2008/01/03

年賀のおつかい──祗園界隈

2007.12.30
【京都府】

 花見小路(Map)


 「京都で初雪」のニュースを見ていましたが寒い日でした。
 「年賀のおつかい」とありますが頼まれものです。でもそんな縁で昨年に続いて年末の祗園界隈も行事的になり、それも楽しみになりつつあります。
 この日は、あれっ? と思うほど人出が少なく、まともに四条のメインストリートが歩けることに驚きました。昨年の30日はいつものように混雑していた印象があったのですが、日曜だからだろうか?
 辻利(ペットボトルのお茶はいただけない)というお茶屋さんの「大福茶」(結び昆布と紅白小梅のトッピング付き)が、正月に飲むと実に新春らしい香りがしてとても好きになり、今年も実家に買って帰りました。

 ここ花見小路は外人さんたちが群れる祗園観光のメインストリートで、テレビによく映る場所でもあるので近寄らなかったのですが、のぞいてみるとどうにも整いすぎており「映画村のセットかよ?」(それは逆!)というような印象を受けました。
 歌舞練場も立派な劇場ですしテーマパークのような一画なので、昔のように人々に語られ舞台で演じられるような悲恋物語などは、生まれてくる素地すら無くなってしまったのではあるまいか? とも。
 どうも町に色気が漂っていない印象があり、サービスとお金の取引所というような乾いた(ドライな)空気が漂っていると感じたのですが、きっと夜は違うのでしょう……
 どうせかなわぬ夢だから「そんなの関係ねぇ!」のですが。


 安井金比羅宮(Map)


 映画『千と千尋の神隠し』に出てくる妖怪のようですが「縁切り縁結び碑(いし)」といい、くぐり抜けながら悪い縁を絶ち、戻りながら良縁を祈願し、そのお札を貼るそうです。
 調べてみると、近ごろではもの凄い祈願がされる「縁切り神社」として人気とのこと。
 わたしは「櫛まつり」という、芸妓さんたちが使い古した櫛に感謝し、供養が行われる神社と聞いていたのですが、現実はそんな甘っちょろいもんではないようです。
 いや、いや、芸妓さんたちの気持ちも結構ドロドロしているのかも知れませんしね……
 でもやっぱり、これが「たたり神」のモデルではないのだろうか?
 だって、そんな(恨み辛みが込められた)札を貼られた碑(いし)の立場になってごらんなさいよ、たまには薬湯に入ってあかを落としたいと思いますもの。
 縁切りの祈願に訪れる方々も、感謝の気持ちをお忘れなく!


 建仁寺(Map)

 年末は拝観休止でした。
 また来ます。















 前回通りがかった時もでていた「餅花飾り」。やはり元は正月用の飾りのようで、ディスプレイ用に飾る最中のお店もあり、指でお餅をクルクル丸めていました(例えてはいけません)。
 立派な花もいいですが素朴な感じがして、これだけでもハレの季節感が十分に感じられ、素敵な風習だと思います。
 日本人の美意識を納得させられる気がして、好きだなぁ。

 「これじゃ、焼いてもあられにもならんだろう」なんて思った人いませんか?
 「飾り終わったらどう調理するんだろう?」と思ったわたしです……




 金剛寺(八坂庚申堂)(Map)

 
 ここにぶら下がっている色とりどりの玉のようなものは「くくり猿」と言い、手足を縛られ自由を奪われた猿(欲望を封じ込める意)のぬいぐるみ(?)です。
 パッと見、色とりどりで華やかですが、それだけ人の欲望は多種多彩という意味なのでしょう……


 八坂の塔(Map)

 建仁寺脇の八坂通りからのアプローチが一番絵になると思うし好きなのですが、東山のひとつのシンボルにもかかわらず意外と人が少ないので助かっています。
 おそらく、一本裏の「ねねの道」(円山公園から清水寺への観光メインストリート)を多くの観光客は歩いて、裏からのシルエット(写真でよく見る絵)に満足しているのでしょう(確かに素敵です)。
 近づいても中には入れませんから、それも正解と思います。







 石塀小路(Map)

 大観光地なのに周辺の路地に人影は多くありません。Hanakoなどガイドブックにも掲載されていると思うんだけどねぇ。やはり、散策よりスウィーツ(食い気)なのか?
 この先を左に行って、右へ行くと木の塀の路地(ガイドブックに使われる撮影ポイント)なのになぁ。
 とか言いながら、行けば良かったと今頃思ってるようでは他人に意見できません……









 八坂神社(Map)


 年始の準備が着々と進められています。狭い境内ですから、正月の一方通行の交通整理の様子が垂れ幕からうかがえると思います。
 先日の鞆の浦の項で「沼名前(ぬなくま)神社」は八坂神社の本社に当たると紹介しましたが、調べてもその関係を示すものは見あたりませんでした。
 それぞれに言い分があるようですので追求もしませんし、庶民の信仰を受けているのだからそれに勝るものはない、でいいのでは? とわたしは思ってしまいます。

 年末の祗園ですが、とりたててせわしない雰囲気が感じられないのは、30日だからでしょうか? 水鳥のように、表面だけは優雅に振る舞っているのでしょうか?
 また来年も年末に来たいと思います。

0 件のコメント: