2007/09/29

デモと一揆の境界線──旧山科本願寺一帯

2007.09.29
【京都府】

 旧山科本願寺一帯(Map)


 京都を歩いていると(日本全国くまなく歩いたとしても結論は一緒だと思うが)どうしても最多の信徒数を誇る「浄土真宗」(一向宗という呼び名には諸説あるようです)に接する機会が多くなります。
 これまで良く言うことが無かったことを反省して(?)、これもまた京都を歩いて目にする機会の増えた本願寺第八世である「蓮如」(れんにょ)という人を切り口に浄土真宗をちゃんと考えてみよう、という企画を考えていたのですがどうも思惑のようには……(上写真は蓮如御廟所)
 蓮如という人は浄土真宗の開祖である親鸞の教えを、庶民にも分かりやすくかみ砕いた表現で布教することにより受け入れられ、人々の心をつかむことにたけた人物だったそうです。
 しかしその時まさに、京都の町を焼き尽くす応仁の乱直前という不安定な時代背景にあったせいもあり、完全に宗教界も政治抗争に巻き込まれてしまい、純粋な布教活動など行えない時代であったようです。
 過酷な生活環境の中で庶民たちは蓮如の教えにすがるように救いを求め、数が増えてきたあたりでそれは生活の安定を求めた民衆運動につながり、それがやがてクーデターに発展してしまいます(当時はそんなことはどこでも日常的に起こるような状況と思えます)。
 その一向一揆自体が大きな勢力となり収拾がつかなくなり、彼ら自身が宗教戦争の先方に立つようになってしまい、国を混乱に陥れてしまうという状況であったことが、彼らにとって不幸な時代であったと言えるのかも知れません。
 さて現代に目を向けても、そんな宗派間対立から日々自爆テロによって血を流し合っている狂信者たちがいます。
 彼らにとって現代とは、不幸な時代だったと振り返られるものなのだろうか? これまでも繰り返されてきたように思えてしまうのだが、彼らの歴史観を計るタイムテーブルの尺度はわれわれとは異なる長さをもっているのだろうか?
 わたしとしては、早期に終わらせるべきだと思うし、繰り返されないことを願うしかありません。
 「根本的な宗教観が異なっているのだ」と言われればそれ以上何も言えませんが、戦うためのシンボルとして「教え」があるわけではない事だけは、確かだと思います。
 話しを戻します。
 そんな時代においても一向一揆の武装蜂起に反対だった蓮如は、山科に本願寺を建立し「さながら仏国の如し」とうたわれる理想郷の創設に力を注ぎ、一時そのように評される仏教都市を築いたのだそうです。
 しかし蓮如が没し次の世代になると時代の流れには逆らえず、周囲に堀と土塁を築いた城郭都市として信徒を守ることに注力せざるを得なかったようです。
 しかし城郭を備えるということは外部と対立しているということですし、戦国時代に突入するという時節においては、世間から無関係でいられたはずもありません。
 日蓮宗徒、比叡山僧徒に滅ぼされたとありますが、それはそれぞれの宗派を支援する武将の先鋒とされた代理戦争的なものではなかったかと思われます。
 その時代の宗派という存在は、民衆のよりどころでありながらも、武将たちの駒のひとつとして扱われていたようにも思える面があり、まさに受難の時代だった言えると思います。
 そんな中で「さながら仏国の如し」という、自主独立した自治国を目指そうとした蓮如という人が今でも愛され、京都の町で接する機会が多いということにとても共感できる思いがしました。
 その後、山科を追われた本願寺門徒は石山本願寺(現大阪城)に移り、信長の全国統一の際の目の上のたんこぶとしても名をはせることになります。

 デモであれ、一揆であれ、ことの始まりは悪政を庶民に押しつけるばかりで実勢を何も顧みないお上への抗議行動から始まっていると思われます。
 ミャンマーではそれがデモ行動となり、庶民の希求に賛同した(と思われる)僧侶たちが加わった非武装の大規模なデモに発展していきました(沖縄では、教科書記述問題への抗議集会に11万人集まりました)。
 抗議行動を起こすこと、それが大規模なデモに発展していくことに対しては、何を言える立場でもありません。
 ただ、それを武力で押さえつけようとする姿勢には異を唱えることができます。
 ミャンマーでも民主化へのクーデターを起こすべきだとは言いませんが、その引き金ってどこにあるのでしょうか?
 現代でしたら、諸外国・国際世論からの圧力だったり、われわれのような各国からの民意の高まりであったりするのかも知れません。
 それは、きっと堰を切ったら何人も止められるものではないのでしょう。
 きっと当時の蓮如もそんな苦悩を味わったのではないでしょうか……


 ──上の写真は、その土塁が残る山科中央公園(右側の山と言うか、高台)。


 上が現在の「東」本願寺山科別院。
 右は「西」本願寺山科別院の開かずの門(?)。新しくないと思われるバイクの残骸が放置されている雰囲気に「現代の羅生門か?」とも思いました。
 京都盆地から東山に隔てられたこの地では(電車だと東山トンネルを抜けた場所ですが、ここも京都市の山科区で市営地下鉄も通っています)、洛中の建造物に比べるとどちらも力が入っているとは思えません。
 お互いに単なる意地の張り合いをしているようにしか見えず「だから何でここでも、東と西なのよ?」って思います。
 本願寺の東西への分離をうながしたのが、その勢力を弱めたいと策を練った家康だと言いますから、さすがタヌキ親父! という印象です。
 でまた理解できないのが、明治時代に名字が必要になった時、両本願寺とも宗祖である親鸞が祀られている大谷の地名から名字をもらい、双方とも伯爵の地位を授かっても体質が変わらなかった、ということです(教えの本質には関わりのないことではありますが)。
 「宗派の歴史は、そう簡単には変えられるものではない」などのお叱りを受けそうで、確かに理解できる面もあると思います。
 たもとを分かつことは容易にできても、和解するということは難儀なことなのでしょうか……
 ですが、それはテロの応酬が繰り返されている宗派間の根本原因とどこが違うのでしょう? 当事者でないわたしには同じように理解できない問題である、との認識になってしまいます。
 この先も、そんなことにならないようにと、祈るばかりです。合掌。

 P.S. ネットで「蓮如は生涯に五人の妻を迎え、二十七人の子をもうけている」の記述を見つけて、何だかこの企画の意欲も失せたのですが、イヤイヤ人間(生き物)の本来的姿とは、かくありなん、とも……

 下は「西」の境内をもの凄いパワーで走り回る子どもたち(石を投げ合ったりするって、何だよコイツら!?)。
 でも、性別や年頃がバラバラなので何か理由のある集団なのか? とも思いました(すごく仲が良くて騒がしい連中なのよ)。
 それも御仏のお導きであるのかも知れません。

2007/09/17

天に昇る龍?──丹後半島(天橋立、伊根)

2007.09.15
【京都府】

 天橋立(Map)


 日本海に突き出した丹後半島の付け根にある、日本三景のひとつと称される天橋立です。ここも京都府になります。
 ここの展望台には「股のぞき台」なるものが設置されています。
 海を背にして台に立ち、前かがみで広げた股の間から景色を眺めると、天に昇る龍のように見えることから「飛龍観」と呼ばれ人気のスポットで、若い娘さんも股のぞきしながらカメラを構えておりました。
 佐賀県の「虹ノ松原」から受けた迫力や、淡路島の「慶野松原」の身近さとは違い、造形に込められたとも思える意図を感じさせる品の良さには、やはり別格という印象を受けました。
 多くの人に愛されるだけの理由があること、実感できました。
 以前訪れたことがあるので、駐車場も満杯だし止めようかと思ったのですが、やはり現在の視線で見ておいて良かったと思います。


 背の高い船が通過するときには、この廻旋橋が回転し航路を確保してあげます。帰り道にちょうど廻旋橋が回ったのですが、航路が橋の反対側にあたるのでいい絵が撮れませんでした。この時ばかりは、橋外されちゃってますからカメラポジションの選択肢がないんです。
 砂浜が結構白かったのが印象的でした。



 伊根の舟屋(Map)


 今回は兵庫県の但馬(たじま)方面がメインなので、るるぶ兵庫(最近はるるぶを買ってます)を持って行ったのですが、丹後半島は京都府なもので掲載されてないんです。
 観光ガイドにしては随分律儀に編集されてるもんだと、現地調達したのですが「城崎・天橋立」というのがあるんですね。
 確かに、こっちの方が売れ筋でしょうから分冊する理由は理解できました。
 何とかなるだろうなんて思っていたら、そんな情報不足のおかげでここを見逃すところでした。


 丹後半島の東側にある漁村で、海沿いに建てられた家の海側が自家用船のガレージのようになっている「舟屋」が残る集落です(是非訪れたい場所でした)。
 外海の日本海からは岬で隔てられた湾奧にあるので、冬で海が荒れてもも大丈夫なのでしょうが、この舟屋は海の上に家を建てていると言った方が正しいようで、結構無謀な作り方と言えると思います。
 平坦な土地がほとんど無い場所なので目は海へ向かうのでしょうが、大きな港も作れずに船置き場と共同の家を建てたのではないでしょうか。
 埋め立てといった大事業ができない小さな漁村の知恵、とも言うべき文化です。
 階下から聞こえる波音がいい子守唄になるのではないかと思われますが、風の強い日などはうるさいかも知れません。
 でも、それもいい絵に(ドラマ的には)なるのではないか、と思ったりもします。


 自治体が営業している道の駅があるのですが(不便な場所なのにまま人が出ているのに驚かされます)、そこにNHK連続テレビ小説「ええにょぼ」(こちらの方言で「美人」の意味だそうです)撮影地の看板が……
 前回岡山の「あぐり」に続き「さすがNHK、いい所見つけるなぁ」と脱帽です。いや、それが使命だと言えばその通りなのですが、近ごろは民放でも田舎をクローズアップしていて、町おこしの効果が結構あるようなのでいいことだと思われます。
 瀬戸内の島でも「今日は何の撮影だい?」なんて日常の事のように話しているのを耳にしましたし……


 夏場の大雨の影響による土砂崩で半島の先端付近で通行止めがあり、丹後半島の海岸線を東から西へ通り抜けること出来ませんでした。
 通ることが出来た東海岸沿いの道も、道幅分だけ海を埋め立ててようやく通した道路のようですから、結構通行止めなどがありそうな険しいところではあります。

 半島先端の経ヶ岬、NHK大阪で制作された地方ドラマの舞台で棚田の風景などが印象に残っている袖志、琴引浜(鳴き砂)など、行きにくい場所が残ってしまいました。機会があれば再チャレンジします。

2007/09/01

ここかぁ!?──泉涌寺、東福寺、伏見稲荷大社

2007.09.01
【京都府】

 泉涌寺(せんにゅうじ)(Map)


 数日前から猛暑も一段落して普段の生活でもひと息付けたので、週末の京都にもそれを期待して久々に市内を歩きました。午後2時の気温は31度ですが、それでも本当に楽に感じましたわ。
 こちらの夏をバッチリ経験しましたが、東京にいる時は「ただ暑いだけの季節」にしか感じられなかった夏にも「夏なりのうつろいがある」ことを実感出来たのは、ちょっとした驚きでした。
 暑い、暑いと冷房が効いている場所(映画館や水族館等)ばかりを歩き回るような生活ではなく、汗をかくことを受け入れられるようになったこの夏は「汗のかき方の違い」を体で感じられたことが、そう思えた最大の要因だと思います。
 ──この夏一番きつかったのは、姫路城付近を歩いてる時でしょうか。行きも帰りも喫茶店に逃げ込んでいました。
 何か、子どもの頃に帰ったような気分ですが、感性としては当時の方がはるかにピュアだったと思えるので、世界が変わっちゃうとすら感じたであろう「季節の変わり目」を、ガキの頃にはどんなふうに受け止めていたのだろうか?
 でも、大人になってもそんな季節感を体で感じることを経験できて、まだ大丈夫(?)と思えた気がします。

 上の写真のキンキラの飾りを見て、その暑さが一番きつかった家島の漁船の装飾を想起しました。船の無事の祈願なのでしょうが、国家への忠誠心につながっているのかとも感じました。


 何代もの天皇の葬儀が行われ、葬られているそうで「御寺(みてら)」と尊称されているそうです。
 トップの写真は「御座所」という建造物で、明治天皇により建てられたそうです。
 参拝者は多くないのですが、その割には寺側の管理者が多いという印象があります。宮内庁の施設も隣接していることから、結構重要視されているお寺(みてら)のようです。
 空海が籠もったとも伝えられているそうですが、そういうお寺って結構多いんです。


 東福寺(Map)


 臥雲橋(がうんきょう)から眺めた景色を見て「ここかぁ!?」と、ため息をついてしまいました(上下の写真は「通天橋」)。
 メディアで目にしていた、橋のような建物の周囲を彩る紅葉の絶景がこの場所であると知ったと同時に「なるほど、ここの紅葉は凄そうだ!」と納得できました。これは、人の手で作られたものであることも容易に察せられるので、仮に一代でここまでやれたなら「満足じゃ!」と昇天しても未練は残らないないのでは、と思えるような空間になっています(実際にはきっとものすごい時間がかかっていると思われます)。
 ──以前に書いた、京都で学生時代を過ごした知人に聞いた話しは、ここだったと思われます(東福寺を万福寺と聞き間違えていたようです)。


 デッカイ寺です。
 歴史的に、奈良の寺院勢力を封じるために都を移したわけですが、京都に現存する大きな寺はどうしても奈良の東大寺を意識して大伽藍が作られていたように思えます(まあ、いつの時代でも権力者の意志は力を誇示するベクトルになっていきます)。
 それだけ偉大な存在を向こうに回すには、東大寺の教えである「華厳宗」に勝る教えを広めなければならないと、延暦寺を支えた訳ですからホント宗教戦争です。
 海外から日本は無信仰の国と思われているようですが「どんな宗派にも対応できます」という葬儀場が重宝される国でいられることには感謝したいと思いますし、宗派争いを生まない国として存続していって欲しいと思います。
 下は通天橋からの眺めで、真ん中遠方に見えるのが先ほどの臥雲橋で、逆のアングルになります。
 紅葉の時期じゃないので、あまりパッとした絵になってませんがお許しを。


 これも巨大な三門を支える太い柱の根本に一直線に空けられた穴を撮っています。きっと柱を横に渡すための穴だと思われますが、何に使われたのかまでは不明です。
 穴の先の方にピントを合わせようとしているのですが、なかなかうまく撮れません……
 境内が広いから寛容なのか、ルーズなのか分かりませんが境内の中に車を止めても何も気にしないお寺のようで、本堂のすぐ脇でタクシーが客待ちしているのは、観光ずれしているような印象を受けました。
 まあ、そんなことではお寺の存在意義は揺るがない、と言われればその通りかも知れませんが……




 伏見稲荷大社(Map)


 雰囲気はガラッと変わってとても庶民的な雰囲気の伏見稲荷大社です。
 これが千本鳥居で、山の上まで続いているとのことを知りちょっと驚きました(今回は上までは行けませんでしたが)。
 それがきちんと木材で組まれており、それゆえ根本が腐ったりするわけで所々歯抜け状態になっているのですが、この日も新しい鳥居の設営が行われており、その人気の高さをうかがえ知れたような気がしました。


 お稲荷さんですから狐の絵馬(えまではなく、絵狐と言うのか?)で、それも顔の表情が書き込まれているところに、とても身近さを感じさせてくれます。
 庶民の信仰を集めるところは「商売繁盛」ですから、明るさを感じさせる朱や金という色彩が使われるのは当然のことかも知れません。
 境内には「パン、パン!」という柏手の音が景気よく響いています。商売繁盛を祈るのだから、あの柏手を少しでも大きな音で鳴らしたいという気持ちが、切実に伝わってきます……
 参道を歩いていて、東京の帝釈天の参道に雰囲気が似ているような印象を受けました。賑やかで気さくな感じの土産物店が並んでいました。
 ──帝釈天って近ごろでは、寅さん人気が陰りはじめ活気がなくなりつつあること、テレビで見ました。続けていくって大変なことですよね。

 この近所にラグビーで有名な伏見工業高校があるそうです(参考まで)。

2007/08/25

今週の避暑地──比叡山延暦寺

2007.08.25
【京都府/滋賀県】 県境とは言え、滋賀県側になりますね。

 横川(よかわ)(Map)


 昔からの修行の地を、避暑地だなんて言ったらバチが当たるだろうか?
 山頂が848mですから、高原の涼しさは求められなくても多少は楽だといいな、程度の期待を持ちながら行ってみたのですが、それが体感できました! 30度前後だったんじゃないかな(午後2時頃着)「うわ、楽だ!」の印象がうれしくて「来てよかった」なんて言ったら仏様にしかられそうです……
 と言うのも、本日はJR京都駅からバスに乗ったのですが、その行列を目にしてクラッと来ました。「山道を登るバスに1時間も立って乗るの?」と。
 代案と考えていた東福寺周辺は市内なのでとても暑そうだ、と悩んだ結果だったのでその喜びもひとしおです(どういう動機やねん!)。


 実は延暦寺は2度目で、最初の時は毎度の事ながら何も調べずに行って、おまけにブラブラふもとで時間を使いすぎてしまい、後述の東塔(とうどう)しか見られませんでした。
 ここを回るには、シャトルバスの時間を調べるなどちゃんとした計画が必要であることを学んで帰りました。
 ここはいわゆる「テーマパーク」的な場所で、主催者側が意図した行動計画に沿わないと回れない、という実に不便(嫌い)な場所になっています。
 自動車であれば自由に動けますが、有料道路は結構高そうです。


 比叡山延暦寺とは、その名の寺があるわけではなく「横川」「西塔」「東塔」(東塔がメイン)を総じて呼ばれる(いわゆる山の)名称です。
 イメージとしては、弁慶をはじめとした武勇にたけた僧侶が立てこもる「独立自治を目指す集団」の印象が強く、どこかの国の宗派対立を想起してしまい、いいものを持ち合わせていませんでした。
 現在でもその名残として「山は延暦寺のもの」(治外法権)的な商売をしているように見受けられ、この先は「テーマパーク」なので入場料と指定交通機関の利用料が必要です、とどこが違うの? と感じてしまいます。それを国に認めさせているのか、工作をしているのか分かりませんが「やはり変!」という印象を受けました(高野山は駐車料も何も取られなかったと思う)。
 でも業績的には、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮などを輩出した「日本仏教の大学(修行所)」と言われるわけですから、修行の場としては素晴らしい環境だったに違いありません。




 西塔(さいとう)(Map)


 撮り方が下手なので分かりづらいかも知れませんが、雑誌などで目にする絵です。苔がとてもきれいでした。
 後ろの建物は常行堂といい、右側に同じ構造の法華堂というお堂があり、その間が橋のような廊下でつながれています。
 その廊下の部分を弁慶が担いで山を登ってきたと伝えられ、「弁慶のにない(かついだ)堂」と呼ばれているそうです。弁慶という男「どんだけー?」(使い方合ってます?)。
 比叡山全体に言えるのですが立派な杉木立ちが印象的で、中でも西塔の最も大きな建造物である釈迦堂横にそびえる立派な三本杉(勝手に命名しました)には、うならされました。




 東塔(とうどう)(Map)

 参拝者が石を積んだと思われる、願いが詰まってしまった石塔です。この光景から一休さんのようにとんちを効かせて、新しいお祈りの方法を提案してくれると、また来ようという人が増えるのでは? ってのは不謹慎?
 下の写真奧が根本中堂で、非常に大きな建造物です。
 門を入った中庭がとても絵になる場所なのですが「撮影禁止」の看板があるので、日本人としてはこういう場での不道徳は慎もうという意識が働きます。ここ延暦寺も世界遺産なので「ガイジン、ぎょうさんおるでー」「カンジ、わかりませーん」……
 そんなの当たり前なわけで、カメラ禁止のマークとか貼らないとダメじゃないかと思いますが、仏閣にあのマークは無粋です。てことは、撮られても仕方ないと思っているの? 確かに防ぎようもないのですが、やはり日本人ですから……
 根本中堂の中はかなり広く、護摩焚きをする座は「ゆく年、くる年」で見たことがあります。
 そういうオープンさは密教らしくないのではと思いましたが、最澄(伝教大師)が開いた「日本的宗教大学」において、日本の文化・生活向けに解釈し直され布教されたと考えれば、その後の繁栄が理解できるのではと感じました。


 帰り着いたJR高槻駅に降り立った瞬間「何だ、この暑さは!」と体感したものは正しかったようで、比叡山ふもとの夕方の気温は29度、ここ高槻は33度なんですって。
 やっぱり、避暑地に違いなかったようです……

 P.S. こちらに越してきてちょうど1年になりました。夏の暑さに慣れたと言うか、諦められるようになってきました。「あるがまま」への第一歩と受け止めています。

2007/08/19

猛暑の中に涼を求めて──保津川下り

2007.08.14
【京都府】

 保津川(Map)


 そんな暑い中をよく出歩くヤツだ、と思われるかも知れません。
 現在の高槻の家は新築(築2年)なのですが、それゆえに「空気循環」を考慮しすぎて、クーラーで冷やしても外気の熱風が天井裏から入ってきて昼間は暑くて居られないような部屋なんです(西日もまともに受けるし)。
 そんな部屋をガンガン冷やしてじっとしているより、アウトドアで汗を流した方がイイと思い、出かける機会が増えているということなんです……

 本日は、JR嵯峨野線の亀岡駅近くから、嵐山まで保津川(嵐山では桂川)を16km下っていきます。
 待合所までは汗をしたたらせていたのですが、水面に降り船に乗った瞬間から「納涼」という風が吹き始め、子どもの頃に川で遊んだ夏休みの空気に包まれたような気分に浸り込んでいきました。
 桂から亀岡までバスに乗ったのですが、ちょうどお盆の時期で道が混んでおりハラハラしましたが、何とか最終便に間に合いました。
 嵯峨嵐山からトロッコ列車が走っていますが、混雑しているだろうと今回はパスしました。きっと、トロッコ列車は暑かったと思いますよ。


 400年の歴史(?)のたまものなのか、結構水路を人工的に整備しているようです。水量によってルートが3つある場所もあるそうです。そりゃあ、安全第一ですから……
 船頭さんは船に3人乗っていて交代制なのですが、漕ぎ手は大変そうです。
 川下りとは言えずっと急流が続くわけではなく、逆に流れの緩やかな場所の方が時間的には圧倒的に長いのですから……
 座った場所がちょうどオールのしぶきがかかる席(前から2列目の右端)だったので、涼を感じるにはいいのですがカメラを構えられなかったのは残念でした。
 3,900円という料金(判断はお任せします)を払ってのイベントですから、タップリ楽しませてくれている(?)のかも知れませんが、1時間40分というのは長かったという印象があります。お尻が痛くなっちゃいました。
 終点が近づくと、醤油の焼けた(焼きだんご)においが漂ってきます。動力を付けた売店船が、手こぎの観光船に寄ってきて商売を始めるのですが、それが結構売れています。
 その売店船に引いてもらって、船の漕ぎ手は「おおきに、ありがとう」と一息つけるという、見事な商売の連係プレーが成立しています。さすがです……


 観光川下りという(時間にゆとりのない場合が多いので他ではほとんど乗ったことありません)身をゆだねるしかないひとときを涼しく過ごせ、心身共にリラックスできたと思います。本当に、暑さなんて忘れていましたもの……
 嵐山で下船した瞬間に(夕方なのに)汗がにじんできて「ああ、現実!」を受け止めた時の落差は、結構大きいものでした。
 渡月橋を望む桂川の川岸(下写真)で一服していても、汗が出てきます。「さぁ、涼しい電車に乗って帰ろう!」と現実に戻っていくのでした……
 終わった後に、そんなため息が出るほどの清涼感・満足感を味わわせてくれた川下りでした。

2007/08/14

京の奥座敷──貴船(きぶね)

2007.08.11
【京都府】

 貴船(Map)


 メディアでは川の上に座敷を作った「川床」の絵しか見ておらず、あんなにも料亭が軒を並べる観光地だとは思っていなかったので、ちょっと驚きました。
 川幅5mくらいの貴船川全面に座敷を設営して、屋根やよしずで囲ってあり座敷はかなり暗そうで、どこもちょうちんがたくさん下がっています。
 周辺は結構険しい谷筋なので平坦な土地は狭く、川岸に道路が通っているのでイメージとしては

山\料亭〜道路    /山
       \川床/   
(これで伝わるだろうか?)

 ですから、お店で作られた料理をお盆にのせた仲居さんが道路を渡って川床へ向かいます。
 その光景を見ていて、東京湾の屋形船の光景を想起しました。山と海では全然違うのですが、どちらも客受けが良さそうな環境で無理矢理に料理を見繕っているような印象では、同じじゃないかと思いました。
 もちろん、中には本格的なお店もあると思うし温泉のある宿もありますが、全体から受ける印象としては雰囲気と涼しさ(山中ですから市街より涼しいのは当たり前)が売り物の観光地というイメージです。
 そういう商売に関して京都は「エグイ」くらいの印象があります(いまどきは、どこもそうなのかも知れませんが)。
 道すがら「蛍の名所」の看板を見かけました。蛍が棲めるくらいキレイな川かと思いきや、人の多さと水質は反比例することはこちとら学習済みで、ここも前例通りのものでした。行かれる場合は、できるだけ上流のお店を選ばれた方がよろしいかと……

 でも、見聞として行って良かったと思います。


 貴船神社(Map)


 見晴らし用の建物なのですが、川面はお店のよしずに覆われているためこの季節には意味をなさなくなっています。きっと雪の残る冬などは、いい風情なのかも知れません。
 水を司る神様だそうで、昔から雨乞いがよく行われてきたそうです。晴れの願いには白馬が、雨の願いには黒馬が奉納されたものが、馬に代わって木の板に描いた馬が奉納されそれが絵馬の発祥となったそうです(何か、前にもどこかで書いたような気がしますが……)
 右の写真は、水が枯れてて誰も見向きもしませんが、きっとご本尊的なものだろうと思って撮りました。そりゃ、水が流れてなきゃみな通り過ぎてゆくよねぇ。
 ここも陰陽師人気のおかげで若い女性が多いそうですが、縁結びの前に自分のみずみずしさが保てるようにお願いするのが先なのではないかと思いましたが「余計なお世話よ!」の声が聞こえてきそうです……

 この山中で、久しぶりにヒグラシの声を聞きました。
 関東では、ミンミンゼミ、アブラゼミが多いのですが、高槻では「シャーシャー」のクマゼミの大合唱が結構やかましかった7月です。
 報告を聞いてみれば、今年はクマゼミが大発生したそうで、光ファイバーのケーブルに産卵しようとして、通信障害が発生するくらいだったそうです。でも、8月に入って大分静かになりました。
 クマゼミは季節(初夏と盛夏)の違いかも知れませんが、ヒグラシは生息地域が違うということもあり、その鳴き声が聞こえる場所の風情を感じさせてくれる気がして、とても和めました。

 貴船へは「叡山電鉄」(京阪電鉄系列)に乗って行きます。下車駅は「貴船口」で、次が終点の「鞍馬」で鞍馬寺の下車駅です。
 2両編成の路面電車的な車両なのですが、秋の紅葉の季節用に(? でも、そうだと思う)パノラマカー的な構造になっています。
 窓が天井近くまで広くとられていて、片側の座席が窓を向いて配置されています。その席から紅葉を眺められたら最高だろうなぁ、と思うのですが、昨秋書いたと思いますが山手線並の大混雑です。
 この日も、帰りは座れませんでした……

 以前にも書きましたが、京阪電鉄の「おけいはん」(マスコットガール)覚えていますか?
 わたしも久しぶりに広告を見たのですが、現在は五山送り火のポスター(8月16日だそうです。テレビでやってくれないかなぁ?)になっていました。
 何だか見る度に報告してますが、季節感があってコンセプトがとてもいい京都の宣伝広告だと思っています。
 これが日本人の季節感だと思うなぁー。


 帰りがけに(6時半ころ)四条大橋を通りました。お盆休みもあってか、鴨川沿いの納涼床は大盛況でした。
 確かに昼間よりは幾分暑さも引いているとは思いますが、汗をふきふき飲んでいるだろう気温だと思われます。
 これも「雰囲気を買う」ということだと思いますが、そんなやせ我慢も日本人気質として理解できると思います。
 やせ我慢はあまりしたくありませんが、それを「粋」と感じる感性がなくなってしまうと、日本人も結構つまらないものになってしまうような気がします。
 だからなのでしょうか、そんな光景を見ても、まだ「あそこで飲んでみたい」とわたしは思っています……


【追記】
2007.08.16
 五山送り火

 地方版かも知れませんが、NHKで京都・五山送り火(大文字焼き)の中継番組を見ることができました。
 お盆に里帰りした霊魂が「あの世」に帰る姿を見送ろう、そんな行事が京都の街を挙げて行われること(街中はライトダウンしている)に、大晦日の「ゆく年来る年」とは違う「おごそかさ」が感じられました。
 確かにショー的要素はあるものの、あの五つの送り火が目に出来る場所で暮らす信仰心の無い人であっても、身近な先人の霊を祈ることが習慣になることも考えられる訳で、その継続によって「文化」になってきたのではないかと思われました。
 その中継で紹介された(点火の順)
・右大文字:弘法大師堂でおこされた火からすべての行事が始まること。
・妙法(妙と法の文字が2カ所同時に点火される):ある時代に比叡山から迫害を受けた日蓮宗の信徒が生活する集落の人々が、それに負けぬように「南無妙法蓮華経」から妙法の文字を送り火にし、現在もその集落の人々が行事を守っているとのこと。
・舟形:若者たちが担当する最も大きな送り火だそうで、少ない人数で走って点火する。
・左大文字:「大」の文字の書き順に点火されていく。
・鳥居形:点火場所に松明が用意されているのではなく、親火から点火されたものをそれぞれの場所に運んで行って設置する。
など、それぞれのバックグラウンドには「ありがたいお話し」が込められていそうです。
 それぞれの特徴が、この行事の裾野を広げようという努力のたまものであることを知り、それを現代の人たちがしっかりと受け継いでいるという姿に感銘を受けました。

 お盆という行事にこれまでなじみの無かった身としては「これが日本の故郷(原風景)なのかも知れない」と、テレビに見入っておりました。
 ただ本日こちらはこの夏一番の暑さで(明日更新するかは分かりませんが)、午前0時でも30度近くあるような一日でしたので、住んでいるなら別にしても、それを観に行くことは多分ないのではないか、と思います(本当に、その場にいなければ意味がないこと理解していますが)。

2007/08/07

京都のミニシアター&名画座について

2007.07

 京都の映画館(Map)

 2007.07.21 『サイドカーに犬』
 「京都みなみ会館」は東寺の近くにあるので、その町並みからは当たり前のように「あのデッカイ」五重塔が見える訳ですけど、そんな町の風景ってとてもいいものだなあ、と感じ入ってしまいました。
 その映画館は、近ごろでは絶滅してしまったと思える名画座の空気を守り続けている劇場です。
 時間帯で上映作品を掛け替えており、前の回まで「市川雷蔵特集」をやっていて、それがまた20人以上は入っているんですよ(『サイドカー…』にも20人以上入っていました)。今どき名画座にそんなに人は入らないですよ!

 「京都シネマ」というミニシアター系の劇場が烏丸(繁華街)にあるのですが、ここもスゴイ盛況で驚きました。
 ──以前『長い散歩』『しゃべれども、しゃべれども』を観ましたが、館内に熱気があるのですよ。
 京都は、人口に対する映画館の数が少ないのだろうか?(調べたわけではありません)
 はたまた映画好き、それもマニアックなファンが多いのか、娯楽が少ないのか、わたしが通うような映画館なのに人が多いのです。
 ──大阪(梅田)や高槻はガラガラなんですけどね。
 まあ、尺度はいろいろあると思いますが、わたしが感じた映画館の状況からすると、京都にはわたしと同じような偏屈な嗜好を持った人が多いのではないか? という印象があります。
 古い人間(オールドタイプ)なのか、珍しモノ好きなのか、世の中に流されたくないと思っている事だけは確からしいと思われます。
 別に仲間になりたいとは思いませんが「好きだなぁ、そんな人間が棲む町」って。
 変人(?)でも、風変わりでも、迎合的にならずに、生きていける町なんだと思います。
 とは言え、京都人気風の底流まではまだまだ分かってないと思いますよ。何せ、体裁と内面の違いがハッキリと違う気質の町ですから……


 2007.07.28 『夕凪の街 桜の国』
 「MOVIX京都」という新京極の繁華街の映画館で観ました。
 京都で最も賑わう映画複合施設だけあってガキや若者に圧倒されましたが、本作の上映シアターだけはカサカサとした空気(落ち着いた年齢の観客が多い)が漂っていました。それでも数えるのが面倒になるくらい(30人以上)入っていました。


 高槻のTOHOシネマズは先日閉館し、施設を近所の松竹系の興行会社に譲渡しました。統合されてからの成績はとても良さそうな印象です(夏休みだしね)。
 話題作を売りにする映画館という商業施設の成否は、地域の人口に比例してしまうものでしょうから、現在がおかしいだけでいずれまた淘汰されていくと思われます。
 そんなあおりを食わされるばかりのミニシアター系映画はどうすればいいのだろうか?
 田舎へ行くほど観る機会が減ってしまう現状(やっていても期間が短い等)の打破には、オンデマンドレンタルが実現すれば非常に有効なのでは? と思われます(単に自分が便利なだけ?)。
 ──だって、こっちにはTSUTAYA恵比寿ガーデンプレイス店みたいなレンタル店ないですから、オンラインでお願いしますよ!
 映画館という場は大切なのですが、観られなくてはどんどん興味が薄れていってしまうと思うので、オンデマンドレンタルで関心をつないで映画館にも来てもらう。
 そんな状況になってくれるとわたしはとても便利だと思うのですが、よけいにミニシアターはあおりを受けてしまうのかも知れませんね……
 ガンバレとか言いながらも、これは背信的な願望なのかも知れません。

2007/08/05

そうだ、汗をかきに京都へ行こう──嵐電沿線

2007.08.04
【京都府】

 蚕ノ社(Map)

 奈良や瀬戸内などを挟んで、もう一ヶ月ぶりくらいになる京都散策です(映画を観に来てましたが)。
 今回は少し北に戻って、四条大宮から嵐山までを走る(支線が北野白梅町に延びている)京福電鉄嵐山線(略して嵐電)沿いを散歩です。
 嵐電沿線でこれまで紹介してきたのは、四条大宮(壬生寺)、太秦広隆寺(広隆寺)、嵐山。
 北野線では、御室仁和寺、妙心寺、龍安寺、等持院、北野天満宮になります。
 今回は、広隆寺から四条大宮の間を歩きました。

 蚕ノ社(かいこのやしろ)という駅近くに、木島(このしま)神社という歴史の古い社があります。正式名称は「このしまにますあまてるむすびのやしろ」というらしく(正確か分かりません)、古くから天皇家に縁があったようです。
 この森を「元糺の森(もとただすのもり)」と言うそうで、下鴨神社の「糺の森」より歴史は古いようです。
 しかし、正式名称があるにもかかわらず、境内にある蚕養(こがい)神社に通称を乗っ取られている事からすれば、庶民の信仰は枯れているようです(社務所もありません)。
 ここに、三柱(みはしら)鳥居という、足が三本あって上から見ると三角形の鳥居があります。
 調べてみましたが、どうも有力な説は出ていないようです。そんな写真を見ていて、対馬(長崎県)で見たことあるような気がしてきました。
 そんな場所柄と、時代の古さを考えて想像を膨らませると、歴史小説が思い浮かんでくるかも知れません。わたしには無理ですが……


 嵐電(Map)


 上の写真は、三条通の中を走る路面軌道部分の山之内駅です。
 ホームの安全地帯部分が非常に狭く、軌道部分は電車が来なければ車が走っていいわけで、両側にトラックが走る時など怖いだろうと思いましたが、やはり皆さん電車が来るまで歩道側で待っているようです。
 ここは、横断歩道の押しボタン信号がありますが、無いところでも運転者は融通を利かせてくれるようです。
 そういう面に関して、関西は寛容に思われます。と言うか、どこからでも人が飛び出してくるのは当たり前の無法地帯であると言った方が正しいかも知れませんし、わたしも車のすき間をぬうように車道を平気で渡れるようになりましたもの……


 いやー、それにしても京都の夏は暑いです。
 とは言え「明日の大阪地方の予想最高気温は33度で平年並みの予想です」ですから、当たり前のようです。
 近所でダラダラ汗かくのなら、京都で汗をかいた方がまだカタルシス(満足)を得られるのではないだろうか、というところで
 「そうだ、汗をかきに京都へ行こう!」なのですが、そんな気持ち分からないだろうなぁー。

 電気温泉気持ちよさそうでしたが、このあとの帰り道でも汗をかきそうなのでやめときました……

2007/07/07

ガラスのお城──Kyoto Station Bldg.

2007.07.07
【京都府】

 羅城門跡(Map)


 平安京の正門でここから北が洛中となり、大内裏まで朱雀大路(道幅およそ83m)が続いていたとのことですが、面影すら残っていません。
 ──思い浮かんだのが、奈良の平城京跡に再現された朱雀門前の大路の風景で(道幅75m)、このような景色が広がっていたであろうと、思いをはせておりました。
 旧朱雀大路は現在千本通と呼ばれています。平安京造営当時の大内裏と共に町並みも廃れてからは行き倒れの仏を葬る道となり、千本もの卒塔婆が立ち並んだことからそう呼ばれること、旧大内裏近くで読んだ記憶があります。
 そこでは「朱雀大路の名を復活させよう!」運動をしていました。そりゃ、卒塔婆が千本という由来じゃ説明もしづらいですものね……
 芥川龍之介の「羅生門」の舞台はここに当たり、黒澤明の映画は芥川の「藪の中」が原作とのこと。名称も近ごろでは「羅城門(らじょうもん)」(羅城とは都の城の意味だそうです)に統一されてきたそうです。
 前出の島原付近の卸売市場、JR嵯峨野線や、この後出てくる梅小路の公園などは、千本通を分断するように作られていることからみても、お上に排除されやすい地域だったような気もします。これは、単なる推測ですが……
 いずれにせよ、小説の息が詰まるような印象よりはこの写真のように、子どもたちの遊ぶ姿が見られる場所である方がどれだけ健全であることか。
 時代と共に、いい方向へ向かって欲しいものです。


 東寺(Map)

 おなじみの、新幹線から見える五重塔です。
 そうそう何度も見ている訳ではないのに、印象に残る存在感があるので「是非いつの日にか!」と思う人は多いのではないかと思われます。わたしもその一人で、本日実現しました。
 五重塔を間近に見た第一印象は「デッカイなぁ」でしたが、やはり木造塔としては日本一の高さ(54.8m)だそうです。
 ここは弘法大師(空海)の真言密教のお寺で、白装束(お遍路さんとは違うが)の団体がバスで押し寄せるところです。
 分からないながらも、日本文化に迎合するのではなく、経典やルーツに忠実であろうとする姿勢が仏像の姿からうかがえ、何か半歩前に出て観賞していた気がします。

 金堂の薬師如来像の台座を支える十二神将の力強さと、講堂の立体曼荼羅(仏像の配置することで曼荼羅を表現している→展覧会で見た唐招提寺の仏像だったか、意味は違うかも知れないが同様の感銘を受けたことがある)には訴えてくるものがあり、心に響くものがありました。
 本日は七夕、ちょうど「LIVE EARTH」というチャリティコンサートの準備で境内には椅子が並べられ、通路も規制されたりバタバタしていました。
 後で分かったのですが、Y.M.O.のコンサートだったようです。前日に録画したY.M.O.の特集を日曜日に見て「熟した魅力が出てきた」なんて思ってもあとの祭りです……
 空海さんの教えの魅力として「心が広いこと」が挙げられると思います(高野山の墓地は宗派を問わず誰でも入れることには感銘を受けました)。そんな教えの一環なのでしょうが、今夜は薬師如来さんもちと騒がしいかも知れません。
 何度も火災に遭っているにもかかわらず、境内にはあちこちにベンチと灰皿が設置されています。お大師様に甘えて、五重塔を眺めながらの一服はとてもおいしゅうございました。
 そんなことも、これからは勧誘の手段になるのかも? いえいえ、とんだ失言ですね……

 自分で撮っておきながら何なんですが、ハスの花を見るとどうも頭の中に「ゴーン!」と鐘の音が響いてくるのですが、わたしだけでしょうか?
 何だか前にも書いた気がしてきた……




 梅小路蒸気機関車館(Map)


 子供の頃「梅小路」という響きに、遠い「聖地」(ガンダーラか!?)のようなイメージを抱いていたのですが、そんな方いませんか?
 わたしの幼少時でも東京近郊では八高線に走っていた程度で、蒸気機関車が何両も並んでいる写真を見てあこがれていた記憶があります。
 この転車台(と言います)と扇形車庫が、きっとサンダーバードの基地みたいに見えたのだと思います。
 現在でも「スチーム号」という機関車を観光用に運転していて、その運転や石炭の積み込みや入れ替え作業をしているおっちゃんたち(関西風)は結構楽しそうにやってますから(きっとそうだと思う!)、まあ、オヤジの方が遊んじゃうテーマパークってところでしょうか?


 SLファンでもなければ詳しくもないのですが、このエンブレムや各部品の手作り感にはしびれましたねー。
 特に下の写真の車輪の中央部分など、手作業で工作しましたという跡が見られて、何だか作った人の気持ちが伝わってくる気がします。もちろんオートメーションであるわけもなく車体全部が手作りなわけですから、どの部品にも同じ形をしたモノが無いことを想起すると、そこかしこから暖かみが感じられるような気がしてきました。ファンが多いのもよく分かります。


 でも、この車庫の中は石炭を燃やしてこびりついたタールのようなにおいが充満していて、息が詰まるような空気が漂っています。
 デモをしてくれる「スチーム号」の煙もそうですが、郷愁ではなく近ごろでは経験しない「異臭」と感じたことに少々驚かされました(もう石炭ストーブも使いませんしね)。
 トンネルを通過してススだらけになったなんて話しも、日常にそんなにおいが存在していた時代だったから、当たり前に受け止められていたのだとも思いますが、いまではもう無理だと思うなぁ。




 京都駅ビル(Map)


 「ガラスのお城」(駅ビル)に映った京都タワーです。
 この駅ビルを昨夏最初に見た印象は「作っちゃったねぇー」というもので「きっと作りたくなっちゃうんだろうなあ」と、気持ちを察せる面もありました。有名な京都国際会議場もそうですが(第一印象:地球防衛軍の基地? そのうち紹介します)、京都の地だからこそ近代的なものを作りたくなっちゃうんだと思いますし、その気持ちも理解できる気がします。
 それは「数十年使えればいい建造物である」という共通認識の元で企画された建造物であると思えるからです。
 京都の街がここまで発展できたのも、明治期の危機感から琵琶湖琉水などのインフラを整備してきたからで、今後の発展には玄関であるJR京都駅周辺の開発が必要であること、とてもよく理解できます──昨年京都を訪れた観光客の数は、前年から170万人増えたとのこと。
 近ごろでは「少し景気も上向いてきたから、京都でちょっと贅沢してみるか」という団塊の世代(お年寄り)あたりには格好の観光スポットであるのは確かだと思います。それを満足させる営業努力も十二分に感じられ、観光立県として「京都」は成り立つと思えますが、盛者必衰の言葉もあるようにこのまま続くとは思えません。
 調子のいい今こそ、次の手を準備すべきなのではないかとも思うのですが、1200年の歴史を受け継ぐものなど賢者が何人集まって知恵を絞ったとしても、簡単に生まれるものではありません。
 この街の将来を考えるならば、人間の寿命よりも少し(かなり?)長い尺度で築かれてきた、京都ならではの町家に込められた思想をもう少し参考にするべきなのではないかと思うのですが、それはよそ者の勝手な願望なのでしょうか?
 新京都駅は、7月に10周年を迎えるそうです。


 京都タワー(Map)

 昨夏、現在の部屋を探しに来たとき以来2度目です。
 気分が全然違います。お上りさんのように「あそこも、ここも行きたい!」とキョロキョロしていた昨夏とは違い「みんな行ったぜ!」と、小さな征服感を感じながら見下ろしておりました(言い過ぎ!)。
 視界が悪い中、見える範囲でとても印象に残っているのが三十三間堂の長い屋根で、上から見ても存在感ありました。
 きっと、また行きます!



【予告】
  来週は3連休なので、奈良へ1泊で出かける予定です。お楽しみに! でも、台風が来そう……