2007/09/30

お寺は貸し切りに限る──随心院門跡、勧修寺

2007.09.29
【京都府】

 随心院門跡(Map)


 お寺は貸し切りに限る。
 近ごろ、寺院のビジュアルには少々すれてきた気分があって「もうサプライズはあまり無いかな?」などと、冷めた見方をするような面があったのですが、ここで初心を思い出させてもらいました。
 この落ち着いた空間。鳥の声しか聞こえないこの静寂さ。これが、俗世から解放される瞬間なんですよね!
 この感覚、しばらくご無沙汰だったので「山を見て、空を見ず」のように、モノを洞察しその背景を見ようとする眼(まなこ)が濁っていたとの反省しきりです……
 ここは、小野小町が暮らしていたと伝えられるところ(小野という地名)で、この絵(上写真)のモデルももちろん彼女です。
 入り口付近に飾られ、和紙と思われる薄いキャンバスに描かれた絵の背面から光が当てられていて、幻想的なイメージが伝わってきます。


 ここは四国の善通寺の流れをくむ真言宗のお寺で、天皇家の庇護を受け門跡寺院とされています。
 この山科の地には天皇陵が結構残されていることもあり、ゆかりの施設も多く残されているようです。
 上の写真の手前に写経室があり、父娘と思われる二人ずれが静かに筆を走らせていました。
 お寺とは本来そういう場ですよね。
 心静かに仏・宇宙・世界・自分と向き合うことを目的とした、俗世からは隔絶された空間であるべきです。
 そんなことをも忘れさせてしまう観光地となってしまった京都寺社の喧噪感ですが、何ともならないのだろうなぁー。
 この日はとても静かでしたが小野小町ゆかりのお寺ですから、小町祭りとのイベントがありますし、もちろんミス小野小町コンテストも行われます。
 小町忌では、コンテストで選ばれたミスが十二単を着て参列するそうで、それはちょっと見てみたい気がしました。
 右写真は、小野小町が化粧に使用したといわれる化粧井戸です。
 着物姿(なのか?)で毎朝ここに降りて化粧をする姿を想像すると、風情があってかなり色気のある姿だったのではないかと、ポーッと想いをはせていました。


 勧修寺(Map)

 随心院門跡から遠くない場所にあり、醍醐天皇の創建によるそうです(春の桜を観に行った醍醐寺はとなり駅という距離にあります)。
 寺院と言うより御所に使われていた名残が強く、広くはないが庭園と池の印象が強く残ります(水戸黄門が寄進したとされる灯ろうがあったりします)。
 創建はこちらの方が古いのですが、右写真の観音堂などは銀閣寺を模した遊び心(などと言ったら怒られるか?)のある趣向で、庭園を楽しんでいたのではないかと思われます。
 でも平安時代には、下写真の氷室の池に張った氷でその年の作柄を占ったとありますから、歴史的には古いようです。
 この一面に広がっているのはハスの葉ですから、これが咲く時節には人出も大変なものだと思われますが、ここも貸し切りでのんびりと出来ました。


 お寺は夕方が狙い目と思っています。
 ──これは、何度でも通える利点です。
 完全に貸し切りにならずとも人影がまばらになってくる訳で、ゴミゴミした時間帯と比べれば受ける印象も違ってくると思います。
 ただし見学時間を事前に確認しておかないと、門を閉められてしまうおそれがあります。
 この日は、4時までのところに15分前に到着でセーフでした。
 ここの受付のおばちゃんはのんびりしていて「大丈夫ですよー、ゆっくりご覧下さーい」と言ってくれましたが、どうも大きな寺院ほど「あと30分で閉門ですから」とせかす傾向があるという印象があります……

 本日の京都の最高気温は20度以下で、急に涼しくなったからでしょうか、家に帰ってきてから両足が同時につって痛てぇこと。もうオッサンを自覚するから、何とかしてくれー!
 翌30日の晩には、風呂の設定温度を上げました。
 1週間前の近江八幡辺りでは「また日焼けしちゃったよ」なんて言っておりましたから、気候変化の激しい時節ですので風邪などひかれませんように。
 とりあえず、わたしはまだ大丈夫です。

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