2008/03/10

無常という概念──青連院門跡、知恩院、建仁寺

2008.3.8
【京都府】

 青連院門跡(しょうれんいんもんぜき)(Map)


 キターッ! 「スプリング ハズ カム」どすなぁ。
 まさに本日、今年初めて「春の陽気」というものが感じられました。京都の最高気温12度だったそうですが、でも気持ちまで緩みました。
 「ホー ホケキョ」は聞こえてきますし、太陽が旅人のコートを脱がせてしまい、脇に抱えている人も目立ちました。
 気分は晴れやかなんですけどねぇ、また混雑する京都に戻るのかと思うと、ちょっと憂鬱でもあります。


 以前もオススメしましたがここもとても好きな寺院で、陽気に誘われたせいか、はしゃいでパシャパシャ、シャッターを切っていました。
 知恩院門前の道を北(平安神宮方面)へ歩くと、すぐ隣に突然現れる巨木群。「これはただごとではない」と立ち寄ったわたしでしたが、素通りする人の方が圧倒的に多く、中はガラガラでやりたい放題(?)の、とても落ち着ける場所です。
 上写真は、その巨木の根です。枝振りも撮ったのですが、この写真以上に迫力が出ませんでした。これは実際に見てもらわないと伝わらないと思いますので、是非!


 人の少なさがうかがえると思いますが、ここでお茶をいただくようです。
 ホント日差しがポカポカで、ここで横になりたいと皆さん思われたことでしょう。
 春の訪れを喜ぶってこういうことなんだろうなぁーと、芽吹き出す草花のように自分の皮膚もそれを感じ取って反応しているように思え、文字通り全身で季節感を味わっておりました。


 この寺の起こりは、比叡山延暦寺に属する施設のひとつとして開かれ、鳥羽法皇の子孫が住職を務められ門跡寺院(天皇家がかかわった寺院)となったそうです。
 概略の流れとしては理解していた、延暦寺の最澄(天台宗)のもとから巣立った知恩院の法然(浄土宗)、本願寺の親鸞(浄土真宗)を庇護していたのがこの寺(と言うか、天皇家の力)のようです。
 それは隣接する、知恩院(浄土宗)との間に「本願寺誕生の地」(東・西共に浄土真宗)の石碑があることからも、うかがい知れます。
 おそらく、その辺りが「東山文化」の発祥につながっていくのだと思われます。
 東山山頂付近の「将軍塚 大日堂」が青蓮院の飛び地として残っているのは、平安(京都)遷都の記念碑的性格ゆえ(近くにある)門跡寺院に帰属させたい、という意志からのように思えます。
 ──こんなことが言えるようになったのかと、自分でも驚いています(少しは学習していたようです)。


 ちょっとお寺の写真に、マンネリを感じはじめてきました。
 どう打破するかと考えた時、画家が抽象画を描きたくなるように、心のおもむくままに撮りたい衝動に駆られるなんて言ったら、そりゃ言い過ぎですよね……


 知恩院(Map)


 デッカイんだ、この鐘。
 「ゆく年、くる年」などでご覧になったことあると思いますが、この寺の名物ですよね。
 知恩院にくると、一気に観光地モードに切り替わります(青蓮院門跡のすぐ隣なのにねぇ、と思ってしまいますが、信徒数も多いですから)。
 確かに、三門もデッカイし「大きいことはいいことだ!」がコンセプト(これは東・西本願寺と同じ印象)なんですね? なんて言ったら怒られるよね。
 いえいえ、このお寺好きなんですよ「大きいところが」……
 これでは答えになってませんね。それはきっと、三門から山の中腹に広がる境内に登る石段の、一段の高さにあったりするのだと思います。
 普通の石段は20cm程度ですが、その倍はあると思われるちょっとキツイ石段になっていて、おそらく祈願行為の一環との位置づけなのでしょう。そこを、杖を手にした老男・老女が途中で休みながらも挑もうとする姿勢に、この石段の存在意義を教えてもらっていると思えるからかも知れません。

 ここの庭園の池はとても澄んだ水をたたえています。
 東山の山麓にある土地柄か湧水に勢いがあるので、水面に波紋が広がっており、石庭の波紋が息吹を得たような情景にも見てとれます。
 上記は変な表現(逆でしょと指摘されそう)だったかも知れませんが、万物は(途切れることなく)連鎖している、とのことを感じそれを表現しようとしたものです。


 4千人も入れるという「御影堂(みえどう)」こそが最大の建造物で(と思われる)、全面の柱が四角であるのが珍しくて撮ってきましたが(普通は丸太ですよね)、その由緒については見つかりませんでした。

 ちょうど新聞に「浄土宗も戦争関与に対する謝罪」とありました。
 これは初めて耳にしたのですが、太平洋戦争中に軍に武器を寄付したり、大陸まで戦意高揚のための布教に行ったりしていたそうです。
 浄土真宗の東・西本願寺にも同様のことがあったそうで、すでに謝罪をしていたそうです。
 昔の系譜をつい最近まで受け継いでしまっていたようですが、これからは宗教法人らしい振る舞いをしてもらいたいと思うものの、そういう「血筋」があるように思えてしまう、などと書いたら、それこそ焼き討ちに遭いそうです……
 延暦寺系統(個人的には武闘派的なイメージを持っているのですが)を非難する主旨ではなく、日本の仏教最大の宗派である浄土宗系(このくくりにも反論はあると思いますが)に息づいているのではと感じられることと、神道を背景にした自民党のやからが時折主張する、配慮に欠けた戦争を正当化する言動というものから想起される、日本人の中に潜在的に息づいている「日本人の血筋なのでは?」という危惧に対するものです。
 神道と浄土真宗を足したら、心の支え(信仰)を持つ日本人の大半を占めてしまうわけですから、いざというときの「勢力」になり得ます。

 どうも日本人は群れると酔い(心酔し)やすい体質のようにも思えるので(新興宗教も望み薄であるし)、無宗教という選択は自浄作用から生まれた自己防衛策なのかも知れない、などと思ったりもします……


 八坂神社(Map)


 脇を通り抜けるつもりだったのですが太陽光線の加減で、キンキラ光っていたので誘われてしまいました。
 するとちょうど右写真の婚礼の行列に出くわしました。雅楽などが流れ、観光客にも祝福されて、なかなかいいもんですね。でもアングル逆だよね(奥さんを撮らないと)。

 人は明るいモノに引かれること、納得です。
 禅寺めぐりには、明るさがありませんから、神社のキンキラした装飾に思わず引かれてしまいましたが、北野天満宮、伏見稲荷など庶民の集まる神社はみな派手な飾りが施されています。
 心の安らぎと、現実の生活とでは、求めるものが違うのはまぎれもない事実です。
 確かに禅寺でお金に関してのお祈りなどしたら『喝!』と引っぱたかれて「顔を洗って出直してまいれ」などと言われそうですものね……

 円山公園脇に「いもぼう」なる料理の看板がありました。
 棒鱈(ぼうだら:タラの干し物)と海老芋(形が海老に似ている)の煮物だそうです。今度是非チャレンジしてみます。

 右写真は祗園界隈。











 建仁寺(Map)


 「京都最古の禅寺」とパンフレットにあります。南禅寺 天授庵の項でも書きましたが、創建は古いのですが当初は天台・密教・禅の兼学で、禅宗の専門寺ではなかったそうです。
 とは言え、鎌倉幕府の意向で栄西禅師が開山したそうなので、まさしく日本の禅のルーツであるようです。


 最近変わってきた気がするのが「無情観」というものへの認識です。
 これまで抱いていた「寂寥感」や「切ない気持ち」というイメージから感じられる温度の低さから、本来は体温と同程度の温度を持つものであり、そこにそれを見つめる己の思いが加わり、ほんのり暖かく感じられる「一体感」(目前で起きている事象を自己の中で昇華させる思い)のようなものがあるのでは、と思うようになってきました。
 ──ゴメンナサイ、こんな表現で伝わるのか本当に自信ありません……

 そんな思いからか、わたしはこれまで「無常」と「無情」という概念を混同してとらえていたのでは、という気がしてきました。
 無常とは:この世の中の一切のものは常に生滅流転(しょうめつるてん)して、永遠不変のものはないということ。人生のはかないこと。人の死。
 無情とは:いつくしむ心がないこと。思いやりのないこと。精神や感情などの心の働きのないこと。
 出典:インターネット 大辞泉より引用

 また、無常観と無常感の違いについての記述も目にしました。
「無常観」
常:常にそのまま
無:常にそのままで無い、(すべてのものが)変化すること。われわれの体も時々刻々と変化し、最後に死んでいく。
「無常感」
人間や世間のはかなさ、頼りなさを情緒的、詠嘆的に表現しようとした日本的な美意識
 出典:http://www.haginet.ne.jp/users/kaichoji/hw-bunnka5.htm より引用

 本来的な意味と、これまで持ち続けていたイメージとを整理できたような気がしています。
 そんな精神の体験からでしょうか、「無常」という概念がとても身近なものに思えるようになってきました。


 ここはこれまでの禅寺とは違い祗園のすぐ裏手で、WINS(場外馬券売場)などがある繁華街に近い立地条件にあります。
 庭園の縁側に腰掛けても、お寺の保育所があるのか子どもの声や、近所の工事の騒音などが耳に入ってきます。
 これまでより人も多いので「落ち着けないなぁ」と思っていましたが、徐々に雑音が気にならなくなってくることを実感できました。
 環境を言い訳にするのではなく、自身の「気の持ち方次第」であること、納得させられました。
 少しは「分かってきた」のでは? という気分にはなったのですが、その成果やいかに?
 ──前回訪問時のコメントです。ちょっと恥ずかしいのですけど、変化を比較してみて下さい。

 上写真は同心円だけの模様ですが、ここには潜岩(水中に潜んでいて水面からは存在を認められない岩:目に見えぬものからも波は立つ)があるとの意味ではないか、と解釈したのですが…… それにしてもどうやって描いたのでしょう?
 ここの石庭の模様は、写実ではなく象徴的な記号のように描かれています。頓知問答で使われてもきちんとした答えが導き出せるような、洗練されたアイコンになっていると思います。
 それはひとつの「文化」だと思います。ここ建仁寺ではその「サイン」に気がついて、ひもとくことでその文化の存在を認識できたと思います。これまでの禅寺にもそれぞれ「独自の文化」があったのだと思われますが、素通りしてきてしまいました……
 3周目には、もう一歩踏み込んだ深さの理解を目指したいと思っています。

 禅寺めぐりは今回で終了です、お付き合いありがとうございました。
 京都の印象を書くにあたり「禅宗」と「無常観」に言及せずには、単なる「京都ステキ!」的な感想文になってしまうと思っていたので、何とか触れられて、ホッとしています。
 ──東福寺が入ってないじゃないか? の声もおありでしょうが、紅葉時の人の波の印象が尾を引いているようでどうも食指が伸びず、ほとぼりが冷めてからまた行きます。

 明るい季節になりましたので、これからは内容も明るくしていきたいと思っています。


 「京都ひとり旅」ってこんなイメージなんでしょ?
 でも、これ結構な距離から撮ったのですが、すれ違いざま「わたしを撮ったでしょ!?」って目で見られました。
 こんなんでめげていては、何も撮れないのかも知れませんが、ほどほどにと思います……
 「京都モデル」募集! したいなぁ〜。

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