2008/03/03

京都五山とは?──南禅寺、永観堂

2008.3.1
【京都府】

 インクライン(Map)

 わたし的には、3月の声を聞き「ずいぶんと寒さも和らいできた」とウキウキ歩いていたのですが、まだ観光の季節ではないようで人出は少なく助かっています。
 向かう途中の地下鉄で、エネルギーとしての「電気」を想起させる広告を目にして(何を見たか忘れましたが)「何で電気にこだわるのだろうか?」「電気じゃなきゃいけないのだろうか?」と思ってもみましたが新しい提案が出来るわけもなく、とりあえず原子力ではなく太陽光や風力発電を応援しようとしか言えないのかと、そんなあたりでプシューとしぼんでいきました。

 現在の京都市中には、琵琶湖から引かれた「琵琶湖疎水(そすい)」が流れています。
 ──以前は「疏水」と書いていましたが、こちらの方が正しいようです。
 明治時代、都が東京に移ってから寂れるばかりの京都再生事業の一環としての大工事で、生活用水、水路(船の通り道)、発電所等、自給のすべのない京都が生き残るための大インフラ整備事業でした。
 右写真の看板は「雄觀奇想」(ゆうかんきそう)、見事な眺めと優れた考えという意味だそうで、このプロジェクトを実現させた当時の京都府知事北垣国道によるそうです。

 インクラインとは、急勾配の東山を船の行き来させるために作られた船を運搬するための軌道です(ここの桜キレイなんです)。

 そんな情景を眺めたあと、南禅寺に乗り込む前に門前で一服している時ぼんやりと
「水は命の源だし、電気も必要と考えると、水の力で発電した電力で市中が豊かになれたころというものが、最もしあわせな時代だったのではないか?」(京都だけではなく、地球規模において)などと考えておりました。
 夢物語ですが、映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のラストでの、バナナの皮でタイムマシンが動かせるような「エネルギー革命」があるかも知れないと、未来人の英知に期待したくなるわたしも、自分本位でとても人間らしいと思ってしまいました。


 金地院(東照宮)(Map)

 京都にも東照宮(家康を祀る)があることに、徳川幕府の統治方針がうかがえる気がしました。
 このお寺は江戸時代にこの場所に移り、南禅寺塔頭(たっちゅうです。覚えました?)となったそうです。
 お猿さんが片手で木にぶら下がり手を伸ばしている「猿猴捉月図」は、このお寺所蔵のものだそうです(未見)。










 南禅寺(Map)

 本日のテーマである禅寺なのですが、やっぱりよく分からん寺でした。
 「京都五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の禅寺のなかで最も高い格式を誇る。また皇室の発願になる禅寺としては日本で最初のものである」とのことですが、まず「五山」の選定理由が分かりません。
 鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇の「建武の新政」(習った気がする程度)によって、京都五山が制定されたとのこと。
 その後足利尊氏らにより、夢窓国師(覚えていますか? ≠国士無双)の選定から新たに制定されたそうです。
 確かに禅宗が隆盛を極めていたころには、秩序を保つためにも必要だったのかも知れませんが、そもそも寺の序列を決めてどうしようというのでしょうか?
 中国の南宋時代の五山十刹制度に倣ったそうですが、要するに国が管理するため(おそらく寺に対する予算配分)の序列のようです。
 ちなみに、鎌倉五山は第一位から順に
 建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺
 京都五山には別格に南禅寺があって
 天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺
だそうです(そんなのどうでもいい、と思ってしまうのですが)。
 ついでに、五山送り火(大文字焼き)の五山とは何の縁も無いようです。こちらの起源は弘法大師によるものなどいくつも説があり、曲折を経て現在の五山となったようです。

 なるほど、天皇が開いた寺だから「別格」扱いするわけで、奈良の橘寺(聖徳太子建立が理由)と同じで、比較の対象にできないから棚の上に奉ろうというという逃げ方をしたのであれば理解できる気がします。
 目的である「悟り」とは次元の違う「国の事情」によって序列が操作されたのでは、求道心もさまよってしまうというものです。
 それ故、狩野派(日本画の系統)の金箔の襖絵などが飾られているのだとすれば「(手振りを交えて)なっとく」です。
 確かに坐禅修行の場は、人目に触れないところにあるのだと思われますが、ここは見て回ることのできるどの場所からもそんな緊張感が感じられませんでした。
 鎌倉の観光スポットとすら言われる円覚寺や建長寺でも、修行の雰囲気を感じさせる場があると思うのですが……
 ──これはきっと当事者には、かんに障る意見であると思われますが、わたしにはそう感じられました。

 右上写真は、琵琶湖疎水の水路を支えるレンガ造りの橋脚です。みんなが撮りたがるアングルですが、人影がまばらなおかげで自由に撮れました。
 下写真は三門の柱ですが、ここは歌舞伎の演目(金門五山桐)で、石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな!」「…世に盗人の 種は尽きまじ」のセリフを語るとされる場所なのですが、実はこの三門、五右衛門の死後に建てられたので、その前記のセリフは創作なんだそうです(後記は辞世の句とのこと)。



 天授庵(Map)


 ここは南禅寺を開山した大明国師(だいみんこくし:元東福寺の僧侶)を祀るお寺で,亀山天皇の要請により京都で初めての禅宗専門寺院を開いた方になります。
 禅宗が日本に入ってきたのは鎌倉時代で、京都の公家たちに対抗するために鎌倉で盛んに「新しき教え」としてもてはやされていたものを、京都でも取り入れるきっかけになったようです。要するに「流行もの」的な風潮もあったのかも知れません。
 京都でも、東福寺や建仁寺では「禅もやってます」的な活動はあったそうなのですが、「禅専門」は南禅寺が最初になるそうです。
 そこが現代にも通じる京都の強み(新しいモノ好き)なのではないか、とも思ったりします(奈良は純粋すぎて乗り遅れてしまった気がします──決してそれを悪く言うつもりはありません)。
 上写真奧は、前記の南禅寺三門。


 上写真の木は人為的な造形と思われますが、ちとやり過ぎ。左にある水溜めへの水の供給も現在ではは水道らしく見えてしまうのですが、以前はその水を供給するためのひと工夫に何かの役割があったのかも知れません。
 下写真は茶席らしき部屋からの眺めで、襖絵のような景色なのですが、帰ってから「何か写真で見たことあるような?」有名な場所なのかも、とも……
 ──ここ非公開で近寄れなかったのがとても残念です。
 これで200mmレンズの限界というくらいの距離なので、あまりクォリティは良くないのですが、とっても好きな絵です。



 南禅院(Map)


 南禅寺はこの場所から始まり拡張されていったそうで、ここの庭も夢窓国師(スーパースターぶりには驚かされます)によるものと伝わるそうです。
 上写真は門の目の前を横切るレンガ造りの琵琶湖疎水の水路で、この先哲学の道の水路へと流れていきます。この先はどうなっているのかと見に行ったのですが、すぐにトンネルになっていました。




 永観堂(禅林寺)(Map)


 ここは禅寺ではないのですが(浄土宗)、南禅寺より空気が引き締まっているように感じられます。
 自ら「もみじの永観堂」とうたっているだけあって、秋の紅葉は素晴らしく人出ももの凄かったのですが、それは逆に他の季節は閑古鳥です、と白旗を揚げているようにも感じられます(ホント、ガラガラでした)。確かに現在、修復工事の最中なのですが、わたしは好きなお寺さんなんだけどなぁ。
 千仏洞という小さな建物があって、そこに飾られているカラフルな仏様の絵がとても好きで、その絵たちに囲まれていると、その場では瞑想ではなく暖かな気持ちにさせられる気がして、自然と笑顔になっている自分を感じることが出来ます。是非、一度!(掲載ページのリンク先を探したのですが、見つかりませんでした)

 右写真の右上に唐門という正式の門があり天皇の使い等が通るそうで、その時には上の盛り砂を踏みしめて身を清めてから入るのだそうです。
 てことは、石庭の模様も崩していいわけですよね? 何だか子どもが聞いたら、ウズウズしちゃって駆けだしていきそうな話しです。それは自分だろうって? 否定出来ません……

 玄関を入った正面に赤い毛せんの掛けられた長いすがあるのですが、腰掛けると根が生えてしまうので「帰りにね」と誘惑を断ち切って歩きだし、最後の阿弥陀堂の「みかえり阿弥陀」(像に向かって右側を振り返る姿勢で「永観遅し」と声を掛けた、との言い伝えが残っています)を回った頃、すぐ隣の鐘楼で鐘突がはじまりました。
 時は午後4時。いくつ叩くのかとしばらく眺めていましたが、お坊さんが叩いた数を足元に正の字でしょうかメモをしているのを見て、数を覚えておくのも修行ではないのか? とも思いましたが、ちょっと意地悪すぎですかね。
 結構な数を叩いているので玄関前の釈迦堂まで戻ってきていましたが、そこでお経をあげていたので念願の長いすに腰掛けお経を聞きながら庭を眺めて尻に根を生やしていました。
 でも、お経を耳にすると葬式や法事のことしか想起できないわれわれですから、その場の空気を楽しむまでには少し時間がかかりましたが、お経の声に先ほどの鐘の音が重なるわけですから、この場では瞑想ではなく、どんどん頭の中が空っぽになっていくことが実感できました。
 これはその時の実感なのですが、頭が空っぽになるということは、自分の意志はなくともそこに存在していられる(自分以外の力によって支えられている)ことを感じられるのかぁ(伝わらないかも知れませんが、僧侶がお経を唱える時とはそんな瞬間なのではないか)と、とても身も心も軽くなった気がしました(錯覚?)。

 あれこれぼんやり思いながらポケーッとしていると、突然ピカッと光が差し、雷か? と見回すと、外国の女性がカメラを構えてニヤッと笑っていました。こっちもニヤッと苦笑いするしかなく、完全に無防備な姿をさらしていたのだろうと、照れ隠しするしかありませんでした。
 どうせならどこかでその写真を見てみたい気がします。
 エッ? それだけで何も話していません。いや、英会話(か不明ですが)できませんて……

 お寺が運営しているのか、すぐ隣に東山学園という学校があり、今や時の人となった卒業生の「岡島秀樹(ボストン・レッドソックス)」の大段幕が飾られています。そりゃ、学校の誇りですものね。


 これまで「仕事がうまくいきますように」とのお祈りだったのですが、「次の仕事がはやく見つかりますように」に変更してお祈りしたのですが、はて?
 ということは、これまでのお祈りが全然かなえられなかったということになるわけで……
 またそこで考える事と言えば、おさい銭が少なかったからか? ですから。
 悟りの次元とは、はるかなり。

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