2007/06/16

華に集まるは人なり──三室戸寺、万福寺

2007.06.16
【京都府】

 三室戸寺(Map)


 遅れていても梅雨は来ました。今年もとりあえず来るものがきてひと安心って、変でしょうか?
 近ごろ気候の様子がどうもおかしいと感じている方が多いと思われますが、それは極端な気候変動・気象現象がとても多く感じられるからだと思います。
 梅雨の季節というのは、寒い北からの空気と、暖かい南からの空気がちょうど日本列島の上でせめぎ合うバランスから生じる雨期な訳ですから、極端な気候変動が慢性化すれば初夏の梅雨や、秋の菜種梅雨という季節感が失われていくかも知れない、と思ったりします。
 四国では水不足が伝えられていますが、近ごろのパターンとしては「ドバーッ」と被害が出るような大雨が降って一件落着のような幕引きが多いように思います。

 長い歴史から見れば、そんな困難をため池を作るなどして乗り越えてきたわけですから、順応はできると言えるかも知れませんが、近ごろの極端な気象現象は担当の役所が想定する「100年に一度の災害」が毎年来ているのではないかと思ってしまうのですが、いかが思われます?

 前置きが長くなりましたが、梅雨の季節でも苦にならない散歩道として、「あじさい観賞」を企画したのですが、どピーカンの晴天で汗だくで歩きました。
 「京都 あじさい」で検索して一番に出てくるのがここ三室戸寺です。
 京都市内から南に離れ、京阪宇治線(おけいはん、初夏編はじまってます)の終点宇治の一つ手前の駅になります。
 あじさいが10,000本と言いますから、京都のあじさい寺と言っていいと思います。鎌倉のあじさい寺、明月院とは趣が違って広さを感じさせる開放感があります。
 ここは、西国観音霊場10番札所の巡礼所であり、バス巡礼でお年寄りも多く訪れていました(新潟方面からの様子)。

 添乗員が「ここが最後尾でーす」と合図してるのを聞いて急ぎだしたおじいさんに「だいじょうぶだよ、置いてかれやしないから」と落ち着き払ったおばあさんですが「わたしゃ、ここで置いてかれたら○○(都市名)の甥っこのところへ行くから、だいじょうぶだ」とのこと。
 最初は、常にそんな心配をしながら巡礼をしているのかと思ったのですが、そんなハプニングもバスで移動する以上に有意義な巡礼になるのではないか、と勝手に思ったりしました。


 看板に「花の寺」とありましたが、ツツジ、シャクナゲ、アジサイ、ハスが売りのようで、特にツツジが多く(もう季節は終わっています)、時季に来たらすごそうです。
 また、鉢で栽培されているハスも数多くあり、もう少ししたら絵になるのだろうという風情でした。
 背後に山を背負っており川もあるのですが、水利はそれほどよくなさそうで、ハスも鉢植えでしたし池も観賞用という印象でした(アジサイへの水やりが大変そうだと、どこかで目にしました)。
 ここに、鎌倉の明月院のような菖蒲池(季節限定の公開で大好きな庭です!)を作ってくれたら最高、と思うのですが「ここは植物園じゃない!」と怒られそうですし、相いれない理由があるのかも知れませんしね……
 人は確かに多かったですがとても楽しめたお寺で、むしろ敵は暑さだったと言えます。




 万福寺(Map)


 こちらに来る前に、同志社大学出身者に「紅葉が贅沢に楽しめる万福寺」と聞いたと思っていたのですが、どうも間違って覚えていたようです。
 間違っていても行ってみなきゃと思いこんでいたのは、結果としてよかったと思えました。
 写真の門にいきなり「おや? 随分とテイストが違うなぁ」と思わされたら、ここは中国から招かれたの隠元禅師によって建立されたお寺なのだそうです。
 お察しの通り、インゲン豆は中南米産のものが、ヨーロッパ〜中国経由で隠元禅師により伝わり、その名で呼ばれているそうです。
 本当、勉強になりますよね。わたし、もう忘れないと思いますもの。


 気に入ったのは、人の少なさや、静かさもかなり大きな要因ですが、後から考えれば禅寺であったことがわたしを引きつけたのだろうと、納得しています(本当に事前勉強しないやっちゃ。でも、復習はこのblogを書くために必ずしています)。
 日本の禅宗は、明治の宗教政策により曹洞宗と臨済宗の二つと定められたそうなのですが、その二つの宗派は日本的にアレンジされて広まっていたため、中国から伝わったこの寺の宗派とは異なっており、後に黄檗(おうばく)宗として認められたそうです(中国の黄檗山がルーツだそう)。




 とても立派な伽藍で、おそらく創建当時のままの形で残されているのではないかと思われます。
 一部の建造物が修復中で、その費用に十数億円(?)かかるとのこと。
 昔も今も寺の建立には莫大なお金が掛かること、それを成し遂げるためには相当な営業力が必要なこと、そして多くの信者の人たちの協力なくしてはなし得ない大事業であること、よく理解できました。


 大きな駐車場があることから、法要などには大勢の方が訪れることが想像されます。
 逆に、その人の流れが電車から車に変わったからでしょうか、駅前からの屋根付きの商店街は昼間から真っ暗なほどに寂れてしまっています(駅名はJRも京阪も黄檗です)。
 あれは何ともならないのだろうなぁ、としか思えないのが残念です……

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