2007.07.07
【京都府】
羅城門跡(Map)
平安京の正門でここから北が洛中となり、大内裏まで朱雀大路(道幅およそ83m)が続いていたとのことですが、面影すら残っていません。
──思い浮かんだのが、奈良の平城京跡に再現された朱雀門前の大路の風景で(道幅75m)、このような景色が広がっていたであろうと、思いをはせておりました。
旧朱雀大路は現在千本通と呼ばれています。平安京造営当時の大内裏と共に町並みも廃れてからは行き倒れの仏を葬る道となり、千本もの卒塔婆が立ち並んだことからそう呼ばれること、旧大内裏近くで読んだ記憶があります。
そこでは「朱雀大路の名を復活させよう!」運動をしていました。そりゃ、卒塔婆が千本という由来じゃ説明もしづらいですものね……
芥川龍之介の「羅生門」の舞台はここに当たり、黒澤明の映画は芥川の「藪の中」が原作とのこと。名称も近ごろでは「羅城門(らじょうもん)」(羅城とは都の城の意味だそうです)に統一されてきたそうです。
前出の島原付近の卸売市場、JR嵯峨野線や、この後出てくる梅小路の公園などは、千本通を分断するように作られていることからみても、お上に排除されやすい地域だったような気もします。これは、単なる推測ですが……
いずれにせよ、小説の息が詰まるような印象よりはこの写真のように、子どもたちの遊ぶ姿が見られる場所である方がどれだけ健全であることか。
時代と共に、いい方向へ向かって欲しいものです。
東寺(Map)
おなじみの、新幹線から見える五重塔です。
そうそう何度も見ている訳ではないのに、印象に残る存在感があるので「是非いつの日にか!」と思う人は多いのではないかと思われます。わたしもその一人で、本日実現しました。
五重塔を間近に見た第一印象は「デッカイなぁ」でしたが、やはり木造塔としては日本一の高さ(54.8m)だそうです。
ここは弘法大師(空海)の真言密教のお寺で、白装束(お遍路さんとは違うが)の団体がバスで押し寄せるところです。
分からないながらも、日本文化に迎合するのではなく、経典やルーツに忠実であろうとする姿勢が仏像の姿からうかがえ、何か半歩前に出て観賞していた気がします。
金堂の薬師如来像の台座を支える十二神将の力強さと、講堂の立体曼荼羅(仏像の配置することで曼荼羅を表現している→展覧会で見た唐招提寺の仏像だったか、意味は違うかも知れないが同様の感銘を受けたことがある)には訴えてくるものがあり、心に響くものがありました。
本日は七夕、ちょうど「LIVE EARTH」というチャリティコンサートの準備で境内には椅子が並べられ、通路も規制されたりバタバタしていました。
後で分かったのですが、Y.M.O.のコンサートだったようです。前日に録画したY.M.O.の特集を日曜日に見て「熟した魅力が出てきた」なんて思ってもあとの祭りです……
空海さんの教えの魅力として「心が広いこと」が挙げられると思います(高野山の墓地は宗派を問わず誰でも入れることには感銘を受けました)。そんな教えの一環なのでしょうが、今夜は薬師如来さんもちと騒がしいかも知れません。
何度も火災に遭っているにもかかわらず、境内にはあちこちにベンチと灰皿が設置されています。お大師様に甘えて、五重塔を眺めながらの一服はとてもおいしゅうございました。
そんなことも、これからは勧誘の手段になるのかも? いえいえ、とんだ失言ですね……
自分で撮っておきながら何なんですが、ハスの花を見るとどうも頭の中に「ゴーン!」と鐘の音が響いてくるのですが、わたしだけでしょうか?
何だか前にも書いた気がしてきた……
梅小路蒸気機関車館(Map)
子供の頃「梅小路」という響きに、遠い「聖地」(ガンダーラか!?)のようなイメージを抱いていたのですが、そんな方いませんか?
わたしの幼少時でも東京近郊では八高線に走っていた程度で、蒸気機関車が何両も並んでいる写真を見てあこがれていた記憶があります。
この転車台(と言います)と扇形車庫が、きっとサンダーバードの基地みたいに見えたのだと思います。
現在でも「スチーム号」という機関車を観光用に運転していて、その運転や石炭の積み込みや入れ替え作業をしているおっちゃんたち(関西風)は結構楽しそうにやってますから(きっとそうだと思う!)、まあ、オヤジの方が遊んじゃうテーマパークってところでしょうか?
SLファンでもなければ詳しくもないのですが、このエンブレムや各部品の手作り感にはしびれましたねー。
特に下の写真の車輪の中央部分など、手作業で工作しましたという跡が見られて、何だか作った人の気持ちが伝わってくる気がします。もちろんオートメーションであるわけもなく車体全部が手作りなわけですから、どの部品にも同じ形をしたモノが無いことを想起すると、そこかしこから暖かみが感じられるような気がしてきました。ファンが多いのもよく分かります。
でも、この車庫の中は石炭を燃やしてこびりついたタールのようなにおいが充満していて、息が詰まるような空気が漂っています。
デモをしてくれる「スチーム号」の煙もそうですが、郷愁ではなく近ごろでは経験しない「異臭」と感じたことに少々驚かされました(もう石炭ストーブも使いませんしね)。
トンネルを通過してススだらけになったなんて話しも、日常にそんなにおいが存在していた時代だったから、当たり前に受け止められていたのだとも思いますが、いまではもう無理だと思うなぁ。
京都駅ビル(Map)
「ガラスのお城」(駅ビル)に映った京都タワーです。
この駅ビルを昨夏最初に見た印象は「作っちゃったねぇー」というもので「きっと作りたくなっちゃうんだろうなあ」と、気持ちを察せる面もありました。有名な京都国際会議場もそうですが(第一印象:地球防衛軍の基地? そのうち紹介します)、京都の地だからこそ近代的なものを作りたくなっちゃうんだと思いますし、その気持ちも理解できる気がします。
それは「数十年使えればいい建造物である」という共通認識の元で企画された建造物であると思えるからです。
京都の街がここまで発展できたのも、明治期の危機感から琵琶湖琉水などのインフラを整備してきたからで、今後の発展には玄関であるJR京都駅周辺の開発が必要であること、とてもよく理解できます──昨年京都を訪れた観光客の数は、前年から170万人増えたとのこと。
近ごろでは「少し景気も上向いてきたから、京都でちょっと贅沢してみるか」という団塊の世代(お年寄り)あたりには格好の観光スポットであるのは確かだと思います。それを満足させる営業努力も十二分に感じられ、観光立県として「京都」は成り立つと思えますが、盛者必衰の言葉もあるようにこのまま続くとは思えません。
調子のいい今こそ、次の手を準備すべきなのではないかとも思うのですが、1200年の歴史を受け継ぐものなど賢者が何人集まって知恵を絞ったとしても、簡単に生まれるものではありません。
この街の将来を考えるならば、人間の寿命よりも少し(かなり?)長い尺度で築かれてきた、京都ならではの町家に込められた思想をもう少し参考にするべきなのではないかと思うのですが、それはよそ者の勝手な願望なのでしょうか?
新京都駅は、7月に10周年を迎えるそうです。
京都タワー(Map)
昨夏、現在の部屋を探しに来たとき以来2度目です。
気分が全然違います。お上りさんのように「あそこも、ここも行きたい!」とキョロキョロしていた昨夏とは違い「みんな行ったぜ!」と、小さな征服感を感じながら見下ろしておりました(言い過ぎ!)。
視界が悪い中、見える範囲でとても印象に残っているのが三十三間堂の長い屋根で、上から見ても存在感ありました。
きっと、また行きます!
【予告】
来週は3連休なので、奈良へ1泊で出かける予定です。お楽しみに! でも、台風が来そう……
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