2008.3.15
【京都府】
赤山禅院(Map)
思考回路が停止したかのようなタイトルですが、そんな心地いいと感じられる「ほどよい陽気」とはまさにこのことかと、脳みその中まで緩んでいくようです……(冬が寒いからそう感じられるのでしょう)。
最高気温は15度程度でも、雲ひとつ無い青空からふりそそぐ日差しを浴びながら歩いていると汗ばんでくるほどです。
お彼岸前なのに「今年の春は足早で助かるなぁ」と思っていられたのは今や昔。「温暖化の影響だったら困るよなぁ」という不安を抱いてしまうのが現代に生きる者の「さが」と言えるかも知れません。
でもそれって、早い春の訪れは喜ぶのではなく、憂うべき季節感としてとらえろ言うこと?
冗談じゃございません。地面から緑が芽吹き、花が開き、鳥がさえずりはじめるわけですから、共に喜びたいに決まってるじゃありませんか。
そんな憂いを感じることなく、春を迎えられる地球環境でなければなりません。絶対に!
ここは比叡山延暦寺の別院なのですが、京都の表鬼門(東北の隅)を守護し、七福神の福禄寿のお寺でもあるそうです。
参道の門はお寺のようでありながらも、入った正面のほこらの屋根には猿が鎮座し(この猿は比叡山の反対の滋賀県にある日吉神社の神猿と言われています。日吉神社のある坂本もいいところなので紹介できれば…)、中には鏡が祀られています。ここは神社なの?
と、ちょっと風変わりな一画なのですが、本尊は陰陽道の祖とされる泰山府君(たいざんふくん)が赤山明神として一緒に祀られているためのようで、それを「かけ寄せの神」と言うのだそうです。
わたしには「何でもいいんだ?」としか思えないのですが、紅葉はキレイなところです(ピークを外した時期にしか見てませんが)。
人がくぐりながら祈祷する巨大な数珠が2つあります(アクリルのケースに入っている)。
ここでは数珠の供養が行われているそうです。この日は違うかも知れませんが、もうもうと何かを燃やした煙が境内に立ちこめていました。
巨大数珠の真ん中にぶら下がっている飾り物と昼間の月です。
何だか「いいちこ」のポスターみたいで気に入っています。
曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)(Map)
ここは比叡山延暦寺にあった坊(僧侶の住居)をこの地に移して寺としたそうで、天皇家にゆかりのある方が造営に尽力したそうです。
この地は比叡山の山麓という土地柄ゆえ、延暦寺系列の寺院が多かったと思われます。
京都に都を移した大きな理由である「奈良の仏教勢力」に対抗できる新しい信仰の確立のため、延暦寺の建立は政府主導で行われたわけですから天皇家との関係も深く、そんな時代の名残がこの地の性格を表しているのではないかと思われます。
近くに修学院離宮という現在も宮内庁の管理下に置かれる一画がありますが、そこは前述の経緯とは異なり、江戸時代に幕府が後水尾天皇のご機嫌取りに造営したそうです。
広大な庭園らしく、行ってみたいのですがチャンスが巡ってきません。
その「修学院離宮」と共に宮内庁管轄である「桂離宮」の見学は、期日・時間を限定した抽選になっており、これが当たらないんだ!
もう少しチャレンジしてみようとは思うのですが、ちょっともうあきらめ気分です……
何だか写真が「さて、これは何でしょう?」というクイズのような絵ばかりになってしまいすみません。
下写真は「春の月」です。って答えになってない?
ちょうど月齢が上弦の半月くらいなので、午後はちょうど光の加減がいい位置に上がっており(太陽の光を順光に受ける側の空にある)、ファインダーに入ってきます。
ここの門は砦のようにそびえ立ち、門前の並木が立派なケヤキなものですから、紅葉の季節の人出はもう大変です……
圓光寺(えんこうじ)(Map)
ここの起源は、家康が一般人も学ぶことが出来る学問所として伏見に開いたことによるそうです。
その後、相国寺(禅寺)内にあったものがこの地に移されたそうで、毎週日曜朝6時から坐禅会が開かれているのは、そんな系譜によるものと思われます。
教会の日曜礼拝に対抗して坐禅会があるというのは、どう考えても生活スタイルの模倣に思えますが、もし参加したとしたら、とりあえずその日曜日はすごく充実した休日を過ごせそうな気がします。
継続していくと、日々がそうなっていくのだろうとも思えますが、まずは早起きできるのかが最大の問題なのではないでしょうか。
でも、充実した生活を送るための日々の積み重ねって、そういうことなんだろうなぁ……
ここも紅葉がキレイで時期には大変な人出なのですが、本日は貸し切りでした。こんなにいい陽気なのにね。
最初の年にこの散歩道に3度来ており、最初は紅葉には時期が早かった、次は天気悪かったかで、結局いい写真は何も撮れなかったこと思い出されます。
起伏は多少ありますが、市内を見下ろす景色が気分のいい散歩道です。
詩仙堂(Map)
京都のモデルさんです。ええと、バイト代は……
ウソウソ、そんなところに座っているからファインダーに入っちゃうんだってば。
どちらもよけることは無理な状況ですので、無断で撮らせてもらいました。
この状況で「撮らせてください」と邪魔も出来ませんしね……
床の反射光が赤い服に当たって、毛せんの赤色を受けているように見えたもので。
ここの庭はいつ行っても庭を手入れする造園師の人がいてどこかしらを手入れしており、ものすごく庭の造形に神経を使っているお寺です。
丈山寺と言うそうですが、ずっと詩仙堂の名という認識しかなく、曹洞宗(永平寺)の禅寺の末寺であること、初めて知りました。
正式には「凹凸窠(おうとつか:でこぼこした場所に建てられた家)」と言うそうで、石川丈山が中国の詩人の絵と詩を掲げた「詩仙の間」からの由来だそうです。
昔の立派な別荘的家屋のひとまに、仏間をしつらえてあるとでも言うのでしょうか、お寺と言うよりは趣味人(文化人)の広い庭付き住居という印象です。
京都へ行けば、どこの庭からも「カーン」という鹿おどしの音が響いているもんだと思っておりましたが、実際はそう多くはありません。
その中でも、特に印象に残っているのがここ詩仙堂のもので、音量がとても大きく迫力があり、また頻繁に響いてきます。
それは当然のようで、鹿おどしは(趣味人)石川丈山が考案したものらしく正式には「僧都(そうず)」と言うのだそうです。
鹿や猪が庭を荒らすことを防ぐために考案したそうですが、畑の作物ではなく庭を守るためと言うところが、ちょっと浮き世離れしていると思われます。
でも、音の質としては「スカッ!」とすると言うのか「静寂を深めるため」との表現がまさに的確と思われる、心地よさを感じさせてくれます。
時計とは質の異なる時の流れを感じさせてくれる「精神清浄効果」が、自身の体内時計の進み方を再確認させてくれる、とでも言うのでしょうか、とても自然体にさせてくれリラックスできるのではないか、と思います。
この場に座した瞬間は、迫力ある「カーン」に耳を奪われるのですが、慣れてくると何やらもやもやと雑念が頭を巡りだしてきます。
それを見事に「ごはさんで願いましては」と「カーン」の音で、答えが出まいが間違っていようがリスタートを強制されます(ボクシングのゴングのように)。
それにまた慣れてくると次の「カーン」までの間に、ひとつのテーマを整理するようになってきます。
それが出来たらば次のテーマに取り組む、というような修行のような訓練にも使えるのでは、と思いました。
──そんなことに利用しようなんて、抑圧しすぎでしょうか?
雰囲気だけではなく、のんびりとでも頭の中でそんなことを繰り返していると「精神の静寂が深まる」と言いますか、頭の中がスッキリとしてくると実感するので、これだけで本一冊書けるのではないか? なんて思ったりするのですが……
でも心地いいですよ、是非!
日本家屋には、松や竹がよく似合います。
とくれば自然と「松竹梅」につながっていきますから、説明なんかされずともなるほどと納得出来てしまいます。
「ハルウララ」(競走馬)の名前じゃ勝てなくても仕方あるまい。
「春ウララ」(説明もはばかられるおバカな漫画のタイトルです。ご存知ないでしょうね)のノー天気な世界観も仕方あるまい。
そんな言葉の響きから伝わってくる緊張感の緩んだ空気にドップリと浸ることができました。
アレルギーの方には申し訳ありませんが、花粉症でないことに感謝です!
お気をつけ下さい……
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