2007/04/21

開府の将が築いた幕引きの舞台──二条城

2007.04.21
 二条城(Map)


 修学旅行で来たのだろうか。「キュッキュ」鳴る床を歩いた覚えはあるのだけれど、ここだったのか?
 家康が造営した京都での居城だそうです。中にはご丁寧に、将軍様(現代ではちと意味が違う?)、家臣、大奥の人形が配置されているのですが「あれっ、松の廊下や、大奥は江戸城じゃなかった?」。そんな時代劇から学んだ知識は正しかったようです。何代目かの将軍からは、就任式も行われなくなったそうです。
 城とは言え平穏な江戸時代らしく(?)防御に力を入れてない、天皇の接待場のような存在だったようです。だからきっと、高い建造物は造らなかったのでしょう(天守閣跡はありますが)。
 再び歴史の表舞台に出てくるのは、幕末の「大政奉還」がここで発せられた時です。
 「それならよく分かる」これまた時代劇からの知識です。教科書よりも、ドラマや小説の印象が強いのはわたしだけ?
 とは言え江戸城無き今、現存する最も存在感のあるお城なのではないのでしょうか。
 外人さん喜ぶ(比率としては金閣寺と並ぶくらい多かった)、日本人喜ぶ(団体入り口の下駄箱の数は修学旅行用でしょう)。やはりスーパースターですね。
 でも、中学生自身にはどうでも良かったのかも……


 神泉苑(Map)—京都府


 二条城のすぐ南にあり、都の造営と同時に整備された苑地とのことで歴史も古く、御池通の由来になったとの説や、空海さんが雨乞いをしたとか、義経と静御前が出会ったなどの言い伝えが残る、由緒ある場所のようです。
 「だと思ったんだよなぁー」。予備知識も何もなく、地図を見て「行ってみたい」と思ったのは、やはり誘われていたのでしょう。
 社の上には鳳凰がお決まりかも知れませんが、ここでは鳩です。のんびりしていて、いいでしょ?
 泉の印の由来である湧水は、池はあれども今いかに……


 夷川通(Map)—京都府


 夷川通(えびすがわどおり)にある座敷机のお店です。
 この通りは「家具屋ストリート」と呼ばれているのでは、と思うほど関連のお店が並んでいます。それも結構長く続いています。
 地図で見たところ、少なくとも11の町にまたがって続いており、一般的に専門店が多い一角を町名で呼んだりするのと違い、通りの名前で呼ぶのではないかと思われます。

※京都の市街地では「○○町」と呼ばれる区分は、通りに囲まれたブロックではなく、通りに面した両側を単位にして細かく区割りされています。玄関前の通りに出て、顔を合わせられる範囲がひとつの町という感じで、壁で接する隣(裏)の家はその玄関のある反対の道側の別の町名になります。
 広さ的には一般的な「○丁目」が「○○町」になってる感じでしょうか。

 何か、いよいよ中心街に近づいて来たようで、突き当たりの寺町通には観光客相手のお店が並んでいます。
 「京都のそばはうまくない」との評判に反して、これまで入った3軒くらいはみんな当たりで好印象だったのですが、ここで外れクジを引いてしまいました。うーん、これも経験ですかね……


 幾松─上木屋町(Map)—京都府

 ここは、桂小五郎と幾松(後の奥さん)の寓居跡(仮の住まい)の旅館だそうです。当時は、長州藩の控屋敷だったそうです。
 ここも何の知識もなく歩いている時に、偶然目に止まった脇道を撮ろうと思っただけでした。
 やっぱり、誘われているのだと思います。
 その近くで「佐久間像山、大村益次郎遭難の碑」を目にし「この木屋町、田原町付近ってのは幕末のキモなんだ」などととぼけた事を思いながら歩いているのでした。
 「勉強しなきゃ」と思いながらも「歩きながら学んでいる」と思えば、いいじゃないか!
 でも、見逃しているモノもたくさんあるんじゃない?

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