2008/06/30

あさき夢みし──地蔵院

2008.6.10
【京都府】

 近ごろ引越しの準備等で新幹線に乗る機会が多いのですが、必ずと言っていいほど修学旅行の団体に遭遇します。
 この数日間はいつにも増してハイテンションで古都を駆け回っていたろうに、帰りの新幹線でも席に座らず騒ぎ回っております。どこにそんな元気があるのだろう? 先生方はいすに腰掛けあくびをしています……
 約30年前には元気玉のようだった(?)わたしですが、その時以来となる古都との再会に、現在の自分としてはかなりのハイテンションで歩き回ったつもりでおりましたが、新幹線では当然のように居眠りをするようになってきました……


 地蔵院(Map)

 この鮮やかな緑は「かえで」です。
 主役とされるのは紅葉の時期に違いないのですが、この時期の青葉の輝きも本当に見事です。
 もし可能であれば、紅葉の名所とされる場所を新緑の季節に訪れてみてはいかがでしょうか?
 きっと、この緑のまぶしさもまぶたに焼き付くのではないかと思われます。
 ──それがまさに「四季を楽しむ京都の文化」なのだと思います。この季節でもウグイスの鳴き声がとても印象的で、いまどきは子育ての頃でしょうか?

 門の奧に見えるのは竹の幹で、竹の寺と呼ばれるにふさわしい存在感があります。
 この日は結構風があり、はるか上の方から風に揺らされた竹同士の「カサカサ」とこすれ合う音が聞こえると、ほどなく樹皮(というのか?)がハラハラと舞い落ち、光に照らされとても幻想的な光景を作り出します。
 ──しばらく粘ったのですが、三脚でじっくり構えないとちょっと難しい絵柄という感じでした。


 ここは再訪を最後まで取っておいたお気に入りの場所です。
 わたし好みの静かな一画で、近くにある苔寺(西芳寺)と同じく臨済宗の禅寺になり、南北朝時代の武将である細川頼之(よりゆき)が、夢窓国師(むそうこくし)の弟子を招請して開いたそうで、一休さん(一休宗純)が幼少時代を過ごされたそうです。
 細川家は鎌倉時代から現代まで続く名家だそうで、傍流(嫡流ではない)とは言え江戸時代までは熊本藩主だったわけですから、細川護熙(もりひろ)元首相が地元で「殿」と呼ばれるのも理解できます(ここを訪れた時の写真が飾ってありました)。
 大徳寺にある細川ガラシャの墓など、京都では細川家ゆかりの記述をよく見かけますが、それこそ室町の時代から続いている名家の証しなのでしょう。
 ──本件に関してあまり感心はないのですが、これまでガラシャ夫人にふれなかった気がしたもので。

 境内に人影はないのですが、奧にある方丈の縁側には10人ほどが陣取りペチャクチャしゃべっていて「あぁ、ガッカリ……」。
 やはり「京都は冬に限る」です。
 前回もふれた玄関脇にある「くすんだ鏡」ですが、前回よりクッキリと自分の姿が映されている印象を受けました。掃除したのだろうか?
 季節によって変わるのか、自身の心に左右されるのかはちょっと不明ですが、そのにぎやかな方丈には居場所のない自分の姿はクッキリと見て取れました。


 やはり禅寺も冬に限るのかも知れません。
 厳しい環境の中でこそ自身と向き合い、瞑想ができるということなのでしょう(冬は静かな場所ですよ)。
 また冬に来なくちゃ!


 松尾大社(Map)


 松尾大社の鳥居に下げられた「榊の枝」です。
 これは神社の中でも結構古いしきたりになるそうで、現在においてはアイデンティティのアピールとも言えそうです。
 下写真は渡月橋より。


 タイトルの「あさき夢みし」の言葉をわたしは、実相寺昭雄(じっそうじあきお)監督の映画タイトル(1974年)から拝借したつもりなのですが、調べてみれば確かに「いろは歌」の最後に「あさきゆめみし ゑひもせす」のくだりがあること思い出します。
 意味などは全然分からずとも、五十音が並んでいる語呂合わせとして記憶にたたき込まれた、という印象がありました。
 確かに学ぶ側の関心の無さという問題はありますが、教える側にもそこに込められた意味をちゃんと説明していたのか、という疑問もあります。
 しかし、そこに込められた本質的な意味については、無常観をうたった歌、仏教的な内容の歌であるなど、さまざまな解釈がされていたりとあいまいなものだそうです。
 わたしは「はかなき夢をみた」という意味で用いようと考えたのですが、本来の意味は「そんな夢もみずに」なのだそうです。
 何とも「もやもや」した説明になってしまいましたが、京都での見聞もしばらくするとそんな「もやもや」した経験談になるのだろうと、テーマとしてはあながち外れてはいないのでは、と思っています。
 引越しも目前に迫り、京都(関西)からのレポートはこれが最後となります。
 ──プータローのくせにいつまで遊んでいるんだ! の声も聞こえそうですし……

 「人生の中で、毎週末京都へ遊びに行ける場所で暮らせたことに感謝!」との、あまりにも貴重で楽しい日々だったので、こんなレポートですが自分としては、外から見れば「アホちゃうか?」と思われるくらい力を入れておりました。
 「来週も遊びに行きたいから、見たモノは早く片付けねば」との思いから夜中までやってたりと……
 被写体が素晴らしいので、写真を撮るのが楽しかったことと、それをどんな形であってもまとめておく習慣づけができたことは、とてもいい経験になりました。
 新幹線から京都駅に降り立ったとき「あぁ、帰ってきた。ただいま!」と思うこともなくなるのかと、すこし寂しく思える程度の里心がついたということも、こちらでの2年弱の生活の思い出になるのではないか、と思っています。

 東京に戻って続けられるかは不明ですが(行ってから考えます)とりあえずは、これまでお付き合いいただきありがとうございました。

 高槻にて。


 P.S. おまけの1本は引っ越しが落ち着いてから追記させてもらいます。

2008/06/10

ここも野鳥の楽園?──植物園、鴨川(賀茂川)

2008.6.8
【京都府】

 京都府立植物園(Map)


 雨の予報だったのでのんびりするつもりでしたが、梅雨の晴れ間に誘われてのこのこ散歩に出てきました。
 地下鉄の北山駅下車になりますが、駅の上を通っている北山通り沿いには気取ったお店が並んでおり、その手の女性が闊歩(かっぽ)する一画になります。
 またチャペルを併設したおしゃれな結婚式場がいくつもあり、この日はそんなお日柄だったのでしょうか、着飾った集団をいくつも目にしました。
 そりゃ6月の日曜日ですものね……

 特に目的が無いと来てしまうのですが、規模は大きくなくともそこは植物園、季節ごとに見るべきモノがあるので裏切られません──エッ、着飾った女性? オヤジと言われます……
 いまどきは菖蒲とアジサイ(アジサイ園はパッとしなかった…)、ハスはもう少しあとになるのでしょうか。
 手前のむらさきの花は「アリウム・ギガンテウム」というネギの仲間だそうです。
 大木に実がなっており近づいてみると、ヒマラヤスギにマツボックリのようなモノがいくつも枝の上につぼみのように上を向いてついています(右写真)。
 スギなのにマツボックリではおかしいわけで「球果(きゅうか)」というのが正式な名称のようです。でも遠くから見ると大木に花が咲いてるように見えるコントラストです。

 植物園を出て、賀茂川沿いを下りました。
 「鴨川」の名称は、上賀茂神社方面の西側から流れる賀茂川と、大原方面の東側から流れる高野川が、下鴨神社の南に当たる出町柳(でまちやなぎ)付近で合流した下流の名称になります。
 土曜に比べると日曜は観光客は少なく、近所の人が散歩やウォーキングする姿が多い気がします。


 出町柳(でまちやなぎ)──鴨川合流地点(Map)

 この合流地点の河原にはちょっとしたスペースがあって、のんびりするにはいい場所だと思うのですが、いつも京都大学のテントが張られており何かしらのイベント(合コン系)をやっています。
 キャンパスが近いので分かる面もあるのですが、京大が何かやるとなるとワッと人が群れるような印象があり、こちらでは京大が人気独占のひとり勝ち(東大+慶應という感じ)なのでは、と思ったりもします。


 この合流地点には川を渡れる飛び石があるのでそれを撮ろうと思ったのですが、晩の雨で水かさが増えて水没しているため他の絵を撮り、振り返ったすぐ近くに何かがいて驚いたのが、この写真のサギでした。水音が大きいので全然気付きませんでした。
 獲物を狙っているのは分かるのだけれど、逃げないんだよね。と言うか、ここが彼(or 彼女)のテリトリーだったのかも知れません。
 京都の人たちは野鳥を静かに見守っているからなのか(餌づけしているのだろうか?)、「お前らには捕まらないよ」の余裕なのか、人を怖がらないおかげで至近距離(5mくらい)から撮ることができました。
 10分くらい対面していましたが、そんなしぐさを観察していると飽きることもなく、バードウォッチャーの気持ちが理解できる気がしました。
 しかし、そのためには虫よけを常備しておかねば。虫に刺されてもジッとしてないといけませんから……

 こちらに来て、河原がある程度の川には当たり前のようにサギ類が見られることに驚きました。エサとなる虫や小魚がいるからでしょうし、少し離れれば田んぼなども結構あります。
 この程度の環境が、野鳥が暮らせるギリギリの線かも知れないとも思うのですが、餌づけ等の情報がありましたら教えて下さい。
 

 上は、遅ればせながら先日の「鯖街道」の起点の写真になります。
 鯖街道の道すがらどこで目にしたのか忘れましたが、昔、海外の人を通訳しながら京都を案内した人が、鴨川を「river」と訳して「これがriver?」と笑われたことがあったそうです。
 「river」は「大河」のような意味で用いられるそうですが、言葉本来の意味はもちろん、文化の違いもあるかと思われるので、現代の日本通の外国の方にどう表現するのがふさわしいか、お聞きしてみたい気がします。