2007/12/09

聖徳太子は渡来人?──太秦、北嵯峨

2007.12.8
【京都府】

 広隆寺(Map)

 もう、新聞の紅葉情報も「落ち葉マーク」が並ぶのに、まだ結構人が出ています(嵐山方面はまだゾロゾロという感じです)。
 こちらは少し外して、太秦(うずまさ)、北嵯峨周辺です。
 前回「京都の中でも異質」という印象を受けた「広隆寺」を再訪し、もちろん「半跏思惟像(はんかしいぞう)」弥勒菩薩さんとも再会しました。
 「一切衆生(いっさいしゅじょう)をいかにして救おうかと考えている」(お寺のしおり)の思いに触れたと思えた瞬間、穏やかな気持ちにさせてもらい、頭を下げていました。
 ここは訪れる人も少なく落ち着ける一画で、注文は休憩所(ベンチ)が無いことと、門前の歩行者信号音の「ペッポー」って音(仕方ありあませんが、工夫できないのか?)が気になることくらいでしょうか。
 この地域は、秦氏という渡来系(大陸方面から渡ってきた民族)の人々が切り開いた土地で、そこに太秦の地名の由来があるそうで、このお寺も秦氏の氏寺だったそうです。
 上写真、本堂の屋根のひさしがはねている様子から法隆寺を思い出し「あそこも聖徳太子だったよね」と、大陸からの影響について思いをはせておりました。


 今回は何だか怒られそうなタイトルを付けましたが、これは「実感」(会ったこともないくせに)です。
 背景となりそうな根拠などの整理は何もしてないのですが、聖徳太子は渡来人なのではないか? と、足跡を訪ねるごとに思うようになってきました。
 「天子を大陸から迎える」(もしくは偶像・象徴とする)ことで一気に改革が進められた、のではないかと。
 そう考えると、すごくしっくりと理解できる気がするのですが、勝手な憶測ですから誰も文句言いませんよね。
 最初に驚いたのが肖像画が多種にわたることです。昔の1万円札の絵は「広告用の宣伝画」と思える整えられた顔立ち表現を目的に描かれたと思えることです。
 他の肖像画は旧1万円札の絵とは似てもにつかないものばかりで、最初は「こんなの聖徳太子じゃないやい!」と思っていましたが、どちらが間違っているのか考えるうちに、自分の認識が違う気がしてきました。
 こんなにも大陸とのつながりを表だってアピールしている(もしくは祭り上げられる)皇室の人物って、変だと思いませんか?
 成果や功績も全部彼に押しつけ(当の人物を公表できないから)賞賛しようとする言い伝え(定説です!って?)というのも、何か裏がありそうだとかんぐりたくなります。
 百歩譲ったとしても、近代のそれは「明治以降の国家教育方針の間違い」(政治的な思惑で利用されていた)と思うし、そんな教育を受けてきた身ながらも、自分で気付くことができて少しは自立できたような気がしています。
 そんな天皇家の出自なんかより、自分のルーツは「大和家」と思っていたのが、「実はシベリア家がルーツなんだよ」と告げられる事の方がショックだったりしますよね……





 東映太秦(うずまさ)映画村(Map)

 こんな場所を見に来るくらい京都散策にも余裕が出てきたということを、自分でもうれしく感じています。
 映画館のCM(東映ムービーニュース?)でよく見せられた場所だ、というのが第一印象です。
 太秦と聞いて、最初に思い浮かべるのは東映撮影所でしょうから外せないと思ったのですが、現在の立地状況はどう考えても広隆寺の敷地に進出していったとしか思えないほど隣接しています(と言うか、広隆寺が圧迫されている印象)。
 そこには、どんな経緯があったのだろうか? と気になる部分でもあります。

 記念写真用の看板を探していたら、いまどきはこれなんですね。
 確かに「水戸黄門」や「遠山の金さん」じゃないですしね……


 大覚寺(Map)

 最近の流行の夜間ライトアップの準備をしていました。嵐山・嵯峨野一帯で行われるそうです。
 そんなことはどこでもやっているので、もう珍しくないことを意識しているのでしょう、和紙製の灯ろうを作ったり、大きなオブジェを作り光を当てるなどの趣向を凝らしたものになっているようです。
 とても夜の寒さには耐えられないので行こうとは思えませんし、電気代だってバカにならないでしょうから、もっとお金を掛けないで人を喜ばせることを考えた方がいいのでは? と思うこの頃です。──ロマンチックが足りませんかねぇ?
 確かに神戸のルミナリエは、震災復興の希望の光に見えて心が温まった印象がありましたし、東京タワーの明かりが消えたら日本全体が暗い雰囲気に包まれてしまうような気もします……
 紅葉シーズン後の客足の落ち込みを防ぎたいとのコメントを目にし、何てごうつくばりな奴らなんだという印象を受けました。
 あれだけの人でごったがえした季節があったにもかかわらず「もっと、もっと!」と言ってるわけですから……
 ここ数年、京都の観光客数は延びているにもかかわらず欲をかくのは、バブルが膨らんでいる傾向があるのかも知れません。


 ここはお寺の体裁にはなっていますが、御所にも使われていた経緯もあり、天皇(嵯峨)の離宮という印象の方が強いところです(とにかくデッカイ)。
 何と言ってもこの大沢池(一番下写真)は、周囲1キロもある「庭池」として作られたものですから驚きます。
 とはいえ「もしも、ねがーいが、かーなうなら♪」自分の庭もこれくらいあったらいいなぁー、という夢を庶民に見させてくれたりもするので、さすが天皇ということで……








 境内を流れるせせらぎ(右写真)。
 回廊からそんな風情を楽しむのであります。
 池を臨む装置には、もちろん立派な舞台がしつらえられております。(今回写真はカットで、ごめんなさい)













 今年はわたしも楽しみましたが、騒々しかった秋のシーズンが終わり、と思ったらもう師走。
 まだ2回目なので定かではありませんが、時期が遅くなっているように思えます。
 そのうち「クリスマスに真っ赤な紅葉ってピッタリだよね」とかなったりして?


 さすがに広い庭池(大沢池:上写真)ですから、紅葉の名残も所々にあったりします。



 北嵯峨(Map)

 そんな大覚寺の東には右写真のような田園風景が広がっています。
 京都盆地の北西端にあたり山が近いですから、とても寒い場所だと思われます。
 この青々とした葉は冬を越すのだろうか。畑の周囲には動物用? 人間用?(こんなことで悩む情けない世情)の電線が張り巡らされています。どちらにせよ、きっといい作物ができるのだと勝手に思いこんでいます。









 いまの京都においてこんな田園風景が残るこの周辺の雰囲気がとても好きなので、嵐山なんかより先に来たいと思っていましたし、楽しい散策ができました。

 下写真の、下から北山杉、竹、山林へと移り変わる植生が、山里で暮らす姿を映していると思えるのですが、いかがでしょうか?










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