2007.10.27
【京都府】
鞍馬寺(Map)
第2ラウンドも鞍馬寺からのスタートにしました(前回はカメラ持ってこなかったので、ここの写真は初めてです)。昨年「京都への最初のあいさつはどこへ行こうか」と考えて、数年前に見た大河ドラマ「義経」の鞍馬へ行こうと決めたことが思い出されます。
山門をくぐった中に乗車時間2〜3分程度のケーブルカーがあります。昨年は京都おのぼりさんでしたから、キョロキョロしているだけで、何の疑問も感じることなく「鞍馬寺だぁー」と、本当に修学旅行生のようでした……
よく見れば寺内にケーブルカーがあるわけですから、少しは不思議に思えって言うの。お寺が鉄道事業者(日本唯一)なんだそうです。
ケーブルカーの車内ガイドで「鞍馬山の信仰は『尊天』を信じ(中略)、万物を存在させてくれる宇宙の生命にあるのです」の説明に「おお、宗派を越えた自然信仰の教えを伝えるなんぞ、この険しい山に抱かれる地にふさわしい教義だ」などと信じて疑わずこの1年間「最初に行ったのが鞍馬で良かったよなぁ」と思い続けておりました……
明治時代の「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく:仏教を弾圧し神道を国教としようとする政策)の影響で荒廃を続けていたものを、戦後新らたに「鞍馬弘教」を開宗して現代に至っているそうです(それが「尊天」さんです)。ちゃんと聞いてみると、何やら怪しい雰囲気を感じてきます……
寺の「鞍馬弘教」に関する説明によると、
「宇宙の大霊、大光明、大活動体である三身一体(さんじんいったい)の尊天(そんてん)を教義の上に確立し、千二百年にわたる鞍馬寺の歴史を踏まえて昭和22年10月に立教開宗された。新しい時代の青少年のニーズに応える宗教をめざしてのことである。望みがあれば尊天信仰について教化布教し、鞍馬山へお導きするが、積極的な教線拡張は行なわない」
のだそうです。
本殿前の地面に何やら意味ありげな石が敷き詰めてありますが、これを金剛床と言って「人が宇宙全体と一体化するとの教えを説いている」場なのだそうです(上写真)。
どんどん雰囲気が怪しくなっていくので調べてみると、
「伝統仏教教団(われわれが認識しているふつうの仏教の宗派)にはない独自のオカルティズムへの接近をはかり、民族宗教を取り込みながら神秘宗教を追求している」
との評価があり、そして行き着いたのがレイキ(霊気)です。また、別の説明によれば
「レイキとは、簡単にいえば、宇宙エネルギーを使った、ハンドヒーリングである」
とのことです。
一瞬どうしようかと思いましたが、空海さんの真言密教も宇宙との一体感を説いていたりしますから、あながち荒唐無稽と言い切れないところがこのお寺の魅力なのかも知れません。
で、この石はと言えば(下写真)きっと自然や宇宙と気の交歓を行う場だったりするのだと思われます。
まあ、そんな背景を抜きにしてこの場に立ってみれば、山々の活力や息吹や霊気を自分の中に取り込むにはもってこいの場所には違いないので、ひとそれぞれに自然と対峙すればいいのではないか?
と、深呼吸などしながら、それもきっと「尊天さん」の一部であろうと勝手に思いこんで、この場を楽しんでおりました。
──お前、いい加減すぎだよ! の声も聞こえそうですが……(宗教に寛容だと言ってほしいよね!)
寺の起源には、鑑真和上(奈良唐招提寺の創建者)の高弟鑑禎(がんてい)(770年)によるという説と、東寺の建設に携わった藤原伊勢人(796年)によるとの説がありますが、いずれにも白馬伝説が登場するようです。
その状況を思い浮かべるに、白馬の姿は人の心をとらえるには格好の存在であるのだろうと思われるのですが、あの険しい山中に白馬がいたとしても全身をハッキリと見て取れたのだろうか? と思ってしまいます。
いにしえの時代には「真白きもの」に神聖さを感じていたであろうと考えれば(当時は白いモノはとても高貴な存在ではなかったのか?)、羽衣伝説や白馬伝説が人の関心を集めるために用いられていたこと理解できるのではないでしょうか。
そう考えると、義経伝説の白馬も(彼は後世の人物ですから)そこからいただいた作り話ではないか(夢を壊したらゴメンナサイ)、との疑念も生まれてきます。
とは言えこの山の険しさは「遮那王(しゃなおう)=牛若丸」の修業時代を想起させ、とてもナチュラルな空気(霊気?)を感じさせてくれます。
本当、天狗もいただろうと思われる山です。カッパの次は天狗ですもの、楽しそうでしょう?
下写真は「阿吽(あうん)の虎」です。何故虎かと言うと、本尊の毘沙門天のしもべなのだそうです。
(加筆しました)→ 不安になって、普通の「狛犬」とは? 調べてみました。犬に似た想像上の生き物で、狛犬や獅子と呼ばれるが、獅子=ライオンではなく「獅子」という神獣なんだそうです。なので、ここの虎はやっぱり変わっていることになります。
で、ようやく義経伝説ですが「平治物語」「平家物語」(共に鎌倉時代前期とのこと)から登場して、平穏な時代には必ずといって新作が登場してきたようです。
そのなかでも定番としてわたしたちの記憶にあるのが、天狗に従って武芸修行をするくだりになりますが、それは謡曲「鞍馬天狗」という題目の内容になるのだそうです。
で、謡曲って何? 能の謡うたいだそうです。能の「鞍馬天狗」なる演目で唱われた歌詞の内容のようです。
──西谷東谷の僧の合同の花見の宴に闖入する山伏。皆嫌って去る中に一人残る少年牛若。素性を知って憐れんだ山伏は共に花見をし、やがて鞍馬山の大天狗と名乗り姿を消す。深夜に僧正が谷に赴いた牛若は、本体を現した天狗から兵法を習う。天狗は宿敵平家を討ち滅ぼす牛若の未来を見せて姿を消す。
きっとこればかりではなく、同様の大衆娯楽で何度も取り上げられたことで(歌舞伎「勧進帳」の弁慶なども)、義経と天狗伝説は広まったということでしょう。
また、昭和の「鞍馬天狗」は、この謡曲を好んで口ずさむ神出鬼没の天狗が、勤皇の志士たちの危機を救うという、大佛(おさらぎ)次郎による小説で、山城新伍の主演映画はこれを原作に作られたとのことです(観たことあったかなぁ?)。
何だかエピソード満載の地なのであれこれ書きましたが、娯楽の少ない時代において「義経と天狗」という題材は格好のネタだったのだと思われます。わたしも、数年前の「義経」の天狗役で出演していた美輪明宏の金髪の天狗姿、いまだに強く印象に残っています。
ぼちぼち京都も山の方から紅葉が始まってきたようです。
さて、これからの時期はどうしたものかと(もの凄い人出なんですもの)考え始めております。
由岐(ゆき)神社(Map)
京都三大奇祭と言われる「鞍馬の火祭り」が、10月22日に行われたばかりです。
人混みが苦手なわたしはテレビの映像を見ていましたが、火祭りと言えば「那智の火祭り」(那智大社、速玉大社)の駆け回ったりする勇壮なものを想起しますが、さすが京都は整然と厳かに行われているようでした。たいまつを抱える若者が火の粉を熱がる様子など、見て取れましたし……
由岐神社は鞍馬寺の境内に建てられています。これは、同社が鞍馬寺の鎮守社として祀られているからだそうです。
元々は御所に祀られていたものを、940年に京都の北方の守護としてこの地に移されたそうです。その時の様子が「鞍馬の火祭り」(たいまつで道を照らした)として受け継がれ続いているそうです。
奧がご神木で、根本に祠が建てられています(上2枚は同じ木です)。
前回、この木と神社のロケーションを撮りたかったと思い、次回からカメラを持ち始めたこと思い出されました。
雨にもかかわらず、空に向かってレンズを向けてみたものの……(下写真の真ん中の木が上の木です)
撮り出すと夢中になってしまい、気がつけばレンズカバーまでも濡れてしまい拭いても曇った状態になってしまい…… 本日は終了です。
この地においては、鞍馬寺よりも由岐神社の方が由緒というかまっとうな存在のようです(マジで、怒られるってば……)。
イエイエ、鞍馬寺は「精神のワンダーランド」的(ビミョウな意味で)で好きなんですってば!
足早に降りて門前でそばを食べていたら日が差してきたりと、天気の変化が激しい本日でした。
ちょうど関東に台風が接近した土曜日で、こちらは上がるだろうと踏んでいたのが外れました。
台風一過はこちらも日曜日でした。残念……
0 件のコメント:
コメントを投稿