2007.11.24
【京都府】
長岡天満宮 錦水亭(Map)
3連休の中日で、雲ひとつ無い晴天に恵まれた絶好の行楽日和。
京都各地の紅葉の名所も軒並み「見ごろ」となり、人が出るのもうなずけるお日柄です。
阪急電車(関西では○○電車と呼びます)のホームに交通整理員(もしくはお尻押し隊)が出ているのには驚きましたが、特に急ぎの用事のないわたしは各停でのんびりと……
本日は、紅葉スポットだけの予定なので、通り道でもある長岡天満宮にちょっと寄り道していきました。
境内にあって、池の上に客席を設けている料亭の錦水亭付近では、さすが手を入れているであろう見事な紅葉が見られました。
お客さんも結構入っているようでしたが、周辺を散策してベンチで弁当を広げている熟年カップルも多くいて、それもまた気持ちのよさそうな陽気でしたから、甲乙つけがたい感じです。
光明寺(Map)
新聞やウェブなどの「京都紅葉情報」のトップに名前が出ている「光明寺」って?
全然知らなかったのですが、長岡天満宮の近くとのことなので行ってみましたが、歩いたら30分もかかった……
行きと帰りは別の道(ぐるっと回る参道)で、そのどちらももみじのトンネルになっており、なるほど迫力はなかなかのものでした。
紅葉って、桜のように一斉に色づくわけではなく「満開」とはいかないので表現は難しいのですが「見ごろ」とは実にうまい言い回しだと思います。確かに今日は「見ごろ」という印象です。
なので、緩やかな石段を覆う紅葉の名所などは、広角で撮ると色がまばらになってしまうので、トンネルなどではいいの撮れませんでした。
この季節ってのは何にも考えずに、ただ紅葉をポカーンと口を開けて眺めていられる(ミーハー的になれる)からいいですよね(春もそうだったんじゃありません?)。
そんな時はこのお寺がどんな歴史を持っているか、なんて一切考えませんものね。
ここにもガイド(タクシーの運ちゃんやバスガイド)さんがたくさんいて助かるのですが、韓国のガイドさんが韓国の人に日本語で案内しているのには驚きました。
「ココ撮ッテモ、作品ニナラナイヨ!」などと日本語で声をかけて、世間話は韓国語でしゃべっています。
普通、日本人が海外へ行ったら日本語で案内してもらうと思うのですが、日本語習得ツアーか何かだったのだろうか?
こちらは日本人のガイドさんの話。
地元のガイドの人はたちは、なんでみな同じように「まだまだ」「もっといいんですよ」「こんなもんじゃないんだから!」と、自慢げに話すのでしょうか?
「今度はその、もの凄いのを是非見にきたいわ」「逃げやしませんからまたいらしてください」などと言うくせに、本心では「本当にいいものはあんたらには見せたりしないんだから」っていう気質が、最近分かるようになってきた気がします。
別に意地悪なわけじゃないんですが安く売りたくないと言うのか、一見さんには教えられないともったいぶって敬意を払わせたい気分と言うのか、裏返すと「人見知りの寂しがりや」みたいな面があると感じるようになりました。
とっつきにくいかも知れませんが、人間ですからお付き合いから打ち解けていくと思うんですがね。
東福寺(Map)
前回来たとき「これが紅葉したらスゲェぞ!」のインパクトが強く、この秋の本命と言うかある意味「怖いモノ見たさ」的な面もあり、ここだけは来てみようと思っていました。
電車降りてホームでまず一服。
人の波が改札を出られない様子を見て、北鎌倉の駅を思い出しました。
改札を出ればもう人ごみで、帰りがけのおっさんの「季節はずれの初詣に来たみたいだなぁ」の言葉にも「それは織り込み済み」と平静を装いながら裏道へ。
とは言え歩きやすいのも最初だけで、進むにつれて徐々に混雑が激しくなり「入らなくても、ここからの景色だけは」と臥雲橋から通天橋をのぞんでみればこのありさま(上写真)……
橋が落っこちるんじゃないか、という人の群れに笑っちゃいました(きっと清水寺も舞台が落ちてしまいそうな混雑だったのでは?)。
3時半ころに着けばいいかと思っていたら、この大混雑に時間を繰り上げられてしまい、もう拝観受付は終了とのこと。
そりゃそうだよ、その時点で境内にとぐろを巻いている順番待ち(拝観券を持っている人)の列は300mじゃ済まないだろうし、何時ごろ入れるのだろう? というものでしたから……
きっと行列を見たらイヤになるだろうと思いながらも来たわたしですが、そんな様子(怖いモノ)が見たくて来たんだっけ? という混雑ぶりでした。
1400年頃に架けられた橋だそうですが、紅葉を楽しめるように整備を始め、現在のような植生になったのは江戸時代だそうです。
数百年という時間をかけてこの風景を作り上げてきたことに敬意を表したいと思いますが、現代のこの光景を見れば尽力された方々も満足できることでしょう(それにしても多すぎ?)。
この橋は南北に伸びていて、写真右手が南になります。
なので、写真右側の木々は斜面の陰になり日が当たりにくい場所となります。
紅葉は日の当たる部分から色づくそうなので、この場所で左右の木々が同時に色づく光景を目にすることは、非常にまれな機会なのではないかと思われます(負け惜しみかい?)。
まあそれでも、東福寺の「秋祭り(?)」に参加できたという満足感は得られました。
──橋の上からは、もの凄い絶景だったりして……
通天橋の裏手奧の方で写真(右下)を撮っていたら、若いアベックの娘さんが
「京都ってひどいところね」
と、楽しみにしていた通天橋に入れなかったのでしょうか、ガックリと肩を落としてすねていました。
男としても、声の掛けようがないよね……
(別れ話だったりして……)
現在の京都の秋では、キャパシティをはるかに超えているにもかかわらずそのオーバーフロー分までどうやって取り込もうか、という金勘定ばかりに躍起でサービスを顧みない商売をするやからがとても目に付きます(東京資本とは決めつけませんが京都にも金の亡者はいます)。
観光客側がそれに気付いて熱を冷まして、冷静な目でサービスを吟味することがまず大切で、そういう低品質のものを京都から淘汰していくような意識も必要かも知れません。
それでも人が集まっちゃうんだから、どうにかしてあげないといかんでしょ!?
「京都って素敵なところね」って思わせてあげられるように……(オレ、観光協会かなんかで働こうかなぁ)
テレビで見たのですが、市の景観条例で市民の財産を制限してでも町並みの景観を守ろう、という取り組みが始まっているそうです。
制限の及ばなかった新築のビルが耐久年数をむかえ取り壊される(数十年先)まで待って「その跡地をどう利用しようか?」と考えようというのです。
「六本木ヒルズ、壊す時大変そうだよねぇ。でも次はもっとスゴイビルが建つんじゃない?」というインパクトではなく「京都らしい建物ってどんなものが考えられる?」と知恵を絞って、みんなで町を作っていこうとする姿勢がここにはあります。
そんなことのできる都市が他にあるでしょうか?
歴史的建造物や町並み保存のために美観地区に指定したり、竹富島は小さな島ですが島ぐるみで取り組んでいたりと、限られた地域では実在しますが、それを都市でやるなどとは他ではちょっと考えられない取り組みに思われます。
それは確かに、地域への愛着を共感し合える人々が暮らしている場所でなければ実現できないと思えますが、逆に多くの人たちが同じ目的意識を共有できたなら、京都のような都市でも実現可能なのではないか? と思えてきます。
郷土への「美意識」というものを人々が共有している地域って、暮らしてみたいと思いませんか?
沖縄のライバルは京都、相手に不足はないというか、結構まじめに考えたりしています。
前日の奈良に続いて、この日も歩いちゃったもんですから翌日の日曜はもうグッタリでした……
2007/11/25
2007/11/17
これで「色づき始め」
──銀閣寺、永観堂、南禅寺
2007.11.17
【京都府】
銀閣寺(Map)
12月から銀閣(観音殿)の修復が2年計画で始まると聞き、慌ててやってきました。
本当なら、多少でも空いている時期を狙って来たいところなのですが、逆にそれをきっかけに肝を据えてこの時期の人気スポットに足を踏み入れる決心をしました。
どんな決心なんだい? 「清水の舞台から飛び降りる」(もう清水寺は結構)ならぬ「秋の京都に飛び込む」って勇気いりますから……
ホント、テーマパークのイベントの行列に並んでいるような、あきらめの気分にさせられます。
それでも、自分でカメラを構えたい場所にいる人が立ち去るまで待てるようになりましたから、少しは観光地慣れしてきたのかも知れません。
慣れたかないけどどこも込んでるから、いつからか「心静かにその時を待つのです」の声が心に響くようになってきたようです。
上写真は「向月台」(富士山型と拝観案内にあります)右上写真は「銀沙灘(ぎんしゃだん)」(波紋を表現)というもので(近くに並んでいます)、波の向こうにそびえる富士の山、と言ってしまうと身もふたもありませんし、そこだけに注目してしまうと「妙にとんがった存在」(当時の前衛的作品?)に見えてしまうのですが、この空間に身をゆだねた時にはとてもこころ和ませてくれる「砂の造形」だと思えます。
「砂のだんごを作る要領で成形しているそうです」「キラキラ光を反射する砂は、電気の無い時代に月明かりを反射させて明りをとったそうです」との説明を何度も耳にするほど人が(案内人も)出ていました。
一度、月夜に来てみたいものですが、そこでも賑やかだったら、もううんざりでしょうね……
右写真奧の木は一本だけ面白い形状をしていて、赤い実がなっています。いわれのある木のようですが不明です。
下写真の銀閣は2010年の春に化粧直しが終わるそうですが、その頃までこの近辺を歩いているかは不明です。
法然院(Map)
ふだんは静かで好きな場所なんですが、やはりこの時期は人が多くなりますね。
右写真の門の前で、4〜5人の中年グループがカメラを構えてじっと人けが無くなるのを待っています。シビレを切らせた仲間のおばさんの声「もう、いいかげんにしとかないと、また永観堂入れなくなっちゃうよ!」。
「コースは同じなんだな」と思いつつも、その声にこっちの方がせかされた気がして、足取りが速くなってきました。
銀閣寺〜法然院〜永観堂にかけての水路沿いの道は「哲学の道」と呼ばれていますが、皆さまには「おしゃべりの道」のようです……
その途中にお寺の遺構なのか白壁の一画が残されたところがあります。
昨年はその場所のもみじだけが時期はずれに紅葉しておりとてもキレイな絵だったので、機会があれば今年も来てみたいと思っています。やはりこの時期では、その木の紅葉はまだ先のように見えました。
永観堂(Map)
「もみじの永観堂」と呼ばれているそうです。
さすがにこの時期は、ゆったりと風情を楽しめる静けさはありません(とても落ち着ける静かなお寺で大好きなんですが)。
普段の拝観料がいくらなのか忘れましたが、本日は1,000円でした。──これだけの人が入ってると、1日でどれくらいの収入になるんだろう?
前回来たとき「もみじばっかりだもの、紅葉はすごいに決まってる」と思ったもんですが、時期に来てみないとそのすごさは理解できないこと思い知らされました。
今朝の新聞には「永観堂:色づき始め」の案内でこれですから、「見頃」はどうなっちゃうんだろうと思います(人の出も含めて収入も)。
確かに「山が染まる」までには至ってませんから、ピークはこれからになります。
この時期は人が多いので、袋小路の臥龍廊(がりゅうろう:下写真──曲線を描いている木造の階段と回廊)には上がれないなど、順路が変わっています。前回こころ動かされた「千仏洞」の「合掌童子」も見られませんでした(もうやってないのか?)。
でも、阿弥陀堂の「みかえり阿弥陀」(顔が横を向いており、ふりかえっている姿)は、落ちこぼれにも心を配ってくれるようなあたたかさが感じられ、心和ませていただけた素敵な出会いだったと思います(お堂の中で大音響ですっころんでた人がいましたが、その人にもやさしく微笑んでいたのではないでしょうか)。
わたしなんか「もうこれで十分キレイだよ」と思ったりしたんですが「こんなもんじゃないんだよ」って絵が、きっとこれから待っているのでしょう……
紅の色ばかりが多いので、黄色の木を探していました。東京の秋に黄色が多かったのは、街路樹にイチョウが適しているなどの理由によると思われますが、同じ植樹でもこちらではこの季節の観賞用に植えられたと思われる「紅」の色が多く、好まれているというか「スタイル」のようも感じられます。
南禅寺(Map)
日もかげってきたから、写真はもう終わりにしようと思っていると、あっ、ここも、あっちも、とそそられる絵が次々現れて「終われない日」という感でした。
右写真奧は琵琶湖疏水(琵琶湖から引いた水で哲学の道の水路へ続く)のレンガ造りの導水路で撮影ポイントになっており、着物姿の女性グループがいたりします。
──帰りの地下鉄で、その着物グループ(3人)とカメラ親父(彼女らと一緒に撮って回ってたらしい)と乗り合わせ「ホント、助かりましたぁ〜」「イヤイヤ、またいつでも声を掛けてね!」と、おっさん上機嫌でした。そういうこともあるのかと、今度声掛けてみたいなぁー。(ムリ、ムリ……)
下写真はカメラを片付けそびれて撮った本日最後の写真で、映画の舞台に使われていた記憶のある風景です(何の映画か自信はありませんが、市川崑さんの『細雪』だったらビンゴ!)。
──ここは以前に見ているはずなのに、そんなことをまるで連想できずにおりました。
うーん、紅葉しないと記憶がよみがえらない場所があることを認識させられたということは、かなり重いパンチを食らってダメージを受けたような思いがしています。
どこの場所にも言えると思うのですが、どこもみな季節の顔を持っているわけで、限られた季節にだけ「行ったことがある」では、その場所を理解したことにはならないのではないか、と突きつけられた気がしました。
四季を通じてその土地を知る。と言ったってそんなの無理だし、果てしなさ過ぎる! とも思わされ、さて、どうしたものかと……
でも、そんなことをこれからのテーマにすればいいのでは? と考えると、まだまだやることたくさんあっていいんじゃない!? とも思えてきます。
現に、この日の帰り道を逆にお寺に向かう人を見て「もう閉まっちゃう時間なのに」と思っていたのですが、とんでもない! 彼らは夜間ライトアップを見にこれからお寺に向かっているんです。
それはちょっとわたしには無理かも知れません。
何せ、京都の夜は寒いですから……(ホント、寒がりになってしまいました)
【京都府】
銀閣寺(Map)
12月から銀閣(観音殿)の修復が2年計画で始まると聞き、慌ててやってきました。
本当なら、多少でも空いている時期を狙って来たいところなのですが、逆にそれをきっかけに肝を据えてこの時期の人気スポットに足を踏み入れる決心をしました。
どんな決心なんだい? 「清水の舞台から飛び降りる」(もう清水寺は結構)ならぬ「秋の京都に飛び込む」って勇気いりますから……
ホント、テーマパークのイベントの行列に並んでいるような、あきらめの気分にさせられます。
それでも、自分でカメラを構えたい場所にいる人が立ち去るまで待てるようになりましたから、少しは観光地慣れしてきたのかも知れません。
慣れたかないけどどこも込んでるから、いつからか「心静かにその時を待つのです」の声が心に響くようになってきたようです。
上写真は「向月台」(富士山型と拝観案内にあります)右上写真は「銀沙灘(ぎんしゃだん)」(波紋を表現)というもので(近くに並んでいます)、波の向こうにそびえる富士の山、と言ってしまうと身もふたもありませんし、そこだけに注目してしまうと「妙にとんがった存在」(当時の前衛的作品?)に見えてしまうのですが、この空間に身をゆだねた時にはとてもこころ和ませてくれる「砂の造形」だと思えます。
「砂のだんごを作る要領で成形しているそうです」「キラキラ光を反射する砂は、電気の無い時代に月明かりを反射させて明りをとったそうです」との説明を何度も耳にするほど人が(案内人も)出ていました。
一度、月夜に来てみたいものですが、そこでも賑やかだったら、もううんざりでしょうね……
右写真奧の木は一本だけ面白い形状をしていて、赤い実がなっています。いわれのある木のようですが不明です。
下写真の銀閣は2010年の春に化粧直しが終わるそうですが、その頃までこの近辺を歩いているかは不明です。
法然院(Map)
ふだんは静かで好きな場所なんですが、やはりこの時期は人が多くなりますね。
右写真の門の前で、4〜5人の中年グループがカメラを構えてじっと人けが無くなるのを待っています。シビレを切らせた仲間のおばさんの声「もう、いいかげんにしとかないと、また永観堂入れなくなっちゃうよ!」。
「コースは同じなんだな」と思いつつも、その声にこっちの方がせかされた気がして、足取りが速くなってきました。
銀閣寺〜法然院〜永観堂にかけての水路沿いの道は「哲学の道」と呼ばれていますが、皆さまには「おしゃべりの道」のようです……
その途中にお寺の遺構なのか白壁の一画が残されたところがあります。
昨年はその場所のもみじだけが時期はずれに紅葉しておりとてもキレイな絵だったので、機会があれば今年も来てみたいと思っています。やはりこの時期では、その木の紅葉はまだ先のように見えました。
永観堂(Map)
「もみじの永観堂」と呼ばれているそうです。
さすがにこの時期は、ゆったりと風情を楽しめる静けさはありません(とても落ち着ける静かなお寺で大好きなんですが)。
普段の拝観料がいくらなのか忘れましたが、本日は1,000円でした。──これだけの人が入ってると、1日でどれくらいの収入になるんだろう?
前回来たとき「もみじばっかりだもの、紅葉はすごいに決まってる」と思ったもんですが、時期に来てみないとそのすごさは理解できないこと思い知らされました。
今朝の新聞には「永観堂:色づき始め」の案内でこれですから、「見頃」はどうなっちゃうんだろうと思います(人の出も含めて収入も)。
確かに「山が染まる」までには至ってませんから、ピークはこれからになります。
この時期は人が多いので、袋小路の臥龍廊(がりゅうろう:下写真──曲線を描いている木造の階段と回廊)には上がれないなど、順路が変わっています。前回こころ動かされた「千仏洞」の「合掌童子」も見られませんでした(もうやってないのか?)。
でも、阿弥陀堂の「みかえり阿弥陀」(顔が横を向いており、ふりかえっている姿)は、落ちこぼれにも心を配ってくれるようなあたたかさが感じられ、心和ませていただけた素敵な出会いだったと思います(お堂の中で大音響ですっころんでた人がいましたが、その人にもやさしく微笑んでいたのではないでしょうか)。
わたしなんか「もうこれで十分キレイだよ」と思ったりしたんですが「こんなもんじゃないんだよ」って絵が、きっとこれから待っているのでしょう……
紅の色ばかりが多いので、黄色の木を探していました。東京の秋に黄色が多かったのは、街路樹にイチョウが適しているなどの理由によると思われますが、同じ植樹でもこちらではこの季節の観賞用に植えられたと思われる「紅」の色が多く、好まれているというか「スタイル」のようも感じられます。
南禅寺(Map)
日もかげってきたから、写真はもう終わりにしようと思っていると、あっ、ここも、あっちも、とそそられる絵が次々現れて「終われない日」という感でした。
右写真奧は琵琶湖疏水(琵琶湖から引いた水で哲学の道の水路へ続く)のレンガ造りの導水路で撮影ポイントになっており、着物姿の女性グループがいたりします。
──帰りの地下鉄で、その着物グループ(3人)とカメラ親父(彼女らと一緒に撮って回ってたらしい)と乗り合わせ「ホント、助かりましたぁ〜」「イヤイヤ、またいつでも声を掛けてね!」と、おっさん上機嫌でした。そういうこともあるのかと、今度声掛けてみたいなぁー。(ムリ、ムリ……)
下写真はカメラを片付けそびれて撮った本日最後の写真で、映画の舞台に使われていた記憶のある風景です(何の映画か自信はありませんが、市川崑さんの『細雪』だったらビンゴ!)。
──ここは以前に見ているはずなのに、そんなことをまるで連想できずにおりました。
うーん、紅葉しないと記憶がよみがえらない場所があることを認識させられたということは、かなり重いパンチを食らってダメージを受けたような思いがしています。
どこの場所にも言えると思うのですが、どこもみな季節の顔を持っているわけで、限られた季節にだけ「行ったことがある」では、その場所を理解したことにはならないのではないか、と突きつけられた気がしました。
四季を通じてその土地を知る。と言ったってそんなの無理だし、果てしなさ過ぎる! とも思わされ、さて、どうしたものかと……
でも、そんなことをこれからのテーマにすればいいのでは? と考えると、まだまだやることたくさんあっていいんじゃない!? とも思えてきます。
現に、この日の帰り道を逆にお寺に向かう人を見て「もう閉まっちゃう時間なのに」と思っていたのですが、とんでもない! 彼らは夜間ライトアップを見にこれからお寺に向かっているんです。
それはちょっとわたしには無理かも知れません。
何せ、京都の夜は寒いですから……(ホント、寒がりになってしまいました)
2007/11/10
地球防衛軍本部──京都国際会議場、
岩倉、宝ヶ池
2007.11.10
【京都府】
岩倉 実相院(Map)
お寺にしては珍しく、存在感のある斜めの梁(はり)が何本も目に付きます。
昔の張芸謀(チャン・イーモウ:中国人の映画監督)の映画セットのような力強さがあって気に入っています。
イエイエ、これ実は傾いた建物を支えているんです。
写真はありませんが、客人を迎える表玄関に大木が斜めに立てかけられ、入る者の行く手を阻んでいます。それが片側に1本だけで、バッテンになっていた形跡はないので「これは何か魔除けの一種か?」と、まじまじ観察していました。
建物に入って納得したのですが、景観を損なわない場所ではモロに鉄製の柱で支えていたりと、かなりガタがきている建物のようです。
檀家を持たない門跡寺院(皇族、貴族の管理下の寺院)で、文化財の指定も受けてないので財源のより所が無く、自前でお金をかき集めねばならないそうです。みな様方にも、是非とも足を運んでいただきたいとお願いいたします。
客待ちのタクシーがいるくらいだから人は途切れないと思うのですが、お寺の修復ってべらぼうなお金掛かると思われるので。
──お寺の修復って、お金だけでできるもんじゃないとは思うのですが……
ここには「床もみじ」(春は「床緑」)を楽しめる部屋があります。板張りの床がつるっつるで継ぎ目も目立たないので、庭の紅葉を映した床のもみじも楽しめるという趣向で、紅葉には早かったのですがなるほど趣のある眺めでした。
しかーし! その部屋も含め室内は撮影禁止なんです。部屋の床を楽しむのは廊下から眺めるわけで、ゆっくり見られる訳もないわけですから、何だかなぁという感じです。
岩倉具視幽棲旧宅
実相院のごく近くにあります。昔の500円札の人です。
ここ岩倉という地に岩倉具視幽棲(ゆうせい:ひっそりと暮らすこと)旧宅があるということで、どちらが先なのか関心があったのですが、どうも別々の出自を持っているようです(なんだぁー)。
この地で、大久保利通、中岡慎太郎、坂本龍馬らとの密議が行われたそうです。
幕末・明治維新で公家側からの成功者、程度の知識しかありませんが、岩倉使節団(木戸孝允、山口尚芳、伊藤博文、大久保利通)として欧米に赴いた際のちょんまげ姿の写真がとても印象に残っています。
他の面々は横分け頭でさっぱりとしているのに、あの堂々としたちょんまげ・着物姿には、心意気を感じないではありませんが、歌舞伎者(風変わり者)の性格の方が強かったのでは、と思えてなりません。
今週のトリビア「加山雄三は岩倉具視の血筋を受け継いだ子孫である」。ヘェー!
岩倉という地は、他を回るルートから少しだけ奥まったところにあるのでどうも機会が作れずにいたのですが、今回行ってみて静かな住宅街(農地はないが家並みは残されている)という印象があり、便利ではないかも知れませんが、暮らしやすいのではないかと思われました。
──便利さってどうも東京の尺度で考えてしまいがちですが、東京以外の都市には違った尺度があります(お分かりだろうか?)。
中心地から15分も電車に揺られれば、もう郊外のゆったりとした時間が流れる風景が迎えてくれます。
都市の大きさって、それくらいが「暮らしやすいサイズ」なのではないかと思うようになってきたのですが、いかがでしょうか?
そんな場所では車が必需品ですから、店の前で渋滞するのは困りもんなんですがね。
でも、東京だけですよ電車で事足りる町なんて……
国際会館(Map)
昨年来たとき「地球防衛軍本部」のようだ、と思ったものですが、その印象は1年たっても変わらないですね。
左は何とも「マジンガーZ」の頭部のようだし(合掌造りをイメージしたそうです)、右は「ウルトラマンシリーズ」の基地のようで、「ビートル」や「ウルトラホーク」などの戦闘機が飛んできたら絵になると思いませんか?
この会議場は1966年の開館だそうですから、ウルトラマンと同時期になります。そんな時代に共通した「未来観」の表現なのかも知れませんし、地球を守って欲しいとの希求も共通していたのかも知れません。
ここは「地球温暖化防止京都会議」(京都会議)が開かれ京都議定書が採択されたところなので、広義の意味ではやはり「地球防衛本部」であるわけですから、これからも地球を守ってもらいたいと願っております。
──話しは変な方向へ展開します。
「現代のウルトラマンとは?」と考えたとき、コマーシャル(シャンプーだったか?)で、汗だくでヒーローを気取った子どもに父親が「お前なら地球を救える」という絵を想起しました。そう「夢見る子どもがウルトラマン」なのではないかと……
初代のウルトラマン(父の世代)は弱かったから、倒せない怪獣が世の中にはまだまだたくさんいるけれど、ウルトラマンタロウ(太郎=子の世代)等の若い世代がきっと退治してくれる、なんて願ったりできると弱かったウルトラマンも救われたりするかも? と思ったりします……
──どうも話しが逸脱しました。
「ノスタルジックな未来観」とでも言うのでしょうか、子どもの頃に心躍らせた「夢」を振り返ることができた場所として、記憶に残っていくのではないかと思います。
宝ヶ池(Map)
江戸時代に農業用のため池として造営されたそうで、当時とすれば「宝」の源であったわけです。
前回は、どう見ても健全とは思えないなカップルからシャッターを頼まれたりして(会議場、プリンスホテル、宝ヶ池は隣接しています)、人目をはばかるカップルのたまり場かい? という印象が強かったこと思い出されます。
今回は、(健全そうな?)カップルを多く見かけたり、中学生たちがマラソンのタイムトライアルをしていたり、観光の若い娘たちがレンタサイクルで「ウォー、あったー!」とゼイゼイしていたりする姿を目に出来たので、ここの印象も大分改善されてきました(どんなとこだと思ってたんじゃい?)。
いえいえ、プラーっと散歩するにはいいところだと気に入っていたので、親近感が欲しいと思っていただけです。
この絵はちょっと無理矢理の構図だったかと反省したのですが、それは工夫が足りないだけかもと、次回の作戦を考えます……
【京都府】
岩倉 実相院(Map)
お寺にしては珍しく、存在感のある斜めの梁(はり)が何本も目に付きます。
昔の張芸謀(チャン・イーモウ:中国人の映画監督)の映画セットのような力強さがあって気に入っています。
イエイエ、これ実は傾いた建物を支えているんです。
写真はありませんが、客人を迎える表玄関に大木が斜めに立てかけられ、入る者の行く手を阻んでいます。それが片側に1本だけで、バッテンになっていた形跡はないので「これは何か魔除けの一種か?」と、まじまじ観察していました。
建物に入って納得したのですが、景観を損なわない場所ではモロに鉄製の柱で支えていたりと、かなりガタがきている建物のようです。
檀家を持たない門跡寺院(皇族、貴族の管理下の寺院)で、文化財の指定も受けてないので財源のより所が無く、自前でお金をかき集めねばならないそうです。みな様方にも、是非とも足を運んでいただきたいとお願いいたします。
客待ちのタクシーがいるくらいだから人は途切れないと思うのですが、お寺の修復ってべらぼうなお金掛かると思われるので。
──お寺の修復って、お金だけでできるもんじゃないとは思うのですが……
ここには「床もみじ」(春は「床緑」)を楽しめる部屋があります。板張りの床がつるっつるで継ぎ目も目立たないので、庭の紅葉を映した床のもみじも楽しめるという趣向で、紅葉には早かったのですがなるほど趣のある眺めでした。
しかーし! その部屋も含め室内は撮影禁止なんです。部屋の床を楽しむのは廊下から眺めるわけで、ゆっくり見られる訳もないわけですから、何だかなぁという感じです。
岩倉具視幽棲旧宅
実相院のごく近くにあります。昔の500円札の人です。
ここ岩倉という地に岩倉具視幽棲(ゆうせい:ひっそりと暮らすこと)旧宅があるということで、どちらが先なのか関心があったのですが、どうも別々の出自を持っているようです(なんだぁー)。
この地で、大久保利通、中岡慎太郎、坂本龍馬らとの密議が行われたそうです。
幕末・明治維新で公家側からの成功者、程度の知識しかありませんが、岩倉使節団(木戸孝允、山口尚芳、伊藤博文、大久保利通)として欧米に赴いた際のちょんまげ姿の写真がとても印象に残っています。
他の面々は横分け頭でさっぱりとしているのに、あの堂々としたちょんまげ・着物姿には、心意気を感じないではありませんが、歌舞伎者(風変わり者)の性格の方が強かったのでは、と思えてなりません。
今週のトリビア「加山雄三は岩倉具視の血筋を受け継いだ子孫である」。ヘェー!
岩倉という地は、他を回るルートから少しだけ奥まったところにあるのでどうも機会が作れずにいたのですが、今回行ってみて静かな住宅街(農地はないが家並みは残されている)という印象があり、便利ではないかも知れませんが、暮らしやすいのではないかと思われました。
──便利さってどうも東京の尺度で考えてしまいがちですが、東京以外の都市には違った尺度があります(お分かりだろうか?)。
中心地から15分も電車に揺られれば、もう郊外のゆったりとした時間が流れる風景が迎えてくれます。
都市の大きさって、それくらいが「暮らしやすいサイズ」なのではないかと思うようになってきたのですが、いかがでしょうか?
そんな場所では車が必需品ですから、店の前で渋滞するのは困りもんなんですがね。
でも、東京だけですよ電車で事足りる町なんて……
国際会館(Map)
昨年来たとき「地球防衛軍本部」のようだ、と思ったものですが、その印象は1年たっても変わらないですね。
左は何とも「マジンガーZ」の頭部のようだし(合掌造りをイメージしたそうです)、右は「ウルトラマンシリーズ」の基地のようで、「ビートル」や「ウルトラホーク」などの戦闘機が飛んできたら絵になると思いませんか?
この会議場は1966年の開館だそうですから、ウルトラマンと同時期になります。そんな時代に共通した「未来観」の表現なのかも知れませんし、地球を守って欲しいとの希求も共通していたのかも知れません。
ここは「地球温暖化防止京都会議」(京都会議)が開かれ京都議定書が採択されたところなので、広義の意味ではやはり「地球防衛本部」であるわけですから、これからも地球を守ってもらいたいと願っております。
──話しは変な方向へ展開します。
「現代のウルトラマンとは?」と考えたとき、コマーシャル(シャンプーだったか?)で、汗だくでヒーローを気取った子どもに父親が「お前なら地球を救える」という絵を想起しました。そう「夢見る子どもがウルトラマン」なのではないかと……
初代のウルトラマン(父の世代)は弱かったから、倒せない怪獣が世の中にはまだまだたくさんいるけれど、ウルトラマンタロウ(太郎=子の世代)等の若い世代がきっと退治してくれる、なんて願ったりできると弱かったウルトラマンも救われたりするかも? と思ったりします……
──どうも話しが逸脱しました。
「ノスタルジックな未来観」とでも言うのでしょうか、子どもの頃に心躍らせた「夢」を振り返ることができた場所として、記憶に残っていくのではないかと思います。
宝ヶ池(Map)
江戸時代に農業用のため池として造営されたそうで、当時とすれば「宝」の源であったわけです。
前回は、どう見ても健全とは思えないなカップルからシャッターを頼まれたりして(会議場、プリンスホテル、宝ヶ池は隣接しています)、人目をはばかるカップルのたまり場かい? という印象が強かったこと思い出されます。
今回は、(健全そうな?)カップルを多く見かけたり、中学生たちがマラソンのタイムトライアルをしていたり、観光の若い娘たちがレンタサイクルで「ウォー、あったー!」とゼイゼイしていたりする姿を目に出来たので、ここの印象も大分改善されてきました(どんなとこだと思ってたんじゃい?)。
いえいえ、プラーっと散歩するにはいいところだと気に入っていたので、親近感が欲しいと思っていただけです。
この絵はちょっと無理矢理の構図だったかと反省したのですが、それは工夫が足りないだけかもと、次回の作戦を考えます……
2007/11/04
山里の写真集──大原(三千院、寂光院)
2007.11.03
【京都府】
三千院(Map)
近ごろ文章が多くなっていたので(それも調べた解説的なものが多く)、ちょっと写真集みたいなものにしたいと思っていました。
やはり2度目の訪問になると、見るべきポイントも分かっており写真に集中できるので、出来は別にしてもやりたいことは達せられた気がしています。
池に映った木々の葉ですが、これはまだ色づいていません。
池に映る姿にも紅葉の色を見て取れるものはあったのですが、まだ少ないもので具合良く撮れるものはありませんでした。
水って本能を呼び戻す力があるのでしょうか?
この前で中年夫婦が縁側を濡らしながら何やらはしゃいでおり、なかなか移動してくれません。
休日を堪能してリラックスしてしまい、場所を気にしていない様子です。
確かにそんな気分にさせてくれる場なので、気持ちは分かるのですが……
ファインダーをのぞいている時、背後から御仏についてのありがたい説明の声が聞こえてきたのですが、「おぉ、陽が差してるうちに撮らなきゃ!」と、耳も貸さず一心に。
「おかあさんこの場所大好きなの!」の声が聞こえてきました。
本当、もう少し落ち着けたら言うこと無いんですけどね。
──ホント、このロケーションに人混みが写ってないのは奇跡的!
きっとデートで来た頃は、静かでいい雰囲気だったことでしょう。
この場所では、アングルを変えてあれこれ撮ってみてこれがいいと思ったのですが、後で見てみれば「どっかで見たことあるような?」気がしてきました。別に真似ようとしたわけではないのですが。
この「わらべ地蔵」を撮ることがひとつの目的だったのですが、どうも……
昨年はアナログカメラでダメだったけど、今回はデジカメで撮ってやる! と意気込んだのですが、カメラを構えて頭真っ白。
カメラとレンズを変えても、レンズの最大焦点距離が同じ200mmでは撮れる絵は一緒であること、その場に行くまで考えてもいませんでした。
ホント、マヌケ…… 今度買うレンズは300mmで検討します。
写真は別にしても、このお地蔵さんはなごめます。
門を出てから耳に入ったおばちゃんたちの会話。
「素敵なんだけど、もっと落ち着いたところかと思ってた」
「ホント、だって歌にあったじゃない、京都〜大原三千院♪」……
気持ちは分かるが唱わんでええって、おばちゃん!
あなた方が来なければ(わたしも含めて)、それだけ落ち着ける場所になるはずなんですが、観光地のジレンマですね。
いい所だからこそ、もう少し静かであって欲しいと思わずにいられないのでしょう。
実感です……
大原の山里(Map)
とても好きな風景です。
これからの寒い季節を越えて育つ作物なのでしょう、まだ苗木のような葉が並んでいます。
ここがうっすらと雪化粧した頃には、また一段とキレイな絵になるのだと思うのですが、「冬に来てみるか?」の自問に「ここの冬はメッチャ寒いでー」ですもの。
それじゃ、いい写真撮れないんだけどなぁ。
土産屋の店頭に色鮮やかな柿とゆずが交互に並べられていて、とても目を引くディスプレイだと眺めておりました。
そんな店のすぐ裏で「これからが本番ですから」と青い実たちが陽を受けていました。
白いつぶつぶがムシです。蚊柱ではないと思うが虫柱とでも言うのでしょうか?(→そう言うらしいです)
山里の夕方らしい光景に見えたのでそれを撮って、目立つようにモノクロにしてみました。
柿ってもうほとんど食べないんですけどねぇ、この季節の田園風景には欠かせないワンポイントなんですよね。
ここで「にいちゃん、食ってかねぇか」などと誘われたらおよばれするんですけど、そんなうまい話しは……
この写真を撮っていたら通りがかった熟年夫婦の旦那が「おぉ、柿だよ。ほら、いいだろこの写真。バックに青空入れたんだ、日本の秋って感じだろ!」と。
はいはい、きっとこんな絵だったことでしょう。
そう言えば、奥さんの声が聞こえなかった気がします。それってどんな状況だったのかは、想像つきますよね?
この里の好きなところに、歩いていて水音が絶えないことがあげられます。家の軒下の溝からもチョロチョロと聞こえてきますし、平家物語ゆかりの「朧(おぼろ)の清水」などもある水に恵まれた地だからこそ、表現として正しいか分かりませんが「豊かな山里」として、人が集い暮らし続けて集落が整備されてきたのだと思います。
これからの季節、落ち葉を集めたたき火なんか似合うと思いませんか?
やっぱりこの土地、好きだなぁー。
このすぐ目の前に「天然温泉」の看板があり、道路から見える場所には足湯喫茶(カフェって言うの?)があったりします。
うーん、温泉入りたいけど湯冷めしたくないしなぁ。そうか泊にくるのか、京都で一泊ねぇ。
それって、ワンランク上の贅沢というか「風情」ですねよ。
おぉ、それいいなぁ!
寂光院(Map)
右下の門の屋根に生えている苔が立派で、これも撮りたいと思っていました。ここでもアングルを探してウロウロしてましたが、まあ納得してます。
もう少しすると紅葉はキレイになるでしょうが、人出も一段と増えてくるので山里の雰囲気はいかがなるのでしょうか?
現在の京都(ここは山里ですが)の紅葉状況を表している絵です。まだ、一部が色づいているだけで見頃はまだ先と思われます。
人混みはイヤだと言いながらも、今年は一カ所だけチャレンジしてみようと考えるようになってきました。その時はご報告します。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり……」平家物語の巻頭ですが、ここで気になったのは「祇園精舎」の方でした。
調べてみれば、釈迦が説法を行った場所なんだそうで「祗園」の由来もそこからきているそうです(何だよ、また調べちゃったよ)。
P.S.
イメージとしてはこんな感じだったのですが、何か観光ガイドみたいになっちゃったなぁ、という気がしています。
ここに(ライブで)人を写したいとなると、時間がいくらあっても足りないかもしれません。
でも、ひとつのテーマであると考えています。
腰が痛くなるまで歩き回ってしまいましたが、とても楽しゅうございました。
みなさま方も、是非とも!(街中だけが京都ではありません)
【京都府】
三千院(Map)
近ごろ文章が多くなっていたので(それも調べた解説的なものが多く)、ちょっと写真集みたいなものにしたいと思っていました。
やはり2度目の訪問になると、見るべきポイントも分かっており写真に集中できるので、出来は別にしてもやりたいことは達せられた気がしています。
池に映った木々の葉ですが、これはまだ色づいていません。
池に映る姿にも紅葉の色を見て取れるものはあったのですが、まだ少ないもので具合良く撮れるものはありませんでした。
水って本能を呼び戻す力があるのでしょうか?
この前で中年夫婦が縁側を濡らしながら何やらはしゃいでおり、なかなか移動してくれません。
休日を堪能してリラックスしてしまい、場所を気にしていない様子です。
確かにそんな気分にさせてくれる場なので、気持ちは分かるのですが……
ファインダーをのぞいている時、背後から御仏についてのありがたい説明の声が聞こえてきたのですが、「おぉ、陽が差してるうちに撮らなきゃ!」と、耳も貸さず一心に。
「おかあさんこの場所大好きなの!」の声が聞こえてきました。
本当、もう少し落ち着けたら言うこと無いんですけどね。
──ホント、このロケーションに人混みが写ってないのは奇跡的!
きっとデートで来た頃は、静かでいい雰囲気だったことでしょう。
この場所では、アングルを変えてあれこれ撮ってみてこれがいいと思ったのですが、後で見てみれば「どっかで見たことあるような?」気がしてきました。別に真似ようとしたわけではないのですが。
この「わらべ地蔵」を撮ることがひとつの目的だったのですが、どうも……
昨年はアナログカメラでダメだったけど、今回はデジカメで撮ってやる! と意気込んだのですが、カメラを構えて頭真っ白。
カメラとレンズを変えても、レンズの最大焦点距離が同じ200mmでは撮れる絵は一緒であること、その場に行くまで考えてもいませんでした。
ホント、マヌケ…… 今度買うレンズは300mmで検討します。
写真は別にしても、このお地蔵さんはなごめます。
門を出てから耳に入ったおばちゃんたちの会話。
「素敵なんだけど、もっと落ち着いたところかと思ってた」
「ホント、だって歌にあったじゃない、京都〜大原三千院♪」……
気持ちは分かるが唱わんでええって、おばちゃん!
あなた方が来なければ(わたしも含めて)、それだけ落ち着ける場所になるはずなんですが、観光地のジレンマですね。
いい所だからこそ、もう少し静かであって欲しいと思わずにいられないのでしょう。
実感です……
大原の山里(Map)
とても好きな風景です。
これからの寒い季節を越えて育つ作物なのでしょう、まだ苗木のような葉が並んでいます。
ここがうっすらと雪化粧した頃には、また一段とキレイな絵になるのだと思うのですが、「冬に来てみるか?」の自問に「ここの冬はメッチャ寒いでー」ですもの。
それじゃ、いい写真撮れないんだけどなぁ。
土産屋の店頭に色鮮やかな柿とゆずが交互に並べられていて、とても目を引くディスプレイだと眺めておりました。
そんな店のすぐ裏で「これからが本番ですから」と青い実たちが陽を受けていました。
白いつぶつぶがムシです。蚊柱ではないと思うが虫柱とでも言うのでしょうか?(→そう言うらしいです)
山里の夕方らしい光景に見えたのでそれを撮って、目立つようにモノクロにしてみました。
柿ってもうほとんど食べないんですけどねぇ、この季節の田園風景には欠かせないワンポイントなんですよね。
ここで「にいちゃん、食ってかねぇか」などと誘われたらおよばれするんですけど、そんなうまい話しは……
この写真を撮っていたら通りがかった熟年夫婦の旦那が「おぉ、柿だよ。ほら、いいだろこの写真。バックに青空入れたんだ、日本の秋って感じだろ!」と。
はいはい、きっとこんな絵だったことでしょう。
そう言えば、奥さんの声が聞こえなかった気がします。それってどんな状況だったのかは、想像つきますよね?
この里の好きなところに、歩いていて水音が絶えないことがあげられます。家の軒下の溝からもチョロチョロと聞こえてきますし、平家物語ゆかりの「朧(おぼろ)の清水」などもある水に恵まれた地だからこそ、表現として正しいか分かりませんが「豊かな山里」として、人が集い暮らし続けて集落が整備されてきたのだと思います。
これからの季節、落ち葉を集めたたき火なんか似合うと思いませんか?
やっぱりこの土地、好きだなぁー。
このすぐ目の前に「天然温泉」の看板があり、道路から見える場所には足湯喫茶(カフェって言うの?)があったりします。
うーん、温泉入りたいけど湯冷めしたくないしなぁ。そうか泊にくるのか、京都で一泊ねぇ。
それって、ワンランク上の贅沢というか「風情」ですねよ。
おぉ、それいいなぁ!
寂光院(Map)
右下の門の屋根に生えている苔が立派で、これも撮りたいと思っていました。ここでもアングルを探してウロウロしてましたが、まあ納得してます。
もう少しすると紅葉はキレイになるでしょうが、人出も一段と増えてくるので山里の雰囲気はいかがなるのでしょうか?
現在の京都(ここは山里ですが)の紅葉状況を表している絵です。まだ、一部が色づいているだけで見頃はまだ先と思われます。
人混みはイヤだと言いながらも、今年は一カ所だけチャレンジしてみようと考えるようになってきました。その時はご報告します。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり……」平家物語の巻頭ですが、ここで気になったのは「祇園精舎」の方でした。
調べてみれば、釈迦が説法を行った場所なんだそうで「祗園」の由来もそこからきているそうです(何だよ、また調べちゃったよ)。
P.S.
イメージとしてはこんな感じだったのですが、何か観光ガイドみたいになっちゃったなぁ、という気がしています。
ここに(ライブで)人を写したいとなると、時間がいくらあっても足りないかもしれません。
でも、ひとつのテーマであると考えています。
腰が痛くなるまで歩き回ってしまいましたが、とても楽しゅうございました。
みなさま方も、是非とも!(街中だけが京都ではありません)
登録:
投稿 (Atom)