2006.12.30
祗園—京都府
銀閣寺の脇を流れてきた白川は、動物園付近でいったん琵琶湖疏水(水力発電のための琵琶湖からの導水)と合流し、そこから分かれて祗園に流れていきます。
そう、何とあの憧れの祗園を流れている水は琵琶湖の水なんです!
「へぇ」ボタンすら押せぬほどの脱力感を覚えた方、ご同情申し上げます。
琵琶湖疏水から分かれた白川は、最初は両岸の建物が流れに沿うように並ぶ姿に生活感を感じさせますが、祇園に入ると一気に歓楽街の華やかさに包まれます。
そんな風情を楽しみながらゆったりと(?)男なら一度は! という願望を持ちますが、それが落とし穴なのでしょう。
その裏路地に連なる歓楽街には庶民向けの憂さ晴らしの場が用意されていて、ほとんどの同士たちはそこでくだを巻いていたことと思われます。
今も昔も変わらないであろうその構図に、活力の源とそのむなしさの表裏関係が永遠の命題であることを思い知らされ、凡人の悟りというモノは最期にしか理解できないものなのかも知れない、と思わされました。
でも「わかっちゃいるけど、やめられない!」から、街は生き生きと活力を保っているのだと思う。「これホント!」自信を持って……
2 件のコメント:
ぱっと見てすぐ、こんなことを想像しました。
午後3時から友人たちと飲み始めて一軒目を出る、夕方5時頃にここで「次どこ行くー?」などとのたまう。
それしか思いつかなかった。ここでそんなことができたら、とても幸せなことに思えたのです。
そんな状況だと「しっぽりと落ち着いて」へも「陽気に騒ごう」へも、どっちにも転がれそうな期待感とほろ酔い加減で、気分がいいのだろうと思います。
きっとわたしだったら「花よりお酒」と、居酒屋へ行ってしまうだろうと思います。
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