2008/07/07

135°E longitude──城崎温泉、丹後半島

2008.6.24-25
【兵庫県・京都府】

 先日の友ヶ島(和歌山県)で丹後半島(東経135度線の日本海側)行きを思い立ったとき、真っ先に「城崎温泉リベンジだ!」と心は決まっていました。
 いい温泉街だと感じても、入らなかったでは何しに行ったんだ? と、温泉好きが後悔を引きずっていたもので……


 城崎温泉(Map)

 いでたちにもっとも貫禄があり「ここ!」と心に決めていた「一の湯」を目指したのですが「本日休業」の下げ札。
 これにはさすがにたじろぎましたがそこは観光温泉地、外湯は全部で7つあり日替わりで休業しているらしく、源泉の近くで露天風呂のある「鴻の湯」(こうのゆ:コウノトリが羽を癒した)に入ってきました。
 何はともあれ、苦労してたどり着いたお湯は格別です。
 右写真は源泉のディスプレイで、岩のてっぺんからお湯が噴き出しています。
 付近には無料で利用可能な「足湯」や「座り湯(?)」(いすかと思って座ったら、下にお湯が流れていて湯気で暖かい)などがあります。

 カニの季節でもないので、今回は「芋かけそば」に舌鼓です。
 少なめのだし汁に田舎風のそば、その上にすり芋がかけられたどんぶりが運ばれてきます。1,200円というインパクトに欠ける素っ気なさに一瞬「ぼられたか?」とも。
 麦とろご飯のような感じでまぜて食べるのですが、そばに芋がからまるとスルスルと入ってしまい、あっと言う間に終わってしまうのですが、おいしかったぁ!
 確かに料理は見た目も大切ですが、結局は食後の満足感ですよね、という一品でした。
 行かれる方がいらしたらご紹介します。




 コウノトリの郷公園(Map)

 この日は東側の久美浜(くみはま)から峠道で城崎温泉へ向かったので、帰り道は別ルートを選び走っていると「おっ、このトンネルを抜けると看板があったはず」との記憶がよみがえってきます。
 是非再訪したいとの願望は強くあるものの、前回の失敗もあり城崎とここを一緒に回る時間は無いとあきらめていましたが、看板を見て引き返せないという思いでチラッと寄ってきました。


 この写真では分かりにくいのですが、野生の鳥のように木の枝にとまっています(白っぽいのがコウノトリ)。
 前回は下写真の人工巣塔や野鳥センターの屋根などにとまっていたのですが、今回発展的な個体たち(?)は木の上で群れていました。木の下には飼育地があってそこにはたくさんの鳥たちがいるのですが、みな地面に立っています。
 夕方という時間帯や他にも理由があるのかも知れませんが、わたしにはまた野生への歩を進めているように見えた気がしました。
 人工の巣塔には立ち寄っているようですが、あれではあまりにも人間主体的に過ぎる(観察も主目的に含まれる)ようにも思えますし(自分だって観に行ってるくせに)、他のカップルたちも先住者のいない別のタイプの施設を欲しがっているかも知れません。
 鳥にすればまだまだやって欲しいことはたくさんあることでしょう。
 断片だけを見て物を言うのは大変失礼だとは思うし、大げさないい方かも知れませんが「人間は自然と共存できる」といった「未来」や「可能性」を感じさせてくれる象徴のように思え、感激の涙をにじませながら「応援してまっせ」とエールを送っておりました。
 ホント、この場所に来るととても心が温まり、うれしい気持ちにさせられます。
 「これが当たり前の風景だったのよ」という地元の方の声が聞かれるころに、「当たり前になった風景」を観にいければと思っています。


 P.S. 前回は近くの小学校でちょうど秋の運動会が行われていたこと思い出しました。そんな季節感と共に記憶に残ってくれたこと、大事にすべきであると強く感じました。
 今回は苗が根付いたころの梅雨の合間、という季語(これが文化というもの!)でしょうか。


 小天橋(Map)


 小天橋(しょうてんきょう:天橋立に対抗した名称だそうです)という長く伸びた砂嘴(さし:岬などから砂が堆積して細長く突き出た地形。沖縄、ハテの浜のように陸地から離れているものは砂州)によって、久見浜(くみはま)湾は日本海から内湾として隔てられているため、実に穏やかで風光明媚な内海になっています(天気が良かったらもっと長居したと思います)。
 どこの砂浜も海水浴シーズンの準備が進められていて、海の家の建設や電気工事(上写真)、ブルドーザーが入っての砂ならしなどが行われています(ゴミの清掃は済んでいたようです)。
 日本海側には断崖が続き人を寄せ付けない海岸線も多くありますが、その反面平坦な場所には砂が堆積しやすい環境が非常に多いこと、とても印象に残っています。
 鳥取県の米子から境港にかけてや鳥取砂丘、天橋立、金沢の千里浜等々、元の砂は陸上から供給されたとしても、沖には運ばれずに浜に打ち寄せる波や流れが圧倒的に強い場所が多くあるように思われます。
 冬の日本海の荒波と強風は、流れ出してきた砂をも押し戻してしまうすさまじさで、それは大陸からの大量のゴミも打ち上げてしまう流れであるかも知れません。
 ホント、冬の厳しさが無ければのんびりと暮らせそうないい土地だと思うのですが、いいことばかりの楽園はそうそうありませんわね。
 ですが、求めたい願望を持つのは自由ですから。(下写真は久見浜湾)

 琴引浜という鳴き砂(砂が鳴くわけもなく、鳴り砂が正しいとも)と言って、上を歩くと「キュッキュッ」と音をたてることで有名な砂浜があります。
 結構楽しみにしていたのですが、入り口付近に「本日音は出ません」だったか? の看板が出されており、おまけに駐車料金普通車1,000円とあります。
 しかし、どういうつもりで「音は出ない」の看板を出しているのだろうか?
・音は出ないのだから、残念だけど帰りなさい
・音も聞けないのに駐車料金を出すのはもったいないよ
・音が聞けなくても1,000円払いたい方はどうぞ
 などとも考えましたが、いずれにしても30分程度しかいないのに1,000円は高すぎると引き返しました。
 その後、もう一つ別の砂浜に入る道を目にし、行ってみるとそこにも1,000円の看板があります。
 これ、行政もしくは組合の取り決めみたいなものがあるのではないでしょうか?
 もし興味がおありの場合は、観光バスで行かれたほうがいいかと思われます。
 とてもガッカリで、わたしはもう結構です……


 静神社(しずかじんじゃ)(Map)


 源義経の逃亡に同行したことで有名な静御前(しずかごぜん)を祀る神社で、生誕地とされる網野町磯という集落にあります。
 義経の奥さんかと思っていたらお妾だそうです(正妻は頼朝による縁組みのようです)。
 白拍子(しらびょうし:踊り子と言っていいのか?)という立場ですから仕方のない面もありますが、京で隆盛を極めていた平清盛のお妾となった白拍子である祇王の名は、現在も祇王寺(お気に入りです)に残されています。
 それと比べれば「義経ごときの妾など」(だったのか?)と冷たくあしらわれたきらいもありますが、義経同様の伝説が各地に残されているようです。
 墓については確かなことは分かっていないようですが、ここでは生誕の地として祀っています。
 地理的にも相当厳しそうな土地柄に見えましたし、静御前の伝説を心の支えとされているのではないでしょうか。


 135°E longitude──東経135度線(Map)

 なるほど「東経135度最北の地」(どうもこの字面が好きじゃなくて英語を使いました)であることは理解できるのですが、日本列島の地図を想起したとき京都府が「最北の地」があるということに、すこし違和感を感じました。
 明石を日本のへそと紹介しましたが、日本列島の中でもずいぶんと南北に細い地点を通っているんだ、という印象があります。
 ──お腹周りを計る時に、懸命にお腹をへこませてスリムにしようとしている姿を思い浮かべました(何のこっちゃ?)

 この塔には、日本標準時とグリニッジ標準時が表示されています。
 ここからはどうやっても「グリニッジ天文台」を想起できない場所柄ゆえに、この日本海の断崖の上にモニュメントを作る意味があるのかも知れません。
 ここが冬の風雪に耐える姿にはかなりのインパクトがありそうな気がしますが、ちょっとそれは見に来られそうもありません。
 ──太陽電池で作動している旨の説明がありますが、冬は無理だろうなぁ……

 子午線とは、方角に十二支に当てはめて表現した昔の方法で「子(ね・し)」の方角(北)と「午(うま・ご)」の方角(南)を結ぶ線、というところからきているそうで、知っていたとしてもすっかり忘れていました。

 友ヶ島にあった手作りの標識もいいですが、国土の果てを示す北海道にある標識のような立派なモニュメントを目にできて満足できました(人工物を見ても仕方ないのだけれど、それがなければ判別できないという意味)。


 経ヶ岬(きょうがみさき)(Map)


 映画『喜びも悲しみも幾年月』(灯台守が主人公)の舞台になったとの説明がありました(映画には各地の灯台がいくつも登場しますが、ここが出ていたかはちょっと覚えていません)。どこの灯台守も大変だと思いますが、ここに住み込んで灯を守るのは相当厳しい仕事だったと思われます。
 昨夏に訪れる予定だったのですが、台風の崖崩れで道路が通行止めとなり断念した経緯があります。
 その道も復旧していたのですが、こんな地形の場所に道路を作ること自体に最初から無理がある、と思えるような場所ではあります。
 これまで「落石注意」の看板に「落ちてきたら避けろの意味かい?」くらいのつっこみをしてましたが、岩手・宮城内陸地震の報道を見てからは「落ちてきたら岩と共に真っ逆さまね」との覚悟を決められる気がしています。

 さすが日本海に突き出た半島の先端です、自衛隊のレーダー施設が高い山の峰から日本海を監視しています。
 山道から突然車両誘導用の旗を持った警備員姿の人が飛び出してきて「ねずみ取り?」と一瞬ヒヤッとしましたが、自衛隊車両の誘導をするためだったようです。
 信号を設置したとしても、防衛施設庁の警備に人の配置は必要ですから、きっとこうなるのでしょうね。
 これは航空レーダーと思われ目的が違うので求めるのは酷かも知れませんが、北朝鮮の拉致工作船はこのレーダーの足元を進入してきたことになります(若狭湾はおひざ元)。
 ミサイルなどは、飛来したものを打ち落とせるだけの機能に限定してもらっていいから(それだけでも大変だと思うが)、海岸線からの不審者侵入を防げないだろうか? とは思うものの、草の根の異文化交流を断つことにつながり、鎖国のようになってしまう怖れもあります。


 伊根(Map)


 昨夏も訪れた、舟屋が肩を寄せる港町の伊根になります。
 船の格納場所兼作業場として建てられた舟屋ですが、いまどきの船は大きくなってしまい表に係留されています。
 こうなっちゃうと舟屋が意味をなさないと思うのですが、だからといって大きな港を作れるような場所柄ではないですし、浮き桟橋では冬の季節風に耐えられない恐れもあるので、大規模な沖堤防で湾口をふさいだりするのだろうか?
 「用をなさないものを残せとは、よく言うよ」などと言われるかも知れませんが、舟屋は残す方向で考えていただきたいと思います。

 京都縦貫自動車道(山陽道・中国道から直通)は現在、宮津天橋立インターまで開通しているのですが、このインターがETCカード未対応で出る時にはどうするのかと思ったら、カードを抜き出して料金所のおっちゃんに手渡しして精算してもらいます。
 ──レンタカーで回っているくせにマイETCカードを持っています。いまどきのレンタカーにはETC装置が標準装備されていて、エンジンをかける度に「カードが挿入されてません」のアナウンスの声がしゃくで作ったのですが、これが便利なのです。
 帰りはその入口で通行券をもらい、一般車出口で通行券とカードを手渡しして精算してもらいます。
 まあ過渡期ですから仕方ないとは思うのですが、手動と自動が混在すると「カード、現金どっちで払うの?」などと、便利と安心しきっている心のすきに難問を突きつけられ、ちょっとどぎまぎしてまいました。
 どうせなら「ETCカードは使えません」と言い切ってもらった方が心の準備ができるというものです。

 これで懸案だった丹後半島も完結することができ、とりあえず近畿地方への心残りは無くなったので後ろ髪を引かれることなく、関東に戻ることができます。

 東海北陸道開通のニュースを見ました。次の狙いはそのあたりでしょうか?
 ──これからはそうそう気軽には行けないことを、まだ理解できていないようです……


●アイデンティティを自覚した時──2008.07.01

 高槻で借りていた部屋を引き払い、東京へ向かう京都駅の新幹線ホームから清水寺などを抱く東山方面を眺めていると「これでお別れか」との寂しさが襲ってきます。
 お気に入りである沖縄を後にする瞬間に似た感覚でもありますが、「また来るから」ではなく「ここでは暮らせないのか」という(これぞ)都落ちとの印象を強く感じました。
 「新幹線は速いな!」(何を言ってるんだか? ですが)あんなに時間をかけてポクポクと歩いた京都、山科、琵琶湖岸がものの15分で車窓から消えていきます……

 地方を旅行する度に「東京者には故郷はない=アイデンティティの不在」を振りかざしていたのですが、新幹線の車窓から景色を眺めながら「戻る場所は東京圏なんだ」と、「帰る場所」として初めて東京という地域を意識しました。
 「イヤー、参っちゃったよ!」などと、シラーっと柴又に戻ってくる寅さんのようなつもり、だなんて言ったら怒られそうですね。
 まあ何を言われようが、2年間の都勤めを終えて参勤交代で「東国の野蛮人」(平安時代の都での評判)が群れる東京に戻って、現実に復帰します。
 そんな東京へ向かう新幹線の中でわたしは初めて「東京人である」とのアイデンティティを自覚しました。

 東京着後の第一印象
 「東京は涼しいなぁ」でした……

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