2008/01/27

オフがオススメ!──嵐山、大河内山荘、天龍寺

2008.1.26
【京都府】

 嵐山(Map)


 渡月橋を渡る人の少なさよ!
 そりゃそうでしょう、背後の山が白くかすんでいるのは雪なんですから。舞っている程度なので風情はありますが、気温はご想像の通りです。
 昨年は結構めげていたのですが、今年は先週辺りから「寒さ対策をしていけば、今の季節の方がゆったりと回れるなぁ」と、小雪が舞い散る中でも何だか気分は明るいんです。
 そんな風になるとは思わなかったと言うか、何だか「ファン」から「マニア」の領域に踏み込んでしまったような気もします……


 もちろん観光地ではあるのですが、これくらい閑散としていると「いい散歩道だよな」と思えてきます。すれ違うおばちゃんの「シーズンだとここを歩くだけでも大変なのよね〜」の言葉に、実感がこもっていました。
 嵐山や清水周辺には人力車の観光案内サービスがあるのですが(一度は乗りたいと思っていますが、ひとりで乗ってる人を見るといつもせんさくしてしまうので、何だか…)、座席の敷物をはたいている横を通りがかったら、その下に使い捨てカイロが貼ってありました。
 さすが! これには喜んでもらえることでしょう。


 大河内山荘(Map)


 竹林を抜けたところに、往年の映画スタア大河内傳次郎(おおこうちでんじろう)の山荘があります。
 1962年没ですから、出演作品に接する機会はほとんど無いのですが『丹下左膳(たんげさぜん)』くらいでしょうか。むかし笑点で木久蔵が「シェーハタンゲ、ナハシャゼン(姓は丹下、名は左膳)」とやっていたやつです。
 この山のすぐ裏の二尊院には、阪東妻三郎(と息子の田村高廣)のお墓があったりと、映画全盛期の京都は「映画の都」だったことがうかがい知れます。
 個人所有の庭園の多くは、これ見よがしの贅沢さが目についたりして「それは、ようございましたね」と引いてしまいがちなのですが、ここは趣味がいいと思えるとても好きな一画です。
 小径に敷かれた踏み石のひとつひとつにも、特徴的な石(変成岩系の色の鮮やかなもの)を厳選して選んでいると思える気の配り方で、落ち着ける場でありながら楽しめる空間を目指した意図が、こちらまできちんと伝わってきているような気がします。
 上写真は「月香亭」というあずまやで、仁和寺の塔や京都タワーまで見渡せます。また、この裏手からは保津川渓谷のトロッコ列車が見えたりと、十分贅沢ではあるのですが、いきな空間であると思います。
 下写真は、小径に敷かれた瓦です(この上を歩いていきます)。
 しかし、ここは入場料が1,000円もします(抹茶付きですが)。参考までに。



 天龍寺(Map)


 「銀の龍の背」を想起させられた大方丈(英語ではMain Hallの案内)の屋根。背の部分に何であんなに瓦を重ねる必要があるんだろう、と思ってしまいます。
 ──後から調べて驚いた。寺の命名は「金の龍」からきたそうです。
 下写真は等持院にもあった達磨絵ですが、ここ天龍寺にもあります。最初に見たときも同じ順番だったので、わたしの印象としては、そうなってしまいますが、本来の関係(力)的には逆なのだと思います。
 関牧翁(せき ぼくおう)という、元臨済宗天龍寺派管長だった方によるもので(等持院でも住職をされていた)、1991年に亡くなられたそうです。テレビで見かけたことがあるかも知れないのですが(奔放な禅僧との評判)、この絵について今回調べるまで(前回は見ただけ)何の関心も知識もありませんでした。
 何でもそうなのですが、知らずとも困らないことが星の数ほどあるのに、出会ってみると「何で知ろうとしなかったのか?」と思うことがあります。知って満足することで、豊かな気分になれればそれでいい、とも思いますし、知っていて役に立つ時がくるかも知れないし。くらいの気持ちで、いろんなことと接していけば肩もこらずに、楽しめるのではないでしょうか。
 ──「坐禅の目的は心中のイメージに囚われずにあるがままの自分と世界を体感し、無の境地に至ることである」ことだそうで、やったことはありませんが、無意識に存在している垣根が取り払われれば、視野が広まるのではないでしょうか?
 達磨絵のガラスに映った単なる人影なのですが、この人はいま何を考えて、何をしようとしているのだろう? などと考えてみたくなりました。


 禅寺を巡るたびに接してきた夢窓国師(むそうこくし)(本来の名は疎石:そせき。国師とは尊称)(→国士無双とは無関係)の名に、これも京都2周目にしてようやく関心を持ち始めたと言うか、機が熟してきたのではないかと思えます。一周目はとにかく回ることを目的にしていた面があったのですが、今回は少しじっくりと見て回ろうと思っています。
 この人は、鎌倉時代の末期から室町時代の初めという、非常に情勢が不安定な時代に生を受けた影響や、宗派の教えと世情からの希求との相関からでしょうか、様々なお寺でいろいろな宗派の修行をした後に禅宗で印可(弟子としての許可)を受けたそうです(奈良の東大寺、鎌倉の円覚寺や建長寺でも修行したそうです)。
 京都での活躍は、後醍醐天皇や足利尊氏(この2人は敵同士)の要請もあったのでしょうが、正に時代に求められた人だったと思われます。
 この天龍寺、先日の等持院、南禅寺、西芳寺(苔寺)など(まだありそう)においてその業績が残る人で、様々な時節における政権の施策への協力(社会貢献)に力を惜しまなかった人物のようで、現在「京都と禅宗」のつながりを語る上でも、キーマンとして登場する人物だそうです。


 庭園にある曹源池(上写真奧)は夢窓国師によると伝えられ、対岸の岩で渓谷の滝をあしらった様(右端の岩がその一部)などは、その奧にそびえる借景の山々との組み合わせに「おぉ、なるほど」と感心させられるものがあります。
 苔寺の庭(夢窓国師によるそう)などと合わせて考えてみると、彼は庭師の才能があったのか? とも思ってしまうわれわれに「心の目が導いてくれたのです」などと答えてくれそうで、話しをうかがってみたい方のひとりです。


 それにしても大きな寺です。昔は前記の大河内山荘辺りまで寺の所有地だったそうです。
 単なるわたしのイメージなのですが、禅寺って質素でどちらかと言えば貧乏くさい(大変失礼!)ふうていの方が、共感を持ちやすいような気がしていたのですが、他の寺院も大きなところばかりです(等持院も今は小ぢんまりとしているが、以前は大きかったのかも知れない)。
 まあ、お上の庇護を受けていれば必然的に立派なものにならざるを得ないのかも知れませんし、信徒の数が増えて規模も大きくなれば仕方のないことかも知れませんが、何か違うような気がするんだけどなぁ〜。
 規模が大きくなってしまうと、何だか心の支えをお金で買っているんじゃないか、という気がしてきてしまいます。確かに、お願いする時にはその代償としておさい銭を入れているのですが……
 ──禅(宗教)と清貧とは違う、ことを頭に入れておく必要があるようです。
 東・西本願寺なんか、バカみたいにデカイしなぁ(ゴメンナサイ! こりゃ、闇討ちに遭うよね…)。

 梅のつぼみが赤みを帯びてきています。寒さももう少しの辛抱です。
 そんな気持ちだけは、いにしえの京都人と同じなのではないか? との一体感を覚えたり(錯覚)して、喜んだりしています。そんな程度です……


 この後、妙心寺へ行ったのですが、ここまでゆったりし過ぎて時間切れとなりました。
 次回、妙心寺だけのんびりと回るつもりでいます。

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