2007/06/09

包み込まれて浮遊したい!?
 ──三十三間堂、智積院

2007.06.09
【京都府】

 豊国廟(ほうこくびょう)(Map)


 秀吉の墓です。
 標高196mの阿弥陀ヶ峰の山頂にあります。
 家康に墓をあばかれ、遺体を掘り起こされ燃やされて遺灰を捨てられた、などとの言い伝えも耳にします。
 そこまでやってようやく、江戸幕府300年の安寧を手にできたと言いたいのでしょうが、どうも近ごろの民族紛争を想起してしまいます。
 相手を根絶やしにしするまで戦いが続くなら、それができない相手同士は子孫が続く限り「それが宿命」とでも叫びながらいがみ合うことになってしまいます。
 それでは、人間はみな戦う宿命に生まれてきた、と言われているようでとても気に食いません。
 一同が京都に集まって、お茶会でもして頭を冷やせたらとも思うのですが、この土地にもとても冷たい一面があるので何とも言えません。そんな話しはまた後日にでも。

 多少、見晴らしがきくかと思っていたら、この季節は若葉が茂っていて見通しがありませんでした。ゼイゼイ……
 もうほとんど、登るのやめて下から写真撮って終わりにしようと思っていたのですが、ちょうどその階段で高校の野球部がトレーニングしており「こんにちは、ここキツイっすよ!」と声を掛けられ「ガンバレー!」なんて言っちゃった手前、引き下がれなくなって登らされてしました。
 右上の写真を撮った場所は頂上目前で、ここまでにはこの4倍もの階段があります(リンク地図の左から「豊国廟」をクリックして拡大表示して見てください)。
 下りは結構急な階段で、踏ん張りが効かず緊張していたのか、足元を確かめる目に力が入るようで、こめかみあたりが痛くなってきました。
 高校生と張り合ってどうするの? でもこれって、反省しても直らないんだよねぇ、何せ「衝動」ですから。
 痛い目に遭う(悟る)までの愚かな修行ということにさせてください……
 565段?(金比羅さんの舞台までは785段とのこと。でも、途中に息つくところもあったし)それを直登だものバテるわけだよ……
 階段を下ると、京都女子大学(付属中・高校)があり、女子高生の中を汗だくで足取りがヘロヘロのおっさんが歩いていれば、変な目で見られていると思いつつも、足がシャキッとしないのです……


 妙法院門跡(Map)


 板葺きの屋根を撮りましたが、何だか分かりませんね。
 内部は公開されておらず、外観だけです。
 三十三間堂(蓮華王院)は、ここ妙法院の管理下に置かれているそうです。
 そんな印象しかなくてスミマセン。まだ、汗をふきふきだったもので……
 案の定、ふくらはぎが痛くなったのは月曜日でした(行ったのは土曜日)。



 智積院(ちしゃくいん)(Map)


 手入れが行き届いて整然としている東山風のお寺は久しぶりで、また結構贅沢だったりするんだろうと、さっさと出てこようと思っていました。
 ところがどっこい、襖絵がまことに見事でした。
 とても力強い線と写実力ゆえ、背景を金箔にすることでやっと調和が取れるとでも言うのか、見事に全体から均質な光が放たれているように思えました。
 庭園も見事で、面する部屋にその襖絵が配されていたとのことで(実物は収蔵庫ですが、部屋には実に安っぽい模写が配されている)、庭園に面した部屋に実物の襖絵が配されていたら、一日中動けないのではないか、とすら思えました。
 今まで美術品に対して何の反応も示してこなかった奴が何で急にテンションが上がっているんだ? と思われるでしょうし、自分でも思いますが、「ここは実物(本物)なんです!」。
 わたしは「違いの分かる男」(これもえらく古い!)と言うつもりはありませんが、レプリカだけを飾っているお寺などとは全然違いますって!
 わたしは何でも、初物に接する時にはできるだけ解説に接しないようにして、出会った時の印象を楽しみたいと思っているのですが、この絵と対峙(たいじ)した時は、本当に興奮しました!
 長谷川等伯(作者)の名も知りませんし、この寺にそんな国宝の襖絵が展示されているなどということも知りませんでした。
 ──ほらまた出た。勉強しますとか言っておきながら何もしてないじゃん……
 加えて、ここが関東の成田山(新勝寺)、川崎大師(平間寺)、高尾山(薬王院)の本山であること知りました(真言宗でも、高野山直系ではないことしか知りませんでした)。
 そんな反省はもう慣れっこで何度でもしますが、有名な襖絵等を所蔵する他の寺院も、現場でなくてもいいからせめて敷地内でそれら「実物」の絵を展示しないと、総合的なイメージを作り損ねてしまい、妙にねじれた印象を拝観者に与えてしまうマイナスの面があるのではないか、と思いました。
 そういう重要とされる絵は、博物館に取り上げられてしまって思うようにならないということも考えられますが、それは国の文化・教育政策として「あるべきところで見せなければ、正しく認識されない」と考えるべきなのではないだろうか。
 そんなことを強く感じさせられた「国宝」の襖絵でした。
 趣味の問題もあるとは思いますが、是非ともオススメです!


 三十三間堂(Map)


 是非とも行ってみたかったところのひとつでしたが、想像以上でした。
 「堂内では静かにおまいりください」と盛んにアナウンスされ、そんなに騒がしいところなのかとちと不安になりましたが、お堂に入って端っこに立った瞬間に、立ちつくしました。
 ズラーッと並ぶ並ぶ金色に輝いた観音様。一番手前の像の精緻さに目を奪われ、その素晴らしさに心奪われた次の瞬間「これと同様の像がズーッと並んでいるのか」と、声にならない感動を心の中でつぶやいていました。
 中央の中尊(巨像)を挟んで、左右に各500体ある計1001体の千手観音がご本尊だそうです(見れば納得)。
 その手前にも28体の仏像が配されており、最初に迎えてくれる雷神像をはじめ、その個性と力強さに視線が釘付けになります。
 どこを見ても決して飽きることはないし、進むにつれご本尊に包み込まれていく感覚を全身で感じられ、他では経験のない安らぎと、至福感を与えてくれます。
 そんな中央の大きな中尊の前で、夜一人で寝てみたいと思いました。
 その夜にはきっと王虫(オーム)の黄金の触手に持ち上げられたナウシカのように、観音様に宙に持ち上げられる夢を見られそう、などと想像したりしました(イマジネーションが乏しくてスミマセン)。
 ──わたくし初めて「空中浮遊」などということを思い浮かべました。観音様たちに抱かれて足が地から離れたとしたら、どんなに心地いいことだろう、と…… ボチボチ、頭の中にまで京都の毒(?)が回ってきたのかも知れません。

 日本で唯一、と唱っているだけあります。
 ここは、是非一度来るべきです。本当、他にはありませんから!
 来て、見て、ご自分で判断されてはいかがでしょうか。

 「堂内では静かにおまいりください」とは、現在は手を伸ばせば届くような場所で国宝を見られるが、何か起きたらこんな近くでは見られなくなってしまいますよ、との警告なのかも知れません。




 京都国立博物館(Map)

 タイムアップで、正門からの写真だけです。
 三十三間堂で時間食い過ぎました。
 また、何かの展示会の時にでも。
 ──奈良の、正倉院展みたいに大混雑かも知れませんが……

2007/06/02

ということば──壬生界隈、西・東本願寺

2007.06.02
【京都府】

 光縁寺(Map)

 最初に断っておかなければならないのは、わたしは新撰組ファンではないということです。
 幕末に対する見解においては、革命推進派への思い入れが強いので、新撰組は敵に含まれます。まあ、目くじらを立てることではありませんが、本もテレビも見てないので知識はほとんどゼロです(映画の『御法度』は観ましたが、役に立ちませんわね)。
 ここは隊士たちの墓があることで有名になり「沖田の墓は何でないんだ?」の問い合わせに窮した住職が、自分で沖田の墓を作ったとの逸話があるそうです。
 そうでもしないと納得しないファンの心を静めてくれた、心温まるお話しです。
 でも、過去の偉人たちを供養しようと建てられ今に伝わるものはたくさんありますから(義経に関するものなど数えられないのではないか?)、これも方便と仏様もおとがめにはならないでしょう。


 八木邸(Map)


 新撰組の壬生屯所として一般公開されています。近くの前川邸(新撰組とは関係ないが昔の町中の写真が展示してあり、嵐山の渡月橋の素朴さに見入ってしまいました。室内未公開)など、いくつもの家に分宿していたようです。
 八木邸では芹沢鴨がつまずいた文机や、かもいの刀傷などの伝説と身近に接することができますが、入館料1,000円です。
 説明員の方が解説してくれるのですが、再訪らしいおっちゃんが「これが刀傷や、ずいぶんすり減ったなあ」と「触らないでください」の注意書きのある傷跡をなでなでしてるのを、説明員がやんわり注意すると「○○(場所名)にある鉄砲玉の跡もツルツルやったで」と、手振り(指をグリグリ)をまじえて解説してました……
 減るモンなんですから、お客さん! お触りは禁止です。
 

 壬生寺(Map)

 新撰組の訓練場だったとのこと。昔はもっと広かったのかも知れませんが、ここで大砲を撃ったなど現在では想像できません。
 境内の一角に、新撰組コーナー的な庭があり、石碑や銅像(近藤勇)などが狭い場所に並べられています。壬生寺のホームページには「京都における新選組に関する資料は極めて少ない」ともあり、あまり好感を持たれていなかったのではないか? という印象を受けました。今では、そのおかげで人が集まって来ているのに、とも思うのですが……

 以前、節分の晩に偶然通りがかり、ものすごい人出の中で次々と炮烙(ほうろく:素焼きのお皿)に願い事を書いて奉納していたのが、とても印象に残っていました。
 その後、名前だけは耳にしたことがある「壬生狂言」(境内の狂言堂で行われる)で、奉納された炮烙を舞台から落として割ることで無病息災を祈願する様子をテレビで見ました。
 なるほど、行事を連携させていくことで人の心をつなぎ止めているのかと、節分のあの賑わいのわけが分かった気がしました。

 門の前でどこを撮ろうかと、キョロキョロしている時「旦那さん京都の人かい?」と、写真の自転車に乗った老人に声を掛けられました。
 この方「私設解説員」らしく、新撰組とこの界隈の歴史についてあれこれ聞かせてくれました。
 新撰組についてド素人のわたしは「○○(人名)を知っとるかね?」と、何人かの名前を出されても「いえ知りません……」と答えるしかなく、老人も話しがいのない奴だと思っていたことでしょう。
 きっと、名物じいさんなのではないかと思いつつも、新撰組ファンの方はこの方が元気なうちに壬生寺へ出かけられることをオススメします。ちなみに、訪れたのは土曜日です。
 上の写真にも写っているし、付近を結構チョロチョロしています。イエイエ、決して悪口などではありませんよ……




 島原(Map)


 昔は、祗園よりも格の高い花街だったそうです。
 上が島原大門で、花街の入口です。
 右が輪違屋(わちがいや)といって、現役の太夫(花魁:おいらん)のいる置屋で、太夫道中(花魁道中をそう言うらしい)を復活させたそうなので、一度拝見してみたいと思います。
 その下の角屋(すみや)は揚屋といって、太夫を呼んで宴会を開く座敷だそうです。
 久坂玄瑞密議の石碑があることからも、きっと倒幕派と佐幕派が鉢合わせた花街ってのは、この辺りだったのではないでしょうか。

 新撰組ド素人でも、の隊旗は知っている訳で、その言葉を考えながら歩いていましたが、もはや死語なのではないか? と……

 彼らの誠は、幕府(主君)への忠誠心であり、武士道の根幹となるべきものであって、そこに自身の存在理由も求められるほど純粋で、ある意味美しい精神であったと思われます。
 でも、今はどうなのでしょうか? 会社への忠誠心と言っても、それは契約に過ぎず(キリスト教などの神との契約とは意味が違うし)契約が切れたら(定年が来たら)一度ご破算になるわけで、それでも愛社精神を持ち続けることは大切ではあるけれど、命を賭して守るべきモノという感覚ではないと思う。
 では、どこで使われるのだろう?
 夫婦間で使われるのであれば納得できますが、だとすれば現代の誠は人の数だけある分求心力を持っていないわけで、それは当時のとは本質的に違っている、と思われます。

 不要であると言うよりは、必要としていない、と言った方が近い気がします。
 いざ、と言うときには「島国根性」の旗の下に一枚岩になれるとも思いますが、それでいいのだろうか? の答えは、民族・宗教紛争が絶えないこの星では、なかなか見つからないのかも知れません。
 新撰組に参加した田舎の若者たちは「いざ!」という時代に参加するためのより所として「」なることばを祭り上げたのではないかと思います。
 倒幕派の若者たちも同様に、国を挙げての祭りに参加するため「錦の御旗」が必要だったのだと思います。
 しかし、転がりだした現実は旗印をはるかに超えてしまい、収拾がつかなくなってしまったわけで、その後の戦争のような「玉砕」を覚悟した内乱を避けるために、(故郷への心)を守ることで殉死したと言える西郷隆盛(と理解していますが、違っていたら指摘してください)を最後に、その言葉の意味する概念は消え去ったのではないでしょうか?
 その後の戦争は明らかな侵略であり、切ないほどの履き違えを強いられていたわけで、その時代の「誠」ということばはすっかり色あせていたのではないかと思われます。

 大切なのは(血を流すことが必要かは別にして)、みんなが真剣に国の行く末を考えたということなのではないでしょうか。
 だからこそこの時代においても、立場を越えて往時を偲ぶ人が絶えないのだと思っています。


 西本願寺(Map)


 現在本願寺(西・東)は平成の大修復作業中で、工事中の壁や柵に囲まれ中をうかがえません。
 ──上の写真は、門前を横切る堀川通を挟んだ場所にある外門に続く門前の通りから西本願寺の工事中の壁をのぞんでいます。
 しかしそれにしても、どちらもデカイ!
 それは、信仰の対象としての「大本山」のありがたみというよりは力の誇示に見えてしまうほど、広い土地と大きな建造物からの威圧感に圧倒されてしまいます。
 ──知恩院(浄土宗総本山)もデカイと感じましたが、まだ象徴的な存在と感じられました。
 日本で最も信者が多いとされる浄土真宗であったとしても、西は秀吉、東と知恩院は家康の庇護を受け発展したそうなので、どちらも本質的な教義の優劣で勢力を伸ばしたとは思えない点では同じではないかと感じてしまいました(こんなこと書いたら怒られそう……)。
 信者が増え、宗派に属する寺が全国に数多く存在する総本山とすれば、それらを束ね導き、後継者の育成そして管理までせねばならないわけで、大きくなければやりきれないというのも現実、とも理解できますが……

 ※ここで、フォローの豆知識。
 浄土真宗は通称「一向宗」「門徒宗」と呼ばれます。そうです、日本史で耳にしたことのある「一向一揆」の張本人です。それじゃ、フォローになってない?
 でも「浄土真宗の門徒全体がこの動きに同調していたわけではない」ことをわたしも初めて知り、ひとつ偏見が取り払われたということで……




 太鼓楼(Map)


 西本願寺の太鼓楼近くに移った新撰組ですが、太鼓楼にまつわる記録にも良く書かれたものはないらしく、結局不動堂村へ寺のお金で移転させられたようです。
 どちらでも目にしたのが「豚を飼う」迷惑ということですが、当時の京都で豚を飼うなんてあり得ないことだったのだと思われます。
 そうか新撰組の若者たちは、幕府の下で待遇が悪くとも「武士」としての振る舞いを認められたい一心で上京した田舎者ばかりで、都人たちにうとまれる存在だった、ということか。
 ──倒幕派の連中も同様にさげすまれて見られていたことでしょう。
 それでも腐らずにを貫くことに春を燃焼させた若者たちだった、ということなのでしょうか?
 であれば、わたしも思い入れができる気がしてきました(何を今さら、ですけど……)。


 東本願寺(Map)


 西も東も「大本願寺」に違いない。
 などと、解釈を放棄したようなこと言って申し訳ありませんが「もう十分」というのが本心です。
 ですが、ここで目立つのがアジア系(韓国・中国)の観光客です(以前も、韓国の観光客に道を尋ねられた)。
 あちらに友好寺院でもあるのだろうか?
 「そこ、ちょっと勉強不足ですねぇ」と突かれたらグゥの音も出ない……

 何か、もう調べる意欲もなくてスミマセン。
 今回は新撰組ゆかりの地ということで、ちゃんと書かないとしかられそうな気がして、リキを入れたので果てました……

 本願寺の南側は七条通になり、JRの京都駅はもう目の前です(写真後方は京都タワー)。
 次回からの京都行きは、阪急(四条に駅がある)ではなくJR京都からのスタートになります。

2007/05/26

鴨川あそび──三条大橋〜五条大橋

2007.05.26
【京都府】

 三条大橋(Map)


 橋の本体はコンクリート製ですが欄干は木製なので、やはり絵になる橋です。
 東海道と中山道の終点だそうです。テレビの「街道てくてく旅」だったか、歩いて踏破する企画で聞きました。
 川面の堰がはいると、グッと京都らしくなります(いい写真ではありませんが…)。
 昨日の雨の影響でとても水量が多く、ちょっといつもとは表情が違います。
 上流の賀茂川(上賀茂神社方面:西側)と高野川(大原方面:東側)からの流れが、下鴨神社・出町柳(でまちやなぎ)付近でYの字状に合流して鴨川になります。
 ですから市街区域では水量が増えているのですが、流れを管理することで水深の浅い「サラサラ感」を演出しているのだと思われます。
 そのおかげで心地よい憩いの場になっていて、京都の街には欠かせない水辺だと思います。
 桂川は、どちらかというと郊外の避暑地的な印象があるので、やはり京都の街には鴨川です。


 四条大橋(Map)


 一番の繁華街であり、週末の夕刻などは立ち往生するほど混雑する一角です。
 そんな橋の上を何度も歩いているので、橋の下からこんなにものんびりとした絵が撮れるとは驚きました。
 橋の奧は歌舞伎劇場の南座で、その奧と道を挟んだ左手が祗園、背面側が先斗町になります。
 舞妓修行中の若い娘には「まだ一人で、四条の橋を西側に渡ったらいけんよ」と、くぎを刺される掟が横たわる深い川であること、テレビで見ました。
 裏返すと、橋の向こう(祗園)は違う世界だと言ってるようにも聞こえますが、未熟な者が目が届かない所へ迷い込むことを戒めていたのではないでしょうか。
 逆にわれら未熟者たちは「橋の東側に一人で行ったらいけんよ」という場所なのかも知れません……
 今でも、情のつながりの姉妹関係が保たれていて、花街ぐるみで若い舞妓・芸妓を育成しているそうです。そりゃ確かに、違う世界だよなぁー。
 まだ明るいうちはこんな程度ですが、夕方になるとこの川岸にズラーッとカップルが並びます。
 背面側にある納涼床(川面の上に縁台を設けて涼を楽しむ席)が騒がしかろうと、となりがすぐ近くにいようと関係なく自分たちの世界に浸っているのでしょう。
 でも、それもありだと思います。思い出に残るしね……
 エッ、ひがんでいるように聞こえる?


 団栗(どんぐり)橋(Map)

 これ、これが納涼床。
 人工水路の禊川(みそそぎがわ)の上に、川岸の店から張り出された縁台で涼を楽しむ席です。
 この水路は、丸太町付近の以前花見の時に紹介した発電所からの水路(琵琶湖からの水路)との合流地点付近から始まっていて、五条大橋で鴨川に戻ります。
 元々、洪水対策で整備されたとのことですが、今では観光のために整備を欠かせない存在になっていますよね。
 これを始めたのは料亭やお茶屋だったそうですが、今ではエスニックからバーや喫茶店まで様々なお店があります。
 鴨川遊びと言ったらこれだよなあー。是非一度、とは思っているのですが……
 誰か行きませんかー、希望者を募集しています! でも、決して涼しくはないそうです……


 松原橋(Map)

 ここから西側の松原通で見かける「五条」の名や「牛若と弁慶」ゆかりの寺などを目にすると、ここが当時の五条大橋付近との説明が納得できてきます。
 現在の五条大橋は、秀吉が町の区画を整備し直したことによるそうなので、「京の五条の橋の上〜♪」の年代の方が昔ですから、この辺りだったのかも知れません。
 現在の地図を見ても、バランス的にその説明の方が正しいのではないか、と思われます。
 そんなおかげで取り残されたと言うか、メジャーな大通りにならず橋は一方通行の1車線で、両岸から先の通りも昔の道幅しかない下町風な面影があります。川の東側は以前紹介した祗園の宮川筋ですし、落ち着いた雰囲気で人も少ない場所なのでオススメかも知れません。


 五条大橋(Map)




 現在五条通と呼ばれている道(秀吉が付け替えた)は国道1号なので(京都の看板?)、道路も、装飾もかなり力がはいっています。
 欄干は石造りで、タマネギの金属部分には昔の年号で「正保」の文字が見られるので、まだ京都が都だった時代に作られた物と思われます。
 タマネギのことを擬宝珠(ぎぼし)と言うそうで、由来としてもタマネギの形からきたとも言われているそうです。勉強ついでに、先ほどの三条大橋の擬宝珠が日本に現存する最古のものだそうです。
 橋のたもとには「扇塚」があります。ここには平家ゆかりの寺があったそうで、源平合戦の一ノ谷の戦いで亡くなった平敦盛(あつもり)の妻がここで扇を作ったそうです。
 やっぱり昔の五条大橋はここではない、との思いを強くするのですが、ではこの二人「牛若丸と弁慶」はどうしたらいいのか?
 現存する「五条」の橋のたもとで、排気ガスにまみれるしかない、というオチしか見つからずスミマセン……

 鴨川と平行して物流用水路として作られた高瀬川は(鴨川には昔から堰が作られていたためではないか)、二条大橋付近から始まっており、木屋町通りなど歓楽街の中を流れています。
 今回は鴨川を歩いてきましたが、高瀬川沿いに歩いても散策路として結構楽しめると思います。そのうち歩いてみたいし、まだ続いているので次回以降に登場するものと思います。お楽しみに。(写真は五条大橋付近)


 高辻通(Map)



 仏光寺通(Map)


 写真にはありませんが、万寿寺通や松原通などには職人さんのお店が昔の風情で並んでいたり、万寿寺通の東側など車が1台通れるだけの狭い通りだったりと、昔の風情が残されています。
 ここで思ったのは、昔の中心街である二条・三条・四条を挟んで、南北に離れるにつれ昔の暮らしが残されているように見える、ということです。
 でも、五条の南へ行けばJR京都駅が近くなってくるしなぁ、と思いながらも、まだ風情の残る町並みがあるかも知れないと、気を取り直しています。
 仏光寺通(四条通の南側に平行に伸びている)辺りまで来ると、四条通まで綾小路を挟んで200m程度なので、観光客も目についてきます。
 写真の人は違いますが、観光に自転車を使っている人をよく目にしますが、それ正解だと思います。市街地を回るなら平坦だし、路地をスイスイと小回りが効くし時間が節約できると思います。
 でも、事前に調べておかないと、東山なんかで「ここは自転車は無理だろう」ってな人も見かけますから、お気をつけて。


 P.S. 近江屋跡(Map)

 2週前(京都ストリートでお腹一杯になり)行き忘れた龍馬、慎太郎最期の地です。
 河原町通に面した繁華街(旅行代理店前)にあります。
 ここは、隠れ家としていた酢屋(海援隊屯所)や脱藩したとはいえ土佐藩邸から、2〜300m程度の場所にあり、昔の人の行動範囲は狭かったのだろうかと思ってしまいます。いざとなったら、高瀬川から船で逃げることも考えていたのだろうか?
 わたしが隠れる気ならば、鴨川を渡ったのではないかと思いますが、橋は警備の目が厳しかったのかも知れません。それに彼らも、祗園で遊べるほど裕福とは思えませんしね…… だったとしたら、共感度急上昇です!
 いくら知り合いの家とは言え、こんな町中にいたのだからかなり油断していたように見受けられますが、それが彼らしさだったのかも知れません。

2007/05/20

京都ストリート案内2──頑張れ京町家!

2007.05.19

 京都ストリート2(Map)

 先週の5本の通りを烏丸(からすま)通をまたいで西の区画に追いかけよう、というのが本日のテーマだったのですが、町の様子がガラッと一変してしまいネタを見つけられないまま歩き終えてしまいました。
 烏丸通りは、京都駅から北へ延びるメインストリート(地下鉄も通っている)ですから、通りの両側にはビルが林立しています。
 その通りに面したビルのすぐ裏に、どっこい京町家のお店が陽も当たらないであろうビルの谷間で頑張っています。ビルが凹んでいるところまで町家の奥行きがあるようで、ウナギの寝床のイメージが分かると思います(写真が暗いのは腕が悪いせいです、反省)。
 近くにも、ビルの裏側に長屋的な町家が残されている一角があります(保存家屋に指定されている様子)。残して欲しい気持ちはありますが、土地は一等地ですから(東京で言えば日本橋界隈か?)便利はいいにしても、陽も当たらないような場所の家屋を保存するために生活していくというのは(生活している方の話しを聞いてないので分かりませんが)、どんなものかと思ってしまいます。
 そんな建物の保存方法のひとつとして、写真(全部店舗)のように商業や公共施設的な利用をしていければ、活気も失わず建物も残せるのではないかと思うのですが、安易な考えなのだろうか? そんな町家を改造したお店で、入ってみたいところいくつもありましたから……(中の写真のは大正時代の建物だそう)
 下の写真のお店は(ちりめんじゃこ屋だったか?)、何でもありに過ぎるかも知れませんが(沖縄のシーサーも乗っているし)、それも京都ならではのチャレンジということで認められているのではないかと思いました。
 京都には、沖縄関連ばかりではなく異文化を取り入れたお店が結構多くあり、常々京都人の感度の良さを強く感じます。
 東京の経済的結びつきとは違う意味で、国際交流が日本で最も盛んとも思われる京都では、文化的な交流が人々の感性を磨いているのではないかと思ったりします。
 もし本当にそうだとしたら、それはまさに理想的な国際交流のあり方なのではないでしょうか?
 これ、すごく大きなテーマだと思うので、また考えがまとまったらまた落ち着いて書きたいと思います。

2007/05/13

京都ストリート案内(Hanako─west風)

2007.05.12

 姉小路通(Map)

 高倉通りの角にある、ステンドグラスの専門店。表からでは分からないが、薄暗い店内にはいるとやわらかな明かりが迎えてくれ、どれを見ても顔がほころんでしまい、部屋に置いた様子を誰もが思い描いてしまうはず。
──お店には入りませんでしたし、全部作文です。失礼。


 三条通(Map)

 三条通が以前のメインストリートだったようです。
 石造りの郵便局や文化博物館(一番右)などの大型建造物から商店の木造家屋まで、手入れが入念にされていて「歴史的建造物保存地区」的な通りと思われます。新しい店舗も負けじと個性を発揮していて、ここで成功するには「質」で勝負しないと生き残れないだろうと思います。
 「それが京都の商売人気質どす」の声が聞こえてきそうです。







































 六角通(Map)

 この通りには、和物を扱うお店が多い印象があります。
 中でも、扇子屋(写真:右から2番目)が何軒も目につきました。まあ、どのお店もそうですが、とりたてて用事が(関心が)無いモノですから中に入りづらくて、表からの写真だけになってしまいます。
 最後の左下のぜんざい屋などは、普段なら完全に素通りするのですが、何か感じるモノがあって撮ったのですが、あとで場所を調べたときに有名どころらしいことを知りました。




























 蛸薬師通(Map)

 蛸薬師の由来とは、殺生を禁じられているお坊さんが、母の病気のために蛸を買ってきたのですが、見つかってしまいそれをとがめられそうになった時、お祈りをしたところ、八本の足が経典になって窮地を救われたとの言い伝えによるそうです。(写真:左端)
 今や、新京極の繁華街に囲まれていますが、健在です。
 さすがに近くにはたこ焼き屋は無かったと思うのですが……
























 錦小路通(Map)

 「京の台所」錦市場の賑わいを体感してきました。
 土曜の夕方のせいか、ものすごい人出でした(道が狭いし)。地元の人もいると思うのですが、圧倒的に観光客が多くて(外人も含め)普段の買い物に来る人たちは大変だろうなぁと、ご同情申し上げます。
 通りの名称は錦天満宮からきていると思いますが、ここでも「天神様」が庶民に親しまれている様子がよくうかがえました。
 ここの湧き水は豊富なようで、何本もペットボトルを手にし、水をくみに来る人がいたり、商売をしている近所人たちのちょうちんがいくつも奉納されていたり、真剣に恋愛成就を祈っている女性がいたり(これは違う?)、買い物の帰りなどに立ち寄る日課のようにしている人も多いのではないでしょうか。
 天神様のみこしは牛が引くのだそうです(北野天満宮にも牛の像がたくさんあったのに、学習しないやつめ……)。
 ここの牛の像は、頭をなでられてテカテカになっていました。(写真:左)
 ちなみに右の写真は、派手なのれんの掛かった「立ち飲みや」です。













 3週間ぶりの京都です。
 何だか「ただいま」という気分です。言ってみたかったんだぁー。
 いよいよ、中心街に突入しました。
 どうも人の多い所で写真を撮れるほど肝が据わっていないところがあって、どうしようかと考えたあげく「Hanako─westの取材風に行こう!」と。
 昨秋、電車の中吊りで見かけた「京都ストリート案内」という雑誌を買いました。Hanako─westとありますから、関西版なのだと思います(詳しいことは分かりませんが)。これを読めば間違いないと思ってたのですが、結局どこにも入りませんでした。
 でも「姉・三・六角・蛸・錦」は、なるほどという印象です。
 この本見てなければ全部は歩かなかったと思いますが、人の並みに疲れました……


 本能寺(Map)

 「燃えちゃったんでしょ」と誰もが知る有名な寺だと思うのですが、人影はまばらです。行きたいかどうかは別ですね……
 でもいまは、こんな平穏な光景が見られます。
 近所に学校があるのか、この小学生たちとは別の場所で高校生たちも同じようにトランプか何かに興じていました。学校帰りのたまり場になるお寺があるって、とてもいい環境だと思います。
 ところで、門に書かれている本能寺の「能」の字のつくりの部分が「ヒ+ヒ」ではなく「去」となっていて「これが本来の字なのか」と思っていたら、これは寺が度重なる火災に遭ったことから(信長の焼き討ちだけではないそうです)災難(火=ヒ)が「去」るように、との願いが込められているのだそうです。

P.S. 小さな写真をこまごま入れたら体裁が崩れてしまい、Windowsでは空白だらけのレイアウトになってしまいました。以後、気をつけます。