に関する説明によると、
「宇宙の大霊、大光明、大活動体である三身一体(さんじんいったい)の尊天(そんてん)を教義の上に確立し、千二百年にわたる鞍馬寺の歴史を踏まえて昭和22年10月に立教開宗された。新しい時代の青少年のニーズに応える宗教をめざしてのことである。望みがあれば尊天信仰について教化布教し、鞍馬山へお導きするが、積極的な教線拡張は行なわない」
のだそうです。
 本殿前の地面に何やら意味ありげな石が敷き詰めてありますが、これを金剛床と言って「人が宇宙全体と一体化するとの教えを説いている」場なのだそうです(上写真)。
 どんどん雰囲気が怪しくなっていくので調べてみると、
「伝統仏教教団(われわれが認識しているふつうの仏教の宗派)にはない独自のオカルティズムへの接近をはかり、民族宗教を取り込みながら神秘宗教を追求している」
との評価があり、そして行き着いたのがレイキ(霊気)です。また、別の説明によれば
「レイキとは、簡単にいえば、宇宙エネルギーを使った、ハンドヒーリングである」
とのことです。
 一瞬どうしようかと思いましたが、空海さんの真言密教も宇宙との一体感を説いていたりしますから、あながち荒唐無稽と言い切れないところがこのお寺の魅力なのかも知れません。
 で、この石はと言えば(下写真)きっと自然や宇宙と気の交歓を行う場だったりするのだと思われます。
 まあ、そんな背景を抜きにしてこの場に立ってみれば、山々の活力や息吹や霊気を自分の中に取り込むにはもってこいの場所には違いないので、ひとそれぞれに自然と対峙すればいいのではないか?
 と、深呼吸などしながら、それもきっと「尊天さん」の一部であろうと勝手に思いこんで、この場を楽しんでおりました。
 ──お前、いい加減すぎだよ! の声も聞こえそうですが……(宗教に寛容だと言ってほしいよね!)


 寺の起源には、鑑真和上(奈良唐招提寺の創建者)の高弟鑑禎(がんてい)(770年)によるという説と、東寺の建設に携わった藤原伊勢人(796年)によるとの説がありますが、いずれにも白馬伝説が登場するようです。
 その状況を思い浮かべるに、白馬の姿は人の心をとらえるには格好の存在であるのだろうと思われるのですが、あの険しい山中に白馬がいたとしても全身をハッキリと見て取れたのだろうか? と思ってしまいます。
 いにしえの時代には「真白きもの」に神聖さを感じていたであろうと考えれば(当時は白いモノはとても高貴な存在ではなかったのか?)、羽衣伝説や白馬伝説が人の関心を集めるために用いられていたこと理解できるのではないでしょうか。
 そう考えると、義経伝説の白馬も(彼は後世の人物ですから)そこからいただいた作り話ではないか(夢を壊したらゴメンナサイ)、との疑念も生まれてきます。
 とは言えこの山の険しさは「遮那王(しゃなおう)=牛若丸」の修業時代を想起させ、とてもナチュラルな空気(霊気?)を感じさせてくれます。
 本当、天狗もいただろうと思われる山です。カッパの次は天狗ですもの、楽しそうでしょう?
 下写真は「阿吽(あうん)の虎」です。何故虎かと言うと、本尊の毘沙門天のしもべなのだそうです。

 (加筆しました)→ 不安になって、普通の「狛犬」とは? 調べてみました。犬に似た想像上の生き物で、狛犬や獅子と呼ばれるが、獅子=ライオンではなく「獅子」という神獣なんだそうです。なので、ここの虎はやっぱり変わっていることになります。


 で、ようやく義経伝説ですが「平治物語」「平家物語」(共に鎌倉時代前期とのこと)から登場して、平穏な時代には必ずといって新作が登場してきたようです。
 そのなかでも定番としてわたしたちの記憶にあるのが、天狗に従って武芸修行をするくだりになりますが、それは謡曲「鞍馬天狗」という題目の内容になるのだそうです。
 で、謡曲って何? 能の謡うたいだそうです。能の「鞍馬天狗」なる演目で唱われた歌詞の内容のようです。
──西谷東谷の僧の合同の花見の宴に闖入する山伏。皆嫌って去る中に一人残る少年牛若。素性を知って憐れんだ山伏は共に花見をし、やがて鞍馬山の大天狗と名乗り姿を消す。深夜に僧正が谷に赴いた牛若は、本体を現した天狗から兵法を習う。天狗は宿敵平家を討ち滅ぼす牛若の未来を見せて姿を消す。
 きっとこればかりではなく、同様の大衆娯楽で何度も取り上げられたことで(歌舞伎「勧進帳」の弁慶なども)、義経と天狗伝説は広まったということでしょう。
 また、昭和の「鞍馬天狗」は、この謡曲を好んで口ずさむ神出鬼没の天狗が、勤皇の志士たちの危機を救うという、大佛(おさらぎ)次郎による小説で、山城新伍の主演映画はこれを原作に作られたとのことです(観たことあったかなぁ?)。


 何だかエピソード満載の地なのであれこれ書きましたが、娯楽の少ない時代において「義経と天狗」という題材は格好のネタだったのだと思われます。わたしも、数年前の「義経」の天狗役で出演していた美輪明宏の金髪の天狗姿、いまだに強く印象に残っています。
 ぼちぼち京都も山の方から紅葉が始まってきたようです。
 さて、これからの時期はどうしたものかと(もの凄い人出なんですもの)考え始めております。


 由岐(ゆき)神社(Map)


 京都三大奇祭と言われる「鞍馬の火祭り」が、10月22日に行われたばかりです。
 人混みが苦手なわたしはテレビの映像を見ていましたが、火祭りと言えば「那智の火祭り」(那智大社、速玉大社)の駆け回ったりする勇壮なものを想起しますが、さすが京都は整然と厳かに行われているようでした。たいまつを抱える若者が火の粉を熱がる様子など、見て取れましたし……
 由岐神社は鞍馬寺の境内に建てられています。これは、同社が鞍馬寺の鎮守社として祀られているからだそうです。
 元々は御所に祀られていたものを、940年に京都の北方の守護としてこの地に移されたそうです。その時の様子が「鞍馬の火祭り」(たいまつで道を照らした)として受け継がれ続いているそうです。


 奧がご神木で、根本に祠が建てられています(上2枚は同じ木です)。
 前回、この木と神社のロケーションを撮りたかったと思い、次回からカメラを持ち始めたこと思い出されました。
 雨にもかかわらず、空に向かってレンズを向けてみたものの……(下写真の真ん中の木が上の木です)
 撮り出すと夢中になってしまい、気がつけばレンズカバーまでも濡れてしまい拭いても曇った状態になってしまい…… 本日は終了です。

 この地においては、鞍馬寺よりも由岐神社の方が由緒というかまっとうな存在のようです(マジで、怒られるってば……)。
 イエイエ、鞍馬寺は「精神のワンダーランド」的(ビミョウな意味で)で好きなんですってば! 

 足早に降りて門前でそばを食べていたら日が差してきたりと、天気の変化が激しい本日でした。
 ちょうど関東に台風が接近した土曜日で、こちらは上がるだろうと踏んでいたのが外れました。
 台風一過はこちらも日曜日でした。残念……

2007/10/24

京都ひとまわりして

2007.10.20
【京都府】

 見づらいですが上写真は、Google Earthの京都付近の衛星写真に足跡を記したものです。

 これでわたしの中では一応「京都をひと回り」ということになります。
 もちろん全部回ったとは申しませんし、見残している場所もあります(桂離宮、修学院離宮は抽選に外れました。苔寺も事前申し込みです)。
 これからはそんな場所をボチボチ埋めながら、お気に入りの場所や、新たなテーマに関する場所を歩きたいと思っています。

 ひと回りした京都についての印象として強く残っているのは「誇り」ですね。
 「ようこそ、おこしやす」と迎えられるわれわれが求めているのは「日本文化」であったりするわけで、それはもう他には残っていないのか? と思ったりしますが、やはり他の地で感じるそれは(わたしは次に日本文化を感じる町として金沢を挙げますが、あの町も京都の影響を受けていると思えます)京都に倣っていると思えます。
 それは瀬戸内など地方(失礼!)を回るほどに京都への関心の高さを感じますし、そんな地方からのあこがれや思いを求心力として成り立っていた(どの地域も京都を見ていた)国家だったのだと実感しています。
 ──今の東京集中とは意味が違うと思いますし、東国の鎌倉にも見るべきモノはありますが、長い目で見ると少々無理があるという気がしてきます。
 「どっちの○○ショー」などで、東京 vs. 京都とかやっても、東京に勝ち目は無いと思われます。それだけ独自に「文化」を守っている「日本の都」なんだと思います。
 ──ちなみに、独自の文化対戦として、沖縄 vs. 京都となると悩んでしまいます……(どちらも都でしたし)
 何だか「日本文化」を求めているとか言いながら「独自の文化」とは何ぞや? と思われましょうが、明治維新以来激変した社会環境を経てこれまで守ってこられたのも京都市民の孤軍奮闘のおかげと思うからです──われわれ洛外の田舎ものは、京都の日本文化(決して高貴なものばかりでなく)を見せていただくという構造を考えれば、納得せざるを得ない気がします。「ちょっと待った!」われわれが「日本文化」と思いこんでいるものは、実は京都だけに花開いた「京都文化」なのではあるまいか? 田舎モンはそれに便乗しようとしているだけ、だなんてひがみすぎか……
 そんな京都の自信は信仰にあるのかも知れない、という気もします。でも京都の人々は、それは信仰ではなく生活習慣と言うのかも知れません(きっと沖縄の人々もそう言うのではないでしょうか)。
 それは信仰心に乏しいと自覚している多くの日本人の弱点なのかも知れませし、それに気付いているからこそ京都や沖縄に憧れているのかも知れません(わたしもそのひとりだと思います)。
 信心の話しもそうですが「伝統」というものは人間活動の積み重ねですから、生活文化をいかに当たり前の生活習慣として苦のない日常に取り込んで、普段の生活として続けられるかにかかっているのではないかと思います。伝統が素晴らしいのではなく、日々を当たり前に暮らしてきた人々こそが讃えられるべきではないか、と思います。
 古いものを土台に新しいものを作ろうとしなかったこと(破壊してしまった後悔)を、今になって「回帰的行動」に走ろうとする団塊のおっさんたちは(田舎に泊まってその地の文化と対座して何を思うのだろうか?)、自身で反省しているのでしょうか?
 「社会」「集団」「時代」という言い訳を、定年後にも言い張るのでしょうか?
 そんな不信感を胸に「あのオヤジ!」と言われないような人間にボクはなりたい……

 壊しちゃったり、作っちゃったりしたものは仕方ありませんが、現在の町作りへの取り組みにはそれぞれの「京都への思い」が感じられるので、これからもっと素敵な町になるのではないかと思われます。

 これからの二周目は新たなテーマと言うか、京都とは切り離せない禅宗をひとつの切り口できれば、と思っています。

2007/10/20

都の外にまた都
 ──竹の径、長岡京跡、長岡天満宮

2007.10.20
【京都府】

 竹の径(Map)

 お米の美味しい季節になってきました。松屋で牛丼食べても「あぁ、このお米プリプリしておいしい!」と顔がほころんでしまいます。
 いまどきの日本の農家は、どこでも美味しいお米を作っていると思うんです(でないと売れませんから)。それでも輸入米の味の向上と価格の安さに叩かれてしまうのでしょうか、農家からはかつての「明るい農村」(NHKの番組)の雰囲気は失われてしまっているように思えます。今宵NHKでは「どうする?私たちの主食」(日本人なら米を食え?)という番組をやっています(未見)。
 どうしたものかと考えたとき「消費者が輸入米を食べなければいいんだ」などと思いました。輸入米は安いし確かに味も良くなっている、でもわたしは少々高くとも「日本米の方が好きだ」という行動をみんなが起こせれば、それは消費者の勝手な「嗜好」(国粋主義?)ですから、外国から文句言われる筋合いはないと思うのですが……
 わたしは、牛丼500円までだったら参加します! でもきっと、関西では無理だと思われるので、東京の方から波を立ててもらえないかと思うのですが、いかがでしょうか?

 上写真は亀甲竹(きっこうちく)。竹の資料館にて。



 本日のスタートは、阪急京都線(久しぶり!)洛西口駅(桂のひとつ手前)からになります。そんな駅名からも都の西のはずれという雰囲気が伝わると思いますが、まだ開発の触手が伸びていないと言うか、ギリギリかなぁ? 背後の山側には大きなニュータウンが造成されています。その狭間の丘陵地帯に残されている竹林(最近知りました)を歩きました。
 この一帯の竹林は農家が経営している竹の子畑(?)でキッチリと手入れされ、こちらで言うと「北山杉」の山林のように間伐され木の間隔がきちんと整えられ、上の写真のようにわらを敷いて肥料(保温のため?)にしています。
 竹の子の生産地を見たのは初めてなので、どこもそうなのかも知れませんし、ここはきっとブランドモノ的な評価を得ているからかも知れませんが、少なくともこの付近では意欲を持って竹の子を育てている、との印象を受けました。
 大量生産して売りさばくというような農業ではなく(それで成り立つところはいいが)、量や品目を限定してでもペイできて生活可能な生産活動にシフトしてもいいのではないか?(確かにリスクはあると思う)と思ったりするのは、素人考えなのだろうか。
 味はそこそこで値段が安いモノには多くの人が飛びつくが、手間暇掛けて少々高くともそこでしか作れないモノであれば、食っていけるくらいの売り上げにはなると思うのですが……
 それじゃダメなんだよ! の声も聞こえそうですし、わたしも素人なのでこの辺にしておきます。


 鳥かごの中でエサをねだっているヒナの口ようでこの写真好きなのですが、この竹は「竹の径・かぐやの夕べ」という夜間のライトアップ(竹の中に水を張り、球形のロウソクを浮かべて火を灯す)イベントの準備で配されたものです。──ニュース写真を見たら、かぐや姫が降臨したそうな。
 ちょうど今晩開催ということで、普段は閑散としているだろう竹の径も準備の人たちでワサワサしていました。
 でも、普段は静かで(静かすぎるかも知れない)観光地の嵯峨野の竹林よりも落ち着けるような気がして、好印象を受けました。
 嵯峨野では、竹の子よりも工芸用としての需要が高かったのではないか、と思われます。あそこなら、作れば売れそうですしね。
 朝からいい天気だったのに、この時だけ大きな雲に日差しを遮られてしまいました。林の中を撮るには晴れていてもらわないと……
 また来なきゃ!



 長岡京跡(Map)

 こちらに来て最初にJRの長岡京駅を通過した時「そうだ、平安京の前に長岡京ってのがあったんだよな」と、遠い記憶がよみがえったことを今でも思い出します。行かなきゃと思っていたのですが、近い事もあって後回しになていました。
 784年から794年(794ウグイス平安京)までのたった10年間の都だったそうです。
 どちらも桓武天皇の造営によるので、遷都という大事業にもかかわらず「ここはやめて、あっちに移るでおじゃる」とか言われてまた作り直しだなんて、随分お上も横暴だったようです(オレだったら付き合ってらんないなぁー、と思う)。
 それゆえ、仮の都という見方が強かった長岡京のようですが、発掘調査をしてみると本格的な都市の遺構が見つかっているようです。
 調査開始が遅かったのか(宅地化が早かったのか)、周囲はすっかり住宅街になっていますが、再開発を機にあちこちで遺構が保存されているようです。とは言え、周辺を見回しても往時の面影を感じさせてくれるものがないのは、仕方ないところでしょうか。
 これで、「藤原京」「平城京」「長岡京」「平安京(京都)」と、主だった都は回ったと思っていたのですが、ここの案内板には「恭仁京」(くにきょう)「難波京」(なにわきょう)の表示が……
 アレッ? とガッカリさせられましたが、それは勉強不足によるものですから「そこへも行かねば」と気を取り直して……

 何やら門柱の再現物なのか、柱が立っていました。



 長岡天満宮(Map)


 境内前に広がる八条ヶ池は(横長ですが結構広いので)近所の人たちの憩いの場になっています。
 時間的なものもあったのか、どうも犬の散歩が多く「お犬様が通る」(と言うかおばちゃんが通るですね)という雰囲気で、避けようとしない犬(おばちゃん?)が多く、どうも隅の方を歩かされていました。
 境内の入り口の「犬を連れての参拝禁止!」の張り紙に「その通り!」ここの犬たち態度デカイんだもん。金持ちの家が多いのかしら?
 4時半くらいだったかと思いますが、背後に山を背負っている立地なのですでに陽が陰っており、夕日を受けている姿を撮ることもできず、ガッカリ……
 下は八条ヶ池を渡るの参道(ここに植えられたキリシマツツジが見事だそうです、来年に期待。)を挟んだ西側にある錦水亭です。季節的なものなのか人影はありませんでしたが、この座敷から窓の外を眺めたらきっと気分いいのだろうと思います。
 機会があれば、是非昼間から一席もうけてみたいものだと思わせてくれるロケーションです。

 最寄りの長岡天神駅(阪急京都線)の脇にたたずむ尖った屋根の「純喫茶 フルール」というお店が、電車から見ていてずっと気になっていたのですが、今回も残念ながら…… きっと行くからね!

2007/10/13

水のテーマパーク──伏見

2007.10.13
【京都府】

 伏見城(Map)


 この建物はコンクリート製のレプリカです。以前付近にあった遊園地の施設として作られたそうです。その跡地は運動公園に整備され、この日は京セラが運動会をやっていたようで、バスがズラッと並んでいました。
 にせものと分かっていても、秀吉晩年の地(近辺であってこの場所ではないそうです)を見に来るようで写真を撮る人(わたしを含め)がチラホラいます。
 本来の所在地は、隣接する現在は桃山御陵(明治天皇陵)となった場所だそうです。明治天皇はここに葬られたとすることが正しいそうで、明治神宮は大正時代に作られたものだそうです(知りませんでした)。
 東映京都撮影所と書かれたバスが止まっており、何やらロケハンしている様子。ここをそれらしく撮っちゃうんだろうなぁ。
 背景じゃ分かんないと思いますが、時代劇見るときはバックのお城をチェックしてみてください。
 この先で道を間違えて宇治川の方に出てしまいました。(でもそこはただでは転ばない?)以前から気になっていた「観月橋」(かんげつきょう)の名を持つ橋に立てました。現在はきっと何もないだろうと、わざわざ行く場所には思えずにいたのですが、まあそんなところです。
 でも、昔は月がキレイだったことと思われますし、龍馬とおりょうもきっと訪れたのであろうと、思いをはせることはできました。


 長建寺(Map)


 伏見の地は、京都駅から南に10kmほど下った、宇治川北岸に位置しています(前出の伏見稲荷大社を含めると、広範囲になりますが)。
 ここ伏見は、淀川水路(大阪湾からの物流)の京の玄関口であったので、回船業者が相当栄えていたと思われます。
 それゆえ、遊郭など歓楽街も開けていたらしくここ長建寺(弁天様=芸事の神様が祀られている)では、京の芸妓を中心にした弁天祭りが賑わいを見せていたいたそうです。
 ──朱塗りの門と外壁がとても印象的なお寺です。
 最寄り駅は京阪電車(こちらでは○○線ではなく○○電車と呼びます)の中書島になりますが、この駅前が変わっていて駅前通がスナック的な飲み屋街になっています。昔のなごりなのだろうか? 伏見の清酒を出すような店には見えません。
 中書島という駅名も以前から気になっていたのですが、これは伏見城が置かれていた頃に中務(なかつかさ)という役職(文部大臣のようなものらしい)の屋敷があって、その役職名を中国では「中書」と言われたそうで、それを「中書はん」との呼び名から地名になったとのことです。
 ちなみに、水戸黄門の「黄門」も中国の役職名なのだそうです(知りませんでした)。


 月桂冠酒造(Map)

 この地で「月桂冠」と言えば名士なのでしょう。立派な蔵が続いていますし、元は伏見城の外堀だったこの水路も、月桂冠堀と言われるくらい存続に影響力を発揮したんじゃないかなぁ? と勝手な想像です。
 以前訪れた近江八幡の八幡堀は湖同士を結んでいるいるため、流れが無く結構よどんだ感じなのですが、ここは川同士を結ぶ運河なので、多少なりとも流れがあり生きている印象を受けます。
 その堀を十石舟の遊覧船が観光客を乗せて行き来しています(ここは水路幅が狭い)。
 後出の寺田屋の前辺りには三十石舟とののぼりが立っています。
 「十石と、三十石ではどこが違うんや?」
 「大きさが3倍なんや」
 というオチです。スミマセン……(その辺りは水路幅が広いので、大きな舟が入れるという理由です)


 寺田屋(Map)

 寺田屋と言えば、寺田屋騒動(尊皇派主流の薩摩藩藩主島津久光に、倒幕の意志が無いこと知り反発した薩摩藩士たちを、粛正した事件。だそうです)と言うよりも、龍馬とおりょうの出会いの場(襲われた龍馬がおりょうの機転で難を逃れ、霧島へハネムーンに向かった)ということの方が有名ですよねって、ミーハー過ぎ?
 そんな時代の流れの真っただ中にいるのに、逆境を逆手にとって慰安旅行しようと切り替えられる神経というものは、桂浜で育まれた「おおらかさ」があってのことではないでしょうか?
 それって、欲したとしても努力で身に付くモノでは無いと思うのですが、いかが思われます?
 怪しげな品々ではないとは思うのですが、広くない庭に所狭しと龍馬、おりょうゆかりのモノが並べられています。その様子が何とも骨董品屋の店先のようでもあったので「これホンモノ?」と、冷やかしたい気分になってしまいました。
 下の写真右の柱にある表札に「寺田屋 坂本龍馬」とあります。
 いわれはあるのかも知れませんが、ちとやり過ぎという印象もあります。




 黄桜酒造(Map)

 カッパと黄桜、そのつながりはテレビ宣伝ですり込まれ「カッパッパー、ルンパッパー♪」と今でもよみがえってきますが、この地に立ってそのコンセプトの素晴らしさを改めて理解出来ました。
 昔ここにはカッパがいたんですよ!
 「子どもの頃カッパとよく遊んだもんだ」などと言うお年寄りは、結構いるんじゃないか? と本気で思いますもん。
 それだけ水に恵まれた土地柄なのだと思えましたし、テレビCMのカッパたちが暮らす清流が昔の伏見にはあったと思えましたから。
 そんな記憶(?)を、高雄・高山寺の鳥獣戯画をモチーフにして、テーマソングと共に親近感のあるキャラクターを作り上げたのであろう(と勝手に思いこんでいる)その一念に「なるほど」と、その背景を勝手に想像し納得していました。
 やはり、信じていなければカッパも見えてきませんからね。ヘッ?

 黄桜酒造の敷地内に伏水(ふしみず→伏見の由来とも)と言う湧き水を流す場所がありました。
 近所の人がペットボトルをいくつも抱えてくみに来ています。
 やはり酒も人も、水が命なんですよね。


 富翁(とみおう)、キンシ正宗だとかの看板を見て、子どもの頃の酒冠(さっかん、と呼んでました)遊びを思い出しました。
 昔の酒の一升瓶のフタは栓の部分がコルクで作られており、それを削り落として傘の部分だけにして、それを台の上で端っこをしごくようにして(表現が難しい)裏返せたら自分のモノになる、という遊びです。
 結構熱くなっていたもんですから、近所の酒屋の裏に忍び込んでは酒冠を拝借していたことを(もちろん何度も怒られましたが)思い出しました。
 現在のカードの遊びと同じようなものと思われますが、強いヤツ(酒冠)がいるのよこれが! お小遣いのない時代の遊び方でした。

 最近は日本酒飲まないから、なんて酒自体に関心を示さずに歩いてましたが、帰ってから「玉の光」が近くにある事を知り、後悔……
 純米酒を最初に手がけた酒蔵だそうです。吟醸や大吟醸など、腰が立たなくなるまで「うめぇー!」なんて飲んだ頃を思い出します。(いまどき、大吟醸など珍しくもありませんが……)
 付近に泊まる覚悟で酒蔵めぐりしてみようかな?
 参加メンバー募集します!


 出会い橋(Map)


 ここは、手前の柵の左から高瀬川の支流、出会い橋(奧にある橋)の左手から壕川(ほりかわ)、その右が月桂冠堀(勝手な命名)が合流する地点です。
 前にも書きましたが、もとは伏見城の外堀だったそうですが時代と共にその性格は変わってきたようで、ここでのメインの流れとなっている壕川のもとは琵琶湖疏水で、琵琶湖から引かれている水になります。
 ──このすぐ下流で宇治川(琵琶湖からの流れ)に合流し、ひとつの流れに戻ります。
 運河なのでせせらぎの音などは聞こえず静かなのですが結構流れが速く、広くはないのですがとうとうと流れているような印象が好きなのかも知れません。
 現代ではカッパに会えそうな場所を探すには、かなりの郊外へ行かないと見つからない気がしますが、水辺がなければ想像すらできません。
 だからこれでイイとは申しませんが、話し(言い伝え)だけでも残すために水辺は守っていかないと……
 そんなことを感じさせてくれた地を「水のテーマパーク」と呼んでもいいのでは? と思った次第です。

 ※この辺りはロケーションもいいし(映画の舞台になると思う)、手軽に半日散歩できる界隈と思います。


 P.S. 10月14日(日)のNHK「ダーウィンが来た!」で、豊岡のコウノトリを取り上げていました。
 大変な事ですし、人の心鳥は知らず? かも知れませんが、応援したいと言う気持ち高まってきますよね。
 実際に会うと感動しますから。是非!

2007/10/07

美味しくも、遠い日本海──舞鶴

2007.10.06
【京都府】

 前回の天橋立の東側にある舞鶴から福井の敦賀まで、日本海沿いをブラブラしてきました。
 この辺りは初めてで、冬になると何かと不便になりそうなので早めに行っておこうと思い立ちました。

 ホフマン窯跡──神崎(Map)

 現在コンクリート工場の敷地内にあるので、どこか進入口はないかと探してみましたが見あたらないので、正面から入ると門は開いているし土曜なので人もおらず、無断で(?)のぞいてきました。
 操業当時ここではレンガが作られていたそうで、後に出てくる赤レンガ倉庫に運ばれていたそうです。
 事前に見ていた写真は少し前のモノのようで、建物もあったり煙突群は全部ツタが絡まっているものでしたが、今では建物も無くシートが被されており老朽化が激しいように見えました。ですが、文化財登録されているそうなので、修復中なのかも知れません。
 ここは由良川の河口付近にあり、水路の利便性だけで選ばれたのではないかという立地で、北近畿タンゴ鉄道という路線が通ってはいるものの、とても不便な場所です。
 河口から5kmくらい橋はありませんし、最初の橋は1車線幅しかなく信号もないので車は譲り合って通っています。
 そして、その下流の道路沿いには「この場所は、由良川氾濫時には冠水することがあります」の看板が立っています。
 んっ? 少し考えて……
 何らかの理由があってこの場所の治水工事ができないことに対する責任の果たし方なのも知れない、とも思いましたがそれでいいのかなぁ?
 確かに日本全国を見渡すと、100%役所の管理下に置かれているはずもなく、探すとこういう管轄外(見捨てられた?)の場所もけっこうあるのかも知れません。
 新たな楽しみを見つけたような気がしています。なんて書いたら、地元の方に怒られそうです……


 海鮮とれとれセンター(Map)

 ここ結構有名処なんですよね? 観光バスも来ています。
 所沢(埼玉)や札幌ナンバーが止まっていました。エッ、札幌? あっちだって美味しいモノあるんじゃないの? とも思いましたが、この少し先に北海道行きフェリーターミナルがあったのでその関係かも知れません。
 ここは市場とスタンド売りと食堂が一堂に会していて、お腹一杯なのに見ているだけでだ液が出てきてしまいます。次回は是非ともここで!
 舞鶴までの道すがらみそラーメンを食べてきました。それがワカメ山盛り、炒めた豚肉タップリでかなりの満足感を得られてのですが、何に驚いたかと言うとワカメの一切れがデカイのよ! お札くらいの大きさがありました。
 これはもう少し何とかしろよと思いながら食べていたのですが「でも、ワカメの味がよく分かる!」と、食後に納得させられいい勉強になりました。
 「ワカメはモリモリ食うべし!」


 吉原(Map)


 映画『ニワトリはハダシだ』に使われたそうなのですがよく覚えていない(観たと思うのだが…)。
 でも、雰囲気のあるいい漁師町であります。


 赤レンガ倉庫街(Map)


 舞鶴市役所に隣接していて、市政記念館などにも使用されています。ここは明治から昭和の時代の映画ロケのメッカのようで、きっと目にしていると思われます。屋内・外観共に残存数が多いだけに、バリエーションも豊富なようです。
 海に面したそんなまとまった土地が市に払い下げられたこと、その隣には自衛隊の艦船が数多く停泊していることからすると、周辺一帯は軍関連の施設だったのだと思われます(次の引揚桟橋近くまで自衛隊関連の施設が連なっています)。きっとその当時は、ソ連(ロシア)、中国を見据えていたのではないでしょうか。
 日本海という場所柄は、ソ連、中国、北朝鮮、韓国と距離はあれども対峙しているわけで、それだけでも島国日本にとっては大変な所なんだと思います。地村さんは小浜(おばま)で拉致されたわけですし。
 瀬戸内海や、太平洋なんかには「ひょっこりひょうたん島」くらいしか流れ着かないだろうと思いますもの……


 引揚桟橋(Map)


 向かう道すがら「岸壁の母」(終戦後、肉親の帰還船を迎えに出るものの願いの叶わぬ母)が当時訪れるには、心細すぎる場所ではなかったかと思う程、町からは離れています。でもきっと母の一念からすれば、そんなことは苦とも思わなかったことでしょうし、願いの叶わなかった方は、二度と訪れたくない場所なのではないかと思われます。
 そんな心の準備をして訪れてみたのですが、その場所は「戦争」「日の丸」から想起される街宣車で騒がしい愛国主義的なセンスと映ってしまい、どうも傍観者の位置から踏み込めませんでした。
 どうにかならんものかと思いつつも、それが愛国主義への傾倒を防いでいるかと思うと奇妙なバランスではあるが、均衡を保てる理由のひとつにも思えてきます。


P.S. ワカメだけではありません。
 宿は小浜の海沿いのホテルです。
 夕食にカニを外されたら怒りますよね。それに、この周辺で変なカニ出していたら続けられませんよね。甘くて美味しゅうございました。
 またこの辺りの山では松茸も採れるんでしょうねぇ、とてもいい香りのお吸い物いただきました。
 そして鯖のへしこ(糠漬け)なかなかの珍味で、酒のつまみにはもってこいという印象です。
 窓を少し開けると、湾奧の静かな波の音が聞こえ、これも久しぶりの印象でとても心地良い風情でした。

P.S.2 『フラガール』
 宿のテレビで観ました。昭和40年代に生きる人々の考え方や挫折感が、時代背景から理解できたのでものすごく切ない気分で観ていました。蒼井優ちゃん2度目の踊りモノ(前回は『花とアリス』のバレエ)でも見せ場を作っていましたけど(バレエの素養があるらしい)、なかなかそういうことってやらせてもらえないと思いますが、どちらも印象に残ります。
 常磐ハワイアンセンターのダンサー、これが日本の「ウーマンリブ」の始まりかもしれませんね。いやぁ、涙と拍手でした!