2008.5.15-18
【京都府・滋賀県】
宇治 平等院(Map)
京に戻ってまいりました。
新緑のまばゆい、散歩には絶好の季節到来と言えます。
──右写真は、宇治川に浮かぶ橘島から東岸の宇治上神社側を望んだ絵になります。6月から始まる鵜飼い船や鵜の入ったおりなども見ることができます。いよいよこれからがシーズンですから、人出もスゴイことになるのでしょう。
今頃の京都は修学旅行の季節でもあります。
中学の修学旅行は京都だったのですが、きっとこんな時期だったことと思います。
当時は何せ初めてですから、この季節が到来することを山や里を挙げて喜んでいるなどとはみじんも感じることなく、目の前の中学生たち同様に駆け回っていたことでしょう。
「アーッ、疲れちゃったぁー」と、周囲に訴えるようなため息をつく引率のおばちゃん先生。自分だけ休んでるわけにもいかないから大変だよなぁ、と思うそばから「先生!」「先生!」の声がかかります。
そんな時分「○○(先生の名前)のヤツ、あんなところで一服してるよ」などと言っていたことを思い出します。「しょうがねぇなぁ、待っててやるからよー」「サンキュ、悪いな!」それくらいは大目に見てあげようよ……
場所が変わると、先ほどのおばちゃん先生は旗を持って子どもたちを先導しています。大勢のガキに付き合って歩き回るんだから、並大抵の消耗ではないと思われます。
今晩はゆっくりとお休み下さい……
──右写真は平等院鳳凰堂の屋根の両端に一対で飾られてある鳳凰で、一万円札の福沢諭吉の裏側に印刷されているものです。「平等院と言えば10円玉」と思いこんで「三つ子の魂……」でいたのでは、いつまでもお金に縁がない、ということにもなりかねません。とは言え、今回初めて知ったのですが、ご存知でした?
前回も見とれてしまった鳳凰堂ですが「何でこんなものが作れちゃうんだろうなぁ」と、今回も口あんぐりです。
ひとつの理想としての浄土観は見事に伝わってくると思うのですが、心が安らぎすぎて働く意欲を失ってしまう人もいるのではないか、とは心を許しすぎでしょうか?
やはり国を治める者には、理想が必要なのかも知れませんが、では現在の「国の理想」とは何なのでしょうか?
東寺(Map)
前回寄れなかった、隣接する観智院には宮本武蔵によるとされる襖絵が残されています。経年劣化のためか、ディテールが判別できずに残念です(右写真は観智院)。
巌流島の決闘前の作とのことで、その精神修行のために長谷川等伯(智積院の屏風絵に心奪われた)の指導を受けたとの、説明文があります。
巌流島云々の部分に引っ掛かったので調べてみると、長谷川等伯に師事したことも諸説あるらしく、信憑性については分かりませんでしたが、元々書画には定評がありますものね。
金堂や講堂には国宝や重要文化財の像が並んでおり「見せられるものは国宝でも全部見せる」という姿勢が伝わって来ます。襖絵や屏風絵のような美術品とは違い、ここでは信仰の対象としての使命である「対面」が果たされています。
今回も講堂の立体曼荼羅の迫力に目を奪われましたが、その顔立ちが中国というよりインド系であることが印象に残っています。
──三十三間堂の精神にも通じる、古き仏教への思いが伝わってきます(東寺の方が古いようです)。奈良東大寺の法華堂にも名高き立体曼荼羅があると知りました。機会があれば是非とも。
「お四国巡礼の前にはこちらにお参り下さい」と大師堂にありましたが、そんな決まりもあるそうです。
──お大師様(空海)は、密教の奥義の伝授を受けた中国から帰国後に高野山を開き、その布教活動が政府に認められて東寺を任せられたそうです。都の出張所というような性格でしょうか?
修学旅行生やお遍路さんも大勢訪れますが、寛容さを感じられる気がするからでしょうか(縛られない感じがします)、ここの空気はとても好きです。
毎月21日の月命日には「弘法さん」という市が立ち賑わう様子をテレビなどで目にします(右写真は五重塔)。
涉成園(しょうせいえん)(Map)
ここは東本願寺の別邸になります。
作庭には詩仙堂の石川丈山がかかわっているとのことです。
別名である「枳殻(きこく:中国名)邸」の名は、以前は周囲を枳殻(からたち)の生垣に囲まれていたことに由来するそうです。
枳殻は中国から伝わったもので「唐橘(カラタチバナ)」の短縮形なんだそうです。葉はアゲハチョウの幼虫の好物だそうで、そう言えばサナギがいっぱいあったっけ……
と言うのも、子どものころによく野球をした公園にこの生垣があって、ボールが入ると腕を傷だらけにしてボールを取りだしていました。軟式のテニスポールはパンクしてしまうし、子どもの目には「トゲだらけ」にしか見えない植物を生垣に使用したのか理解できないでおりました。枳殻(きこく)邸の頃からカラタチは防犯用であったそうなので、そんなものを児童公園の生垣に使った設計者に対し、今さらながら文句を申す! (最近では生垣にも使われなくなったそうです)
上写真は前回も撮った、門前にあるオブジェとしか思えない高石垣(真ん中の石は「石臼」だったのでしょう)ですが、やはり引かれてしまう迫力がありました。
右写真は、庭を眺める広間のような建物の窓に映った絵を取り込んでいます。
京都駅から徒歩10分弱の土地に、これだけの庭園を維持できる東本願寺の財力には頭が下がります。
でも、庭の素晴らしさには宗派云々といったこだわりを抜きにして、素の心で接することができるわけですから、新幹線まで時間が空いた時などにいかがでしょうか?
わたしは好きな庭です。
西寺跡(Map)
西寺跡は公園になっていて、にぎやかな声がたえません。石碑や礎石は小高い丘の上に残されています。
もう少し何か残してもらいたい気もしますが、羅城門跡と同じく子どもの声が響いていることが救いなのではないでしょうか。
調べてみても、どうも西寺に関する資料を目にすることができません。
これは推測ですが、京の右京(西側)が寂れていった理由にも通じるような気もするので、機会があったら調べてみようと思っています。
坂本(Map)
ここは比叡山を挟んだ反対側の琵琶湖畔というか山すそにある町で、滋賀県側から山を登るケーブルカーの駅と、甲子園で耳にしたと思われる比叡山高校があります。
比叡山延暦寺の門前町としての歴史を持つ町で、ふもとにたたずむ日吉大社への日吉参道(上写真)をはじめとして、立派な石垣がとても印象的な町並みになっています。
背後に山をいただく立地を生かして日吉大社の境内には水路が配されています。
右写真は本流付近の茶屋ですが、その上流から引かれたと思われる幅30cm程度の水路が、山の傾斜を段々に整地して建てられた本殿の周囲を流れてまた集められ、低い場所にある次なる本殿の周囲を流れる、という趣向が凝らされています。
うっそうとした山の中に「サラサラ」と聞こえてくる水音は実に心地の良いもので、同じ場所にとどまれる状況を想像してみると以下のようなことしか思い浮かばなかったのですが、墓石はこんな場所で苔むしていたいものだ、とも思う落ち着ける空間になっています。
まさに「季節はこれから」と思わされますが、あっと言う間にジメジメがきてしまうことを考えると「遊ぶのはいま!」と、今週ちょっと遊びに行ってきます。