2008/02/17

時を失う──源光庵、光悦寺、今宮神社、大徳寺

2008.2.16
【京都府】

 源光庵(Map)

 本日は天気予報で雪と聞いていたので、あらかじめ「雪の似合う場所」を想定し、ここに決めました。この日はちらつく程度の雪で、いい具合に風情を感じられる雰囲気を演出してくれました。
 先週を経験してるからでしょうか「雪は怖くない」むしろ「いとおかし」くらいの余裕で歩きました──経験は自信を生みます。
 それにしても、ここ「悟りの窓」を独り占めできるとは思ってもいませんでした(10分程度か? 時間の感覚を失っています)。

 こういう場面に遭遇した時というのは(沖縄のビーチを何時間も独り占めしたこと等含めて)、どれも同意(自分にとっての意味に相違は無いの意)であるように感じられ甲乙をつけるようなものではないし、どの地にあっても「心が開いていく感覚」は同じなのではないか? という気がしました(感じる心は同一人物ですし)。
 自分を孤高の存在と感じるときは、おそらく時間の感覚を失っているのではないか、と思われます。
 禅寺での瞑想は、自分と対峙(たいじ)することですから、時間を忘れその「場」を楽しむことから、活力を生み出せたらしめたものです。

 でも、悟りって何でしょうねぇ。
 自分としては、まず自己と向き合うこと。そこに私利私欲が無いことを確認することなのでは、という気がします。
 迷いを消し去ることなのかも知れませんし、それはおそらく「真理」を心に刻むことかと思われますが、移り変わる人の世でそれは可能なのか? という気もします(根本は変わらずも、布教の手法は時代によって変化してきたのではあるまいか)。
 だから、修行の門を叩く者を受け入れる姿勢というものが大切なのかも知れません。
 ここは元々、臨済宗大徳寺の僧侶によって開かれましたが、後に曹洞宗(永平寺系)の住職によって改宗されたそうです。同じ禅宗であっても宗派が変わったわけで「その心は(信念とは)?」と問いたくもなります(人が改宗することは別に悪いこととは思わないのですが)。
 人の心を導くことが信仰の主眼であると考えれば、別に細かいことはいいじゃないの! といった現在の日本人の宗教観にも通じて、何だか納得できるような気がするのですが、そんな認識ではいい加減すぎでしょうか?(そういった決定権って住職さん次第ということなのだろうか?)
 説明に「卍山禅師」と出てくるのを見て、こういう歴史から「卍」が漢字に含まれているのか、と勉強になった気がしました。




 光悦寺(Map)

 ここは本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)という、刀剣鑑定の家柄ながら、書家・陶芸・茶の湯と江戸時代の文化人的な評価を受けた人物の屋敷だったものが、彼の死後日蓮宗のお寺になったそうです。確かにお寺と言うよりは、「いき」な文化人の邸宅という趣の方が強い一画です。
 この地は「鷹峯」(たかがみね)と呼ばれる地域で、ここから「鷹ヶ峰」「鷲ヶ峰」「天ヶ峰」を見渡せる、と言うかそんな山々の麓に位置します。(前回来たときは、金閣寺脇から歩いて結構登った記憶があります)
 上記の源光庵の近くにあり、シーズンでも人は多くない場所ではあるのですが、再訪ということもあり今回はゆったりとできて、時間を忘れることができました。
 右写真は朽ちた橋ですが、結構のぞき込むようにしないと見えないロケーションです。
 下写真は「光悦垣」(竹を斜めに配している)と言われる垣根の陰で、垣根は右側にあります。ご覧になりたい方はこちらへ。
 京都には他にも「建仁寺垣」など発祥の地の名が付いた様式の垣根がいくつもあります。


 下写真は光悦の墓。




 今宮神社(Map)


 前回来た時も「女性が多い」という印象があり「恋愛成就」あたりで有名なのかと思っていたのですが(清水寺にあって恋愛成就で有名な地主神社がここにもあります)、「やすらい祭り」などの疫病除けで有名な社だそうです。体についての悩み・不安を抱える方が多いということなのでしょうか。
 上写真の座布団の上に鎮座している黒い物体が「阿呆賢(あほかし)さん」という石です。手のひらで三度石を打って持ち上げると重くなり、願い事を込めて三度手のひらで撫でて持ち上げて、軽くなれば願いが成就すると伝えられています。みなさん並んで石を撫でていました。
 おみくじが和歌おみくじ(十二単の姫様の絵と源氏物語の歌が描かれている)だったりと、やはり女性へのアピールもちゃんとしています。

 でもわたしには、門前に2軒並ぶ「あぶり餅屋」(疫病除けのご利益があるそう)さんが最大の集客力になっているように思えます。今回も盛況でした。(右写真)














 大徳寺(Map)

 臨済宗大徳寺派の本山で、創建は鎌倉時代だそうですが、秀吉が信長の葬儀を行ったころから栄えてきたようです。先日の妙心寺同様、周囲には数多くの塔頭(たっちゅう)寺院が建てられていますが、それらの多くは戦国の武将たちによるものだそうです。(信長を倒した光秀が身の清めに入った風呂がある妙心寺とでは格が違うということか?)
 利休が秀吉の怒りを買って自害に追い込まれた原因もこの寺に起因しているそうで、秀吉や茶道とのゆかりが深い寺院です。
 本堂などの拝観は行っておらず、塔頭寺院でも「拝観拒絶」の看板を掲げているところが多く、妙心寺よりも厳格というか修行の場としての性格が強そうな印象があります。
 拝観できる寺院もそれぞれ折り目正しいと言うか凜とした空気を漂わせ、目と気の配り方が隅々まで行き届いているような印象があって、ここでの修行は厳しそうな気がします。
 そういう言い方は無いよね「背筋が伸びる」思いがしました、ですよね(竹は曲がってますが上方を目指しています)。



 一緒に行った彼女です。
 であるわけもなく、女性グループで来られた方です。
 おばさんの写真も撮ったのですが、検討の結果「やっぱ若い方がいいだろう」(誰の声?)ということに……
 縁側に敷かれた赤毛せんの上に座りお茶をいただきながら小雪舞う庭を眺める、といういわゆる京都のイメージを体現しているわけですから、きっと満足いただいていることでしょうと、自称観光協会応援ボランティアとしても満足です。ホントとっても良かったですよ。
 塔頭の「高桐院(こうとういん)」という寺院なのですが(上写真2枚と右)、ここは有名なのかなぁ? 比較的楽に京都のイメージを体感できそうな場所のように感じられ、オススメできると思うのですが、無知な発言だったらごめんなさい。
 付記:細川ガラシャさんのお墓があります。



 ここは「真珠庵」という寺院で、一休 宗純(いっきゅう そうじゅん)「一休さん」のモデルになった僧侶が中心になって創建した寺院だそうです。
 上写真はその門の屋根です。幾重にも木が重ねられている構造がよく分かると思います。
 下は門前にたたずむ松の大木の根です。
 すぐ隣にある「大仙院」は拝観可能なのですが内部は撮影禁止とされています。まあ、国宝と言われれば仕方ない気もしますが、それこそ「別に減るモンじゃなし」と思ってしまいます。そんなところにもこの宗派の厳格さが現れているように感じました。
 宮本武蔵の縁も伝えられているようです。


 下写真は「瑞峯院」にある独坐庭(どくざてい)という、荒波を表現した石庭です。
 石庭とは、心静めるためのものかと思っていましたが、確かにこういう表現も可能だよなぁと驚かされました。
 これはこれで、心の中ではざわめく大きな波もあるはずであり、その波をどう乗り切って行くかという瞑想ができること、納得させられました。


 下写真は同所にある「安勝軒」(ラーメン屋かい?)という茶室の窓です。
 表現が難しい表情をした建物ですが「愉しきかな」とでも言うのでしょうか? 嫌いじゃありません。


 人の少なさももちろん大きな理由でしょうけれど、本日のコースはオススメできます。自分でもイケてるコース設定だったと満足しています。
 実に楽しゅうございました。是非、ご検討ください!

 交通:地下鉄烏丸線 北大路下車、「北1」路線バスにて「鷹峯源光庵前」下車(源光庵、光悦寺)。
 同停留所より「四条大宮」行きで「仏教大学前」下車(今宮神社、大徳寺)。

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