2007.01.20
清涼寺(嵯峨釈迦堂)—京都府
とても立派でりんとした修行寺らしいたたずまいで、吉野山の蔵王堂を思い出しました。
境内の舞台で狂言のけいこに励む子どもたちの姿に出会いました。
子どものころから近所のお寺の行事に参加する、そんな機会が引き継がれることで文化が守られてきたのだと思います。
目の前で練習する姿も、歴史の一部なのでしょう。
そんなこと気にせず(当人たちには全然意識してないと思うが)晴れの舞台を目指せ、若き京都人たち!
ここで感じたのは、「晴れ」と「け」の実感を正月や冠婚葬祭からしか感じられなかった東京圏での生活を見直せたらうれしい、というものです。でも、サラリーマン生活では難しいのだろうなあと、思ってしまうのは「それは単なる願望に過ぎないから?」「いや、言い訳だ!」と問われれば、後者という気がしてしまいます。
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