2007/11/17

これで「色づき始め」
 ──銀閣寺、永観堂、南禅寺

2007.11.17
【京都府】

 銀閣寺(Map)


 12月から銀閣(観音殿)の修復が2年計画で始まると聞き、慌ててやってきました。
 本当なら、多少でも空いている時期を狙って来たいところなのですが、逆にそれをきっかけに肝を据えてこの時期の人気スポットに足を踏み入れる決心をしました。
 どんな決心なんだい? 「清水の舞台から飛び降りる」(もう清水寺は結構)ならぬ「秋の京都に飛び込む」って勇気いりますから……
 ホント、テーマパークのイベントの行列に並んでいるような、あきらめの気分にさせられます。
 それでも、自分でカメラを構えたい場所にいる人が立ち去るまで待てるようになりましたから、少しは観光地慣れしてきたのかも知れません。
 慣れたかないけどどこも込んでるから、いつからか「心静かにその時を待つのです」の声が心に響くようになってきたようです。
 上写真は「向月台」(富士山型と拝観案内にあります)右上写真は「銀沙灘(ぎんしゃだん)」(波紋を表現)というもので(近くに並んでいます)、波の向こうにそびえる富士の山、と言ってしまうと身もふたもありませんし、そこだけに注目してしまうと「妙にとんがった存在」(当時の前衛的作品?)に見えてしまうのですが、この空間に身をゆだねた時にはとてもこころ和ませてくれる「砂の造形」だと思えます。
 「砂のだんごを作る要領で成形しているそうです」「キラキラ光を反射する砂は、電気の無い時代に月明かりを反射させて明りをとったそうです」との説明を何度も耳にするほど人が(案内人も)出ていました。
 一度、月夜に来てみたいものですが、そこでも賑やかだったら、もううんざりでしょうね……
 右写真奧の木は一本だけ面白い形状をしていて、赤い実がなっています。いわれのある木のようですが不明です。
 下写真の銀閣は2010年の春に化粧直しが終わるそうですが、その頃までこの近辺を歩いているかは不明です。



 法然院(Map)

 ふだんは静かで好きな場所なんですが、やはりこの時期は人が多くなりますね。
 右写真の門の前で、4〜5人の中年グループがカメラを構えてじっと人けが無くなるのを待っています。シビレを切らせた仲間のおばさんの声「もう、いいかげんにしとかないと、また永観堂入れなくなっちゃうよ!」。
 「コースは同じなんだな」と思いつつも、その声にこっちの方がせかされた気がして、足取りが速くなってきました。

 銀閣寺〜法然院〜永観堂にかけての水路沿いの道は「哲学の道」と呼ばれていますが、皆さまには「おしゃべりの道」のようです……
 その途中にお寺の遺構なのか白壁の一画が残されたところがあります。
 昨年はその場所のもみじだけが時期はずれに紅葉しておりとてもキレイな絵だったので、機会があれば今年も来てみたいと思っています。やはりこの時期では、その木の紅葉はまだ先のように見えました。


 永観堂(Map)


 「もみじの永観堂」と呼ばれているそうです。
 さすがにこの時期は、ゆったりと風情を楽しめる静けさはありません(とても落ち着ける静かなお寺で大好きなんですが)。
 普段の拝観料がいくらなのか忘れましたが、本日は1,000円でした。──これだけの人が入ってると、1日でどれくらいの収入になるんだろう?
 前回来たとき「もみじばっかりだもの、紅葉はすごいに決まってる」と思ったもんですが、時期に来てみないとそのすごさは理解できないこと思い知らされました。
 今朝の新聞には「永観堂:色づき始め」の案内でこれですから、「見頃」はどうなっちゃうんだろうと思います(人の出も含めて収入も)。
 確かに「山が染まる」までには至ってませんから、ピークはこれからになります。

 この時期は人が多いので、袋小路の臥龍廊(がりゅうろう:下写真──曲線を描いている木造の階段と回廊)には上がれないなど、順路が変わっています。前回こころ動かされた「千仏洞」の「合掌童子」も見られませんでした(もうやってないのか?)。
 でも、阿弥陀堂の「みかえり阿弥陀」(顔が横を向いており、ふりかえっている姿)は、落ちこぼれにも心を配ってくれるようなあたたかさが感じられ、心和ませていただけた素敵な出会いだったと思います(お堂の中で大音響ですっころんでた人がいましたが、その人にもやさしく微笑んでいたのではないでしょうか)。






 わたしなんか「もうこれで十分キレイだよ」と思ったりしたんですが「こんなもんじゃないんだよ」って絵が、きっとこれから待っているのでしょう……
 紅の色ばかりが多いので、黄色の木を探していました。東京の秋に黄色が多かったのは、街路樹にイチョウが適しているなどの理由によると思われますが、同じ植樹でもこちらではこの季節の観賞用に植えられたと思われる「紅」の色が多く、好まれているというか「スタイル」のようも感じられます。



 南禅寺(Map)

 日もかげってきたから、写真はもう終わりにしようと思っていると、あっ、ここも、あっちも、とそそられる絵が次々現れて「終われない日」という感でした。
 右写真奧は琵琶湖疏水(琵琶湖から引いた水で哲学の道の水路へ続く)のレンガ造りの導水路で撮影ポイントになっており、着物姿の女性グループがいたりします。
 ──帰りの地下鉄で、その着物グループ(3人)とカメラ親父(彼女らと一緒に撮って回ってたらしい)と乗り合わせ「ホント、助かりましたぁ〜」「イヤイヤ、またいつでも声を掛けてね!」と、おっさん上機嫌でした。そういうこともあるのかと、今度声掛けてみたいなぁー。(ムリ、ムリ……)

 下写真はカメラを片付けそびれて撮った本日最後の写真で、映画の舞台に使われていた記憶のある風景です(何の映画か自信はありませんが、市川崑さんの『細雪』だったらビンゴ!)。
 ──ここは以前に見ているはずなのに、そんなことをまるで連想できずにおりました。
 うーん、紅葉しないと記憶がよみがえらない場所があることを認識させられたということは、かなり重いパンチを食らってダメージを受けたような思いがしています。
 どこの場所にも言えると思うのですが、どこもみな季節の顔を持っているわけで、限られた季節にだけ「行ったことがある」では、その場所を理解したことにはならないのではないか、と突きつけられた気がしました。
 四季を通じてその土地を知る。と言ったってそんなの無理だし、果てしなさ過ぎる! とも思わされ、さて、どうしたものかと……
 でも、そんなことをこれからのテーマにすればいいのでは? と考えると、まだまだやることたくさんあっていいんじゃない!? とも思えてきます。
 現に、この日の帰り道を逆にお寺に向かう人を見て「もう閉まっちゃう時間なのに」と思っていたのですが、とんでもない! 彼らは夜間ライトアップを見にこれからお寺に向かっているんです。
 それはちょっとわたしには無理かも知れません。
 何せ、京都の夜は寒いですから……(ホント、寒がりになってしまいました)

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