2008/02/24

禅を表現するということ──相国寺

2008.2.23
【京都府】

 冷泉家(れいぜいけ)(Map)


 冷泉家の名は耳にしたことがあると思われますが、室町時代からの公家の家柄で、明治時代からは伯爵だそうです。何だかまさしく「そんなの関係ねぇ」だよなぁ(もう彼も見かけなくなりましたねぇ)。
 なぜ注目されるかと言えば、膨大な至宝の数々がそこに残されているからです。
 戦国時代に都落ちしている間に、秀吉政権によって現在の京都御所周辺に公家町が完成されてしまい、家康の時代に上洛を許された冷泉家はその外側に家を構えざるを得なかったそうで、現在の京都御苑から道を挟んだ場所にあります。
 ──上写真は、今出川通りをはさんだ御所側から同志社大学方面(北方向)をのぞんでいます。
 明治の世になり、公家町に住む公家たちは天皇に従って東京に移ったのですが、冷泉家には御文庫という蔵があったためお供しなかったそうです。
 天皇不在の公家町は治安のため取り壊され、東京へ移った公家たちの所蔵物は関東大震災や大空襲で失われてしまったのですが、京都に残っていた冷泉家の持ち物だけは無事に現存し、貴重な至宝の価値が注目されるに至ったということです。
 まあ、それを見られるわけでもありませんから、前を歩く男性のように「そんなの関係ねぇしなぁ」としか言えないのですけれど……


 同志社大学 クラーク記念館(Map)

 新聞で修復工事が完了したことを知ったので、のぞきいてきました。
 それにしてもこのキャンパスのレンガ造りの校舎群は立派で、ここまで統一できるというのは、建学の精神というものがしっかりしているからであろうと思います。
 大学のホームページの学部紹介のトップに神学部が出てくることからも、なるほどと思わされます。
 ここは江戸時代薩摩藩邸があった場所で、薩長同盟締結の場であるそうなので、西郷さんや龍馬も出入りしていたのではないでしょうか。
 構内で見かけたトラックに、レントゲン室などで見かける「放射線区域」のようなマークが書かれてあったので、そういう研究もしているのかと思っていたのですが、校章だったようです……(失礼しました)。
 ちなみに、この「クラーク」さんと北海道の「クラーク博士」とは何の縁も無いそうです。


 相国寺(しょうこくじ)(Map)

 前回は到着時間が遅かったので拝観も出来ず「大きな寺院だなぁ」程度の印象で通り抜けてしまいましたが、今回は少し勉強して、ここメインにやってきました。
 ここ相国寺は、足利義満の発願(ほつがん)によって建立された臨済宗相国寺派の大本山で、祖父の尊氏が天龍寺を建てたことに倣ったようです。
 その天龍寺、等持院にも登場した「夢窓国師(むそうこくし)」ですが、ここでも開祖とされています。
 とは言え、そんなに長生きしていたわけではなく、彼の死後に象徴として祀られたそうですが、その夢窓国師の木造が実際に祀られていおり「禅宗は偶像崇拝?」と驚きました。
 禅宗では師弟のつながりを重んじるのだそうで、その証しとして師の寺を取り囲むように塔頭(たっちゅう:覚えてますか? ここで使いたいためにこれまですり込んできたんです!)寺院を建立するならわしがあるそうです。
 金閣寺と銀閣寺は、この相国寺の塔頭寺院なのだそうです(これを伝えたかったわけです)。
 ってことは、この寺は相当格が高そうに感じますが(確かに京都五山の第一位だ、二位だと言われますが、それも当事者の義満が決めたそうなのでどんなもんかと思います)、金閣は義満の、銀閣は義政の山荘であったものをそれぞれの没後に寺とすることで、初代将軍尊氏が師と慕った夢窓国師を祀った相国寺の塔頭寺院としたそうです。
 でも何故、尊氏が建立した天龍寺ではなく義満が建立した相国寺なのか?
 については憶測ですが、師弟のつながりを大切にする理由から、夢窓国師が祀られている相国寺にしたのではないか?
 もしくは、京都における禅宗寺院の体系確立に相国寺が大きな役割を果たしたことによるものか?
 天龍寺は後醍醐天皇の菩提を弔うために建立されたもので、足利家というよりは天皇家の縁が強いから?
 とも思ったりしますが、これ以上はこのレポート時点では把握できていません……(いい加減だなぁ、ちゃんと勉強せんかい!)


 敷地内にある「承天閣美術館」で現在「相国寺の禅林文化展」が開催されていて、それを見るのが一つの目的だったのですが、ちょっとぶっ飛びました。
 いわゆる水墨画の掛け軸なのですが、こんなにも質素で枯れているような絵(これはわたしの表現)を床の間等に飾り、それを見て満足できる精神を持つ人とは「とても豊かな心の持ち主」なのではあるまいか? と思わされ、ちょっとたじろぎました。
 極めつけは展示用に移されている、鹿苑寺(金閣寺)の玉座(天皇の席)の床の間に描かれた「葡萄図」の水墨画(リンク先の2枚目)です(背後に対面するように飾られている芭蕉図(リンク先の3枚目)も素晴らしかった)。
 あの絵を背にして天皇が座るわけですよ!
 感じ方によっては「相当景気の悪い時代だったのかも」と、その実務面を不安しする見方もあるかも知れませんが、わたしは一国のトップが水墨画を背にして執務を行うことに、とても潔さを感じたのですが(装飾の豊かさで力を誇示するのではなく、本質で向き合おうとする姿勢があったのではないか? と思えました)、実際のところはどうだったのでしょう。
 しかし、禅を表現するということは、もうこれ以上そぎ落とすものはないところまで突き詰めた、その描き手の心象に映った本質を描くことにほかならないのではないか?
 そんなインパクトを受けてしまい、展示室なので大きな声は出さずとも「変な人?」のように、何やらブツブツつぶやいておりました。
 もしあの場所(玉座)で酒が飲めたなら、何もつまみはいらないんじゃないか?
 ──玉座では酒は飲まぬものなのか? 「下々の考えそうなことじゃのう」と、一笑されてしまうのでしょうか?
 で、酔っぱらって二日酔いで、次の日仕事にならなかったりしちゃうのかなぁ? などと妄想をしておりました。
 「まさか、お上におかれましては、そのようなことは……」

 これまでも水墨画に接したことは何度もありますが、このように心打たれたことは初めてです。
 やはり禅寺の中で観るという環境的な要因と、ここ数週間続いた禅寺めぐりでの「修行?」(確かにそういった印象はありました。自分でも「何で禅寺ばかり回っているんだろう?」と)の成果が、そんな感じ方をさせてくれたのではないか、と思います。
 何れにせよ「禅を表現するということ」に心動かされたことは事実なので、とてもいい経験をしたと思っています。


 瑞春院(雁の寺)(Map)


 水上勉の小説『雁の寺』の舞台になったとされるお寺です。
 相国寺の塔頭寺院で公開されているのはここだけだから人が集まるのか、存在自体に人気があるのか分かりません。
 団体がいたせいもあるかも知れませんが、何か観光地みたいになってました。
 同氏著書『金閣炎上』と併せてツアーみたいなものがあるのかも知れません。
 どちらも読んでいないと思われ、映画では若かりし頃の若尾文子の足が印象に残っているのは、この作品だったか?
 こんな話題しかない上、話しが広がらずにスミマセン。(『はなれ瞽女おりん』は覚えているんですが……)



 右上は、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)に飾られた生け花。
 京都で最も古いとされる御霊祭が行われるところです。(どこでもそうですが、自称No.1は多くてもう調べるのやめました)

 右写真は、茶道資料館に隣接する本法寺の土塀で、瓦を挟みながら土が盛られていった制作過程がよく分かります。









 裏千家(Map)


 上写真は茶道の裏千家「今日庵」の門になります。まるっきり分かっていなかったのですが「それで表千家はどこ?」と思っていたら、すぐ隣にありました。
 この日は何か催し物があったようで、表千家「不審庵」の門には立派な黒塗りの車が横付けされ、偉そうな人が出てきたりで、ちょっと写真を撮れる雰囲気ではありませんでした。
 着物姿の方が出入りしているのですが、そんな男性の所作ってどうしてもオカマっぽく見えてしまうのは、わたしだけでしょうか?(怒られるー)
 京都の三千家(表と裏千家が嫡流で、武者小路千家は分家になるのだそうです)は、千利休の後妻の連れ子の系統らしく、本家は堺千家になるのだそうです(聞いたことないんですが……)。
 どうも付け焼き刃的ですみません、関心も薄いもので以上になります。

 右写真が、わたしの出身地です。
 それは冗談ですが、珍しい町名を見つけたので紹介したかっただけです。
 ほんの200m程度の路地に面した家々だけの町のようですが、新しい町内掲示板なんかもあったりします。
 京都は昔からこのような小さな町の集合体であったと思われ、秀吉の時代には1300町を数えたと言います。
 現在どれだけの町名が残されているのか分かりませんが、全然関係ないヤツが迷い込んで来て写真を撮ったりするかもしれないので、残せるものなら残してもらいたいと、願っております。

 近くに白峯神社という蹴鞠を伝える神社があり、現在はサッカー選手やチームが祈願に訪れる名所になっています(京都サンガもJ1復帰ですからご利益があったということでしょう)。
 ちょうど今晩サッカーの韓国戦があるのでお祈りしましたが、ちょっと願いが足りなかったようです。

 道を挟んだ向かいに、先週紹介した本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)の屋敷跡の石碑があります。


 わびすけ(Map)


 同志社大学の前にある喫茶・食事処です。
 前回いただいきとてもおいしかった「いもねぎ」ですが、中途半端な時間だったので今回はパスしました(結構ボリュームあります)。気軽に入れるお店なので是非いかがでしょうか。
 暖かい店内から表を眺めていると、雪が本降りになってきました。
 雪は室内から眺めるに限りますね……

 わたしにはとても「禅を表現するということ」はできないのですが、気分的に今回は全部モノクロにしました(いつかやりたいとは思っていたのですが)。
 願望はあってもなかなか出来ないと思われますが「禅の空気に浸る」の端っこくらいはかじれたような気がしているので、とりあえずの目標は達成です。
 禅寺めぐりも次週で終了の予定なので、もう少しお付き合いを。
 ──と思ってましたが、2週に分けようかと思い始めてきました……

2008/02/17

時を失う──源光庵、光悦寺、今宮神社、大徳寺

2008.2.16
【京都府】

 源光庵(Map)

 本日は天気予報で雪と聞いていたので、あらかじめ「雪の似合う場所」を想定し、ここに決めました。この日はちらつく程度の雪で、いい具合に風情を感じられる雰囲気を演出してくれました。
 先週を経験してるからでしょうか「雪は怖くない」むしろ「いとおかし」くらいの余裕で歩きました──経験は自信を生みます。
 それにしても、ここ「悟りの窓」を独り占めできるとは思ってもいませんでした(10分程度か? 時間の感覚を失っています)。

 こういう場面に遭遇した時というのは(沖縄のビーチを何時間も独り占めしたこと等含めて)、どれも同意(自分にとっての意味に相違は無いの意)であるように感じられ甲乙をつけるようなものではないし、どの地にあっても「心が開いていく感覚」は同じなのではないか? という気がしました(感じる心は同一人物ですし)。
 自分を孤高の存在と感じるときは、おそらく時間の感覚を失っているのではないか、と思われます。
 禅寺での瞑想は、自分と対峙(たいじ)することですから、時間を忘れその「場」を楽しむことから、活力を生み出せたらしめたものです。

 でも、悟りって何でしょうねぇ。
 自分としては、まず自己と向き合うこと。そこに私利私欲が無いことを確認することなのでは、という気がします。
 迷いを消し去ることなのかも知れませんし、それはおそらく「真理」を心に刻むことかと思われますが、移り変わる人の世でそれは可能なのか? という気もします(根本は変わらずも、布教の手法は時代によって変化してきたのではあるまいか)。
 だから、修行の門を叩く者を受け入れる姿勢というものが大切なのかも知れません。
 ここは元々、臨済宗大徳寺の僧侶によって開かれましたが、後に曹洞宗(永平寺系)の住職によって改宗されたそうです。同じ禅宗であっても宗派が変わったわけで「その心は(信念とは)?」と問いたくもなります(人が改宗することは別に悪いこととは思わないのですが)。
 人の心を導くことが信仰の主眼であると考えれば、別に細かいことはいいじゃないの! といった現在の日本人の宗教観にも通じて、何だか納得できるような気がするのですが、そんな認識ではいい加減すぎでしょうか?(そういった決定権って住職さん次第ということなのだろうか?)
 説明に「卍山禅師」と出てくるのを見て、こういう歴史から「卍」が漢字に含まれているのか、と勉強になった気がしました。




 光悦寺(Map)

 ここは本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ)という、刀剣鑑定の家柄ながら、書家・陶芸・茶の湯と江戸時代の文化人的な評価を受けた人物の屋敷だったものが、彼の死後日蓮宗のお寺になったそうです。確かにお寺と言うよりは、「いき」な文化人の邸宅という趣の方が強い一画です。
 この地は「鷹峯」(たかがみね)と呼ばれる地域で、ここから「鷹ヶ峰」「鷲ヶ峰」「天ヶ峰」を見渡せる、と言うかそんな山々の麓に位置します。(前回来たときは、金閣寺脇から歩いて結構登った記憶があります)
 上記の源光庵の近くにあり、シーズンでも人は多くない場所ではあるのですが、再訪ということもあり今回はゆったりとできて、時間を忘れることができました。
 右写真は朽ちた橋ですが、結構のぞき込むようにしないと見えないロケーションです。
 下写真は「光悦垣」(竹を斜めに配している)と言われる垣根の陰で、垣根は右側にあります。ご覧になりたい方はこちらへ。
 京都には他にも「建仁寺垣」など発祥の地の名が付いた様式の垣根がいくつもあります。


 下写真は光悦の墓。




 今宮神社(Map)


 前回来た時も「女性が多い」という印象があり「恋愛成就」あたりで有名なのかと思っていたのですが(清水寺にあって恋愛成就で有名な地主神社がここにもあります)、「やすらい祭り」などの疫病除けで有名な社だそうです。体についての悩み・不安を抱える方が多いということなのでしょうか。
 上写真の座布団の上に鎮座している黒い物体が「阿呆賢(あほかし)さん」という石です。手のひらで三度石を打って持ち上げると重くなり、願い事を込めて三度手のひらで撫でて持ち上げて、軽くなれば願いが成就すると伝えられています。みなさん並んで石を撫でていました。
 おみくじが和歌おみくじ(十二単の姫様の絵と源氏物語の歌が描かれている)だったりと、やはり女性へのアピールもちゃんとしています。

 でもわたしには、門前に2軒並ぶ「あぶり餅屋」(疫病除けのご利益があるそう)さんが最大の集客力になっているように思えます。今回も盛況でした。(右写真)














 大徳寺(Map)

 臨済宗大徳寺派の本山で、創建は鎌倉時代だそうですが、秀吉が信長の葬儀を行ったころから栄えてきたようです。先日の妙心寺同様、周囲には数多くの塔頭(たっちゅう)寺院が建てられていますが、それらの多くは戦国の武将たちによるものだそうです。(信長を倒した光秀が身の清めに入った風呂がある妙心寺とでは格が違うということか?)
 利休が秀吉の怒りを買って自害に追い込まれた原因もこの寺に起因しているそうで、秀吉や茶道とのゆかりが深い寺院です。
 本堂などの拝観は行っておらず、塔頭寺院でも「拝観拒絶」の看板を掲げているところが多く、妙心寺よりも厳格というか修行の場としての性格が強そうな印象があります。
 拝観できる寺院もそれぞれ折り目正しいと言うか凜とした空気を漂わせ、目と気の配り方が隅々まで行き届いているような印象があって、ここでの修行は厳しそうな気がします。
 そういう言い方は無いよね「背筋が伸びる」思いがしました、ですよね(竹は曲がってますが上方を目指しています)。



 一緒に行った彼女です。
 であるわけもなく、女性グループで来られた方です。
 おばさんの写真も撮ったのですが、検討の結果「やっぱ若い方がいいだろう」(誰の声?)ということに……
 縁側に敷かれた赤毛せんの上に座りお茶をいただきながら小雪舞う庭を眺める、といういわゆる京都のイメージを体現しているわけですから、きっと満足いただいていることでしょうと、自称観光協会応援ボランティアとしても満足です。ホントとっても良かったですよ。
 塔頭の「高桐院(こうとういん)」という寺院なのですが(上写真2枚と右)、ここは有名なのかなぁ? 比較的楽に京都のイメージを体感できそうな場所のように感じられ、オススメできると思うのですが、無知な発言だったらごめんなさい。
 付記:細川ガラシャさんのお墓があります。



 ここは「真珠庵」という寺院で、一休 宗純(いっきゅう そうじゅん)「一休さん」のモデルになった僧侶が中心になって創建した寺院だそうです。
 上写真はその門の屋根です。幾重にも木が重ねられている構造がよく分かると思います。
 下は門前にたたずむ松の大木の根です。
 すぐ隣にある「大仙院」は拝観可能なのですが内部は撮影禁止とされています。まあ、国宝と言われれば仕方ない気もしますが、それこそ「別に減るモンじゃなし」と思ってしまいます。そんなところにもこの宗派の厳格さが現れているように感じました。
 宮本武蔵の縁も伝えられているようです。


 下写真は「瑞峯院」にある独坐庭(どくざてい)という、荒波を表現した石庭です。
 石庭とは、心静めるためのものかと思っていましたが、確かにこういう表現も可能だよなぁと驚かされました。
 これはこれで、心の中ではざわめく大きな波もあるはずであり、その波をどう乗り切って行くかという瞑想ができること、納得させられました。


 下写真は同所にある「安勝軒」(ラーメン屋かい?)という茶室の窓です。
 表現が難しい表情をした建物ですが「愉しきかな」とでも言うのでしょうか? 嫌いじゃありません。


 人の少なさももちろん大きな理由でしょうけれど、本日のコースはオススメできます。自分でもイケてるコース設定だったと満足しています。
 実に楽しゅうございました。是非、ご検討ください!

 交通:地下鉄烏丸線 北大路下車、「北1」路線バスにて「鷹峯源光庵前」下車(源光庵、光悦寺)。
 同停留所より「四条大宮」行きで「仏教大学前」下車(今宮神社、大徳寺)。

2008/02/09

【日和見企画】雪に誘われて

2008.2.9
【京都府】


 前日の予報では雨とのことなので、ゆっくり寝て映画でも行くかと、午後1時頃起きてみれば雪ではあ〜りませんか──雪の日ってグッスリ眠れたりしませんか?
 京都の雪景色も一度くらい撮っておかないとなぁと、そこから思い立ってバタバタと出てきました。1時まで寝ていて、散歩に来られるのだからどれだけ近いか、ということですよね。
 いつも以上に無計画な本日ですから、雪の積もった印象が撮れそうな広い場所にしようと、真っ先に思い浮かんだ京都御所に来ました。
 ですが、開けた場所では降雪が多すぎて何だか真っ白な絵になってしまいました(不掲載)。

 しかしこの歳になって「○○は喜び庭駆け回り」となるとは思いもしませんでした。だって本日は「雪の上を歩くこと(写真を撮るとはそういうこと)」が目的なわけですから、ちょっと自分でも考えられない暴挙だと思えてしまいます。風邪ひくなよー、ホントに(違う意味でビョーキだねこれは)。
 そんな気持ちとは裏腹に、新雪の中を歩き回るのも久しぶりなわけで、結構無邪気に歩いている自分に何だか苦笑いです。


 それにしても降りすぎ! この時間帯が一番盛んに降っていたと思われますが、御所なので防犯センサーが設置してあって、それが降雪で誤動作してしまい盛んに防犯のベルが鳴っておりました。まあ、切るわけにもいかんのでしょうからねぇ。
 傘にもあっと言う間に雪が積もるもんですから、持つ手首が痛くなってきます。右写真のように、下から支えてやらないと老木は折れてしまうような振り方です。
 上写真がひとつの狙いでもありました。前回は桜の咲き始めの頃に来たのですが、ここには梅や桃があることを覚えていたので、何本かは雪の中で花開いているのではないか? との期待に応えてくれました。こんな絵から日本人が感じる季節感とは「春の訪れへの期待感」だと思うのですが、いかがでしょうか? もう少しの辛抱です。


 日本家屋って、雪が絵になる表情をしていますね。蛍光灯の明かりでもとても暖かな光として映ってくれます。こんな寒さの厳しい時に入ったお店で暖かくもてなされたなら、コロッと手なずけられてしまいそうです。












 何だか満開の桜と散った花びらが同時に存在しているようにも見えて、とてもキレイな景色でした(下鴨神社)。














 ここも一つの狙いでした。鴨川は下鴨神社付近で高野川と賀茂川とが合流した下流域の名前なのですが、その上流の高野川を渡る飛び石です。
 川の中に配置された石の上に白く雪が積もっていて、川とのコントラストが際立つだろうと思っていました(思ったより結構遠くて雪中行軍に疲れちゃいました)。
 まさか雪の日にここを渡る人などいないだろうから、無垢な雪が撮れると踏んでいたのですが、スゴイよねこの度胸。百メートルくらい行けば橋はあるのに、滑ったらどうするんだろう? と思ってしまいます。
 でもこのおばちゃん、滑る心配よりわたしに写真を撮られることの方が気になっていたようで、この背後にショッピングセンターがあるのですが、そのベンチで片付けをしていたわたしの方をしきりとにらんでおりました(撮っているの分かってるくせに、フレームに勝手に入ってきたのはそちらやおまへんか?)。
 とは言え、わたしも近所に住んでいたら、渡っているのかも知れませんね……

 本日は「緊急(思いつき)企画」で、雪の写真を撮ることしか考えて無かったので臨時増刊号的なものと言うのか、写真だけです。
 疲れましたが、楽しゅうございました(風が無くて助かりました)。
 風邪をひいていなかったら、明日は計画しているところへ行ってきます。
 

2008/02/02

迷い道くねくね──妙心寺

2008.2.2
【京都府】

 妙心寺(Map)


 何か解ったような気がしてきました。
「解ったと思っていたことが錯覚であった」ということが……
 何だか禅問答のようですが、ここは禅宗の最大宗派、臨済宗妙心寺派の総本山の禅寺ですから、許されますよね。
 ここは、妙心寺を中心にそれを囲むように塔頭(たっちゅう)寺院が建ち並び、甲子園球場(関西で広さの比較対象といえばこれ)7個分(だったか?)にも及ぶ一帯が、同一宗派の宗教施設となっています。
 塔頭とは、禅寺の祖師や高僧の死後、その弟子が師を慕って、塔(祖師や高僧の墓塔)の頭(ほとり)や敷地内に建てられた小院のことで、妙心寺には48施設あるそうです。
 先日の龍安寺も妙心寺の塔頭寺院からはじまったようで、後には龍安寺を取り巻く塔頭寺院がいくつも造られ、その活動を拡大させたそうです。

 拝観できない寺院の通路や玄関前に、上写真のような丸石が置かれています。調べてみたのですが、ちょっと見つかりませんでした。
 おそらく京都でよく見かける、竹を横たえた進入禁止的な意味合いと思われます。こちらの方が古くから使われていた合図のように思えます。
 右写真は「柱は1本の木に限らず」(力を合わせて支えるものだ)と言いたげな柱で、渡り廊下の柱はみなそのように接がれていました。

 前回訪れたときも「迷路のようだ」と思った、白壁がかぎ状に折れ曲がった境内の道があります(下写真の場所はカーブを描いています)。
 ──ここはとっても素敵ですから、時間がある方は是非!
 そこを、自転車の女子高生が走っていく姿がとても絵になるんですが、「ドラマのいい舞台になるなぁ」なんて見とれていたもんで、シャッター押せませんでした(どうも、人を撮ろうという意識に欠けているというか、遠慮している気がします)。


 前回の「迷わせて救う」だなんてタイトル、何も分かっちゃいないよねぇ。「迷っている」ことに気がついていないのは自分なのにねぇ。
 「こんな、意識を惑わすような道を作って」と思ったものですが、そう感じているのは「自分の意識」なわけで、例えここを目を閉じて「心の目」で通り抜けられるようになったとしても、次回も同じように抜けられるとは限らない、と言われているような気がしました。
 人の心とは「常に変化している故に危ういものだ」と、警策(きょうさく:座禅で喝を入れられる棒)で脳天をパチンと叩かれたような気がしました。

 法堂(はっとう)の天井に描かれた「雲龍図」、明智光秀が信長を倒した後に身を清めたと言われる「浴室」(サウナ風呂のようなもの)などを、ガイドしてもらうのですが「千五百○○年に○○によって…」などという説明を聞いていると、口をポカーンと空けて自分の意志では何も行動できない修学旅行生のような気分になってきます(そういうの好きではないので、これまで京都でもほとんど避けてきました)。
 でも、しんしんと冷たい空気の中、ガイドの人に言われるままに天井を見上げながらお堂の中を回ったり(猿回し?)、国内最古と言われる鐘の音(録音だと思う)を聞いたりと「ポケーッ」としながら付き合わされる時間に、あれこれ考えることができて「これも悪くないなぁ」という気がしたのも実感です。

 右写真は桂春院の玄関ですが、ここの庭はまま有名なようで、前回はお尻に根の生えた人や抹茶をすすっている方もいましたが、今回は貸し切りです。
 庭は広くないんですが、その分手入れは行き届いている印象があり、暖かい時期であればのんびりしたい縁側です。


 ここは「沙羅双樹(さらそうじゅ)の寺」と呼ばれる、東林院になります。
 ──「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす……」何度も出てきてしまう『平家物語』の一節です。
 沙羅双樹の花は、朝に咲いた花が夕には散ってしまう「一日花」ともいわれるはかなさがあるところから、この世の無情さの例えに用いられたのでしょう。
 その鑑賞会が毎年開かれているそうで、形あるままに散る花をめでる会のようで、いきであるようにも思えるし(写真を見るととてもキレイ)死後はそうでありたいという願望も理解できますが、ちょっと未練がましい気がしてしまいました(これはその様子をネットで調べただけなので、未体験の単なる印象です)。死に際は潔くとの願いは、生への未練をどれだけ断ち切れるのか、によると思うのですが……
 しかし、その沙羅双樹の木は枯れてしまったそうです(樹齢300年程度らしい)。刹那を楽しむ樹の死を悼むとは、実に京都(日本)的と思います。
 この寺では、石畳の丸石が脇によけてありました。
 入ってもよろしいという合図と理解し、上写真を撮らせてもらいました。


 上下写真は、先週のものです(退蔵院)。
 ひとつの波紋は、岩とぶつかることで新たな波を生み出す、とでも語りかけているのでしょうか? 右上に岩があり、右側の円弧の波形はそこから生まれた波紋のように見えます。
 静かで落ち着ける時を持てたので(終了間近で貸し切り!)、じっくりと感じ入ることができました。
 拝観終了直前って門は閉まってしまい、通用口の狭い戸をくぐって外に出るのですが、それも風情があって良いのです。
 やっぱ、冬ですよ!
 ──散策時の寒さ(歩いていれば)には慣れてきたような「錯覚」を覚えるようになりつつあります。

 華やかさがないこと、浮かれた空気が感じられないこと、そして観光客が少ないことからも、落ち着ける好きな場所です。


 歩いている時にタイトルを想起したのですが(「迷い道」by渡部真知子。帰ってから久しぶりに聴きました─若いころよく聴いていました)、恋の歌は人生の唄とも受け止められるのですが、その頃聴いた「迷い道」と、今のそれとでは違うのではないか? それは、その時節の心象風景のひとつなのではないか? とも思えます。
 しかし、心象風景とはどの時においても「その瞬間の一断面」であるわけですから、重さには変わりは無いはずです。
 否定するのは個人の勝手ですが、わたしはそれを否定しきれないので、この日から少しずつひもとこうかと考え始めています。