2007/04/21

開府の将が築いた幕引きの舞台──二条城

2007.04.21
 二条城(Map)


 修学旅行で来たのだろうか。「キュッキュ」鳴る床を歩いた覚えはあるのだけれど、ここだったのか?
 家康が造営した京都での居城だそうです。中にはご丁寧に、将軍様(現代ではちと意味が違う?)、家臣、大奥の人形が配置されているのですが「あれっ、松の廊下や、大奥は江戸城じゃなかった?」。そんな時代劇から学んだ知識は正しかったようです。何代目かの将軍からは、就任式も行われなくなったそうです。
 城とは言え平穏な江戸時代らしく(?)防御に力を入れてない、天皇の接待場のような存在だったようです。だからきっと、高い建造物は造らなかったのでしょう(天守閣跡はありますが)。
 再び歴史の表舞台に出てくるのは、幕末の「大政奉還」がここで発せられた時です。
 「それならよく分かる」これまた時代劇からの知識です。教科書よりも、ドラマや小説の印象が強いのはわたしだけ?
 とは言え江戸城無き今、現存する最も存在感のあるお城なのではないのでしょうか。
 外人さん喜ぶ(比率としては金閣寺と並ぶくらい多かった)、日本人喜ぶ(団体入り口の下駄箱の数は修学旅行用でしょう)。やはりスーパースターですね。
 でも、中学生自身にはどうでも良かったのかも……


 神泉苑(Map)—京都府


 二条城のすぐ南にあり、都の造営と同時に整備された苑地とのことで歴史も古く、御池通の由来になったとの説や、空海さんが雨乞いをしたとか、義経と静御前が出会ったなどの言い伝えが残る、由緒ある場所のようです。
 「だと思ったんだよなぁー」。予備知識も何もなく、地図を見て「行ってみたい」と思ったのは、やはり誘われていたのでしょう。
 社の上には鳳凰がお決まりかも知れませんが、ここでは鳩です。のんびりしていて、いいでしょ?
 泉の印の由来である湧水は、池はあれども今いかに……


 夷川通(Map)—京都府


 夷川通(えびすがわどおり)にある座敷机のお店です。
 この通りは「家具屋ストリート」と呼ばれているのでは、と思うほど関連のお店が並んでいます。それも結構長く続いています。
 地図で見たところ、少なくとも11の町にまたがって続いており、一般的に専門店が多い一角を町名で呼んだりするのと違い、通りの名前で呼ぶのではないかと思われます。

※京都の市街地では「○○町」と呼ばれる区分は、通りに囲まれたブロックではなく、通りに面した両側を単位にして細かく区割りされています。玄関前の通りに出て、顔を合わせられる範囲がひとつの町という感じで、壁で接する隣(裏)の家はその玄関のある反対の道側の別の町名になります。
 広さ的には一般的な「○丁目」が「○○町」になってる感じでしょうか。

 何か、いよいよ中心街に近づいて来たようで、突き当たりの寺町通には観光客相手のお店が並んでいます。
 「京都のそばはうまくない」との評判に反して、これまで入った3軒くらいはみんな当たりで好印象だったのですが、ここで外れクジを引いてしまいました。うーん、これも経験ですかね……


 幾松─上木屋町(Map)—京都府

 ここは、桂小五郎と幾松(後の奥さん)の寓居跡(仮の住まい)の旅館だそうです。当時は、長州藩の控屋敷だったそうです。
 ここも何の知識もなく歩いている時に、偶然目に止まった脇道を撮ろうと思っただけでした。
 やっぱり、誘われているのだと思います。
 その近くで「佐久間像山、大村益次郎遭難の碑」を目にし「この木屋町、田原町付近ってのは幕末のキモなんだ」などととぼけた事を思いながら歩いているのでした。
 「勉強しなきゃ」と思いながらも「歩きながら学んでいる」と思えば、いいじゃないか!
 でも、見逃しているモノもたくさんあるんじゃない?

2007/04/15

御室桜(おむろざくら)で締め──御室 仁和寺

2007.04.14
 御室 仁和寺(Map)—京都府

 「まだ桜なんか見てるの?」
の声が聞こえそうですが、自分でも「京都の桜の楽しみ方」に驚き、実感してみたくて追っかけて来ましたが、今回の「御室桜」で終了! と思います。(もう、4週目になりますものね)
 御室桜は遅咲きの桜で、京都最後の桜のようです。この週末は七分咲き程度のふれこみでしたが、もう満開と言っていいでしょう(来週では遅い)。客側も心得たもので、この人出にも納得というところです(陽気も良かったですし)。
 御室桜は背丈が低く梅や桃の木程度の高さで
「わたしゃお多福 御室の桜 はなは低とも人は好く」
 とうたわれるそうです。
 「お花見するのにお金取られるんだよー」との声に、「そう言えば前に来たときは払わなかった気がする……」。
 でも桜ですから、ほんの1〜2週間程度なのでしょうが、あの混雑ぶりからすれば相当な収入になると思われます。
 手に取れる高さに咲くからか、お茶席も設置されておりちょうど梅林の中に縁台がある感じなのですが、それが置ける空間にはすべてに配置されてあり「有料」の印があります。
 立て看板には「境内での飲食等は禁じられています」とあるものの、ご機嫌なグループがいくつもありました。
 また、その脇の「敷物禁止」の張り紙を見ると「ここはお金を払えば(昔の貴族に相当)無礼講になる世界遺産なのか」と、ちょっと首をかしげてしまいました。


 「世界遺産であからさまな商業活動をすべきではない」などと、きっとわたしたちが勘違い(思いこみ)しているのだと思います。
 保存・維持のための経費は、自ら捻出する必要があるのでしょうから、ある程度は仕方ないのかも知れません。
 でも、しつこくかんぐるようですが、われわれ庶民がどう思おうが揺るがない取り決めが存在しているような気がします。
 歴史のある「ひとつの文化」なのかも知れませんから「昔からの慣習で」でも構わないと思いますが、どんな取り決めがあるのかの説明を聞いてみたい、という気持ちにさせらた「不平等感」でした(だから成り立つ、という意見は理解できます)。


 元御所なのに、瓦に菊ではなく桜とは「粋だねぇ」と感じたのですが、その真意とは?
 でも、威厳よりも親しみを感じさせる図柄であると思えるので、好感を覚えました。


 妙心寺(Map)


 お堂の修復の都合で屋内の見学ができなかったり、桜の無い境内だったりすると、人けもなくガラーンとして「拾いモノ!」的な落ち着ける場所になるんだなぁと、ゆったりと歩けました。
 前回気がつかなかったのですが、仁和寺の流れでこの瓦に目が止まりました。
 何と読むのかと調べたら「山号を正法山と称する」とありました。
 ちなみに下の「花園」とは、創立者の花園法王からのもので、地名・駅名にもなっています。
 役に立つか分かりませんが、何かの時にでも……

 でも、瓦の観察って楽しいと思いませんか? (なんて、オレだけかなぁ……)


 先斗町(Map)(ぽんとちょう)デビュー!

 大学時代に同棲していた友人(男で残念、名古屋在住)を付き合わせて「先斗町デビュー」を果たしました!
 本命の店は満員で入れず、残念…… 6時でダメなら次回は5時半前にリベンジです!
 情報として聞いていた「先斗町の路地をちょっと入ったおばんざいの店」を見つけた、と思ったのですが……
 観光客でごった返す(ここは特に外人が多い)繁華街ですが、客が求めるモノは同じ訳で、逆に安心できる飲食店街なのかも知れません。
 印象が良かったので、京都で飲むときにはきっとこの町を提案すると思います。
 京都をほろ酔い気分で歩きたかった、などとくだらんことで喜んでいるようでは、はまるぞとも思いつつ……
 ここ先斗町にも、祗園同様にトラップの木屋町が待ち受けています。こちらで飲む際にはお気をつけて……

 相棒との話も盛り上がり、ゆったりと心を開いて話しができたのも場所柄なのかも知れません。
 龍馬が暗殺された「近江屋」が近いこともあり(?)
 「このままでは日本はダメになる!」
 「でも、おれたちにできることは……」
 なんて、気取っているわけではないけれど、現状についての意見を交わしながらも「新幹線なくなっちゃう!」
 と、散っていくのでありました……

2007/04/07

京都お花見コース──満開! でも、雨でした

2007.04.07
 お花見コース(Map)—京都府
本日のお花見コースは、
四条大橋〜祗園〜知恩院〜青蓮院〜動物園〜鴨川〜出町柳です。

 祗園(Map)
 新聞屋と玄関先を掃除する女性の他に人影のない早朝の祗園。そんな情景を思い浮かべると、きっと風流なんだろうと思います。
 というのも、人が少ないのはそんな時間しか無さそうだから。









 

 白川(Map)
 少し上流の、柳が絵になる流れです。
 日差しがなく、若い緑が映えないのが残念です。
 また来ます。












 知恩院(Map)
 雨の中、観光バスの列が続いているのには驚かされました。ここにバスを置いて、円山公園、八坂神社を巡るのでしょう。
 浄土宗総本山というだけあって、とても立派なお寺で前回とても感銘を受けたのですが、今日は雨も降っているし人出も多いので、三門(山門とは書きません)だけで失礼します……
 空から明るさが消え、ちょっと萎え始めています。







 市立動物園(Map)
 京都で動物園と言うなかれ。
 狙い通りに花はきれいでしたが、雨宿りです。
 子どもたちに、動物とふれあう機会を与えることは必要だと思うのですが、ちょっと狭いので動物たちにストレスがたまらなければ、と思います。


 水道局発電所(Map)
 水道局付近の桜並木は楽しめました。
 花の名前に疎いわたしでも種類の違いを区別でき、4種は分類できました。やはり、京都は桜の種類が多い気がします。
 珍しモノ好きな貴族たちが、競って色々な桜を取り寄せたのか、地方から贈られたのか……
 昔は、京都へ行けば珍しいモノに出会えたのでしょう。


 鴨川(Map)
 鴨川の土手には、青いシートが満開でした。
 出町柳、四条駅の若者達の「お花見パーティ」「合コンイベント(?)」的な盛り上がりには驚きました。
 さすが、桜の下の饗宴のルーツという感。
 東西を問わず、これが日本人なんですよね。
 今頃、彼らは狂い咲いていることでしょう……











2007.04.08

 昨日の雨が非常に悔しかったので、リターンマッチです。
 本日は、上賀茂神社、府立植物園です。


 上賀茂神社(Map)
 「風流桜」とありました。葵祭で飾られるそうです。
 そんな桜の枝におみくじが結ばれていましたが、願い事も「しゃれ」で風に流されてしまいそうな気がしたのですが、いわれがあるのでしょうか?










 府立植物園(Map)
 この桃の枝を見て、料亭の玄関に飾られていた「餅花」(柳の枝に餅をつけた飾り)の原型は、この姿なのではないかと連想したのですが、真相やいかに?


 チューリップ「春のダンス!」で、何とも内容のない「満開」の2日間のスクラップブック終了です。

 どうも、この2日間は「満開」なのに、不完全燃焼の感があります。

2007/04/01

花ばかり見ていた──醍醐寺

2007.03.31
 醍醐寺(Map)—京都府


 イヤー、しだれ桜が立派だったもんだから、お寺の何を見たのか自信ありません。
 先週の御所、先ほどの宇治、そしてここでも、しだれ桜が目立ちます(ソメイヨシノより開花は早いようです)。
 昔から京都では、早咲きの桜が好まれていたのでしょうか?
 冬が寒いですから春を先取りしたい気持ち、暖冬とは言え冬を経験した者としては「身にしみて」理解できます。
 名前は知らねどもいろいろな品種の桜が、それぞれ自分たちの咲きごろに咲いているような気がします。きっとこれは、意図的に色んな種類の桜を植えているのだと思います。そしてこれからソメイヨシノが……
 本当に意識してそうしているのであれば、それはものすごく贅沢な楽しみ方と言えるのではないでしょうか?
 10日で終わってしまうものを、何週間も色んな桜で楽しもうだなんて、いかにも貴族が考えそうだと思いませんか?
 桜が終わっても、それからいろんな花がいろどりはじめるのですから、気分も浮かれてしまいます。
 ここは、そんな浮かれ気分を許してくれると勝手に思いこんでしまうほど開放的な雰囲気を感じさせてくれるお寺なので、足取りも軽やかになっています。
 そう言えば、お参りしなかったかもしれない……



 醍醐という町は、市街からひとつ山を超えた谷間を流れる山科川沿いにあり、平地がほとんど無いところです。
 ここも京都市で市営地下鉄が通っていることもあり、市としても郊外の住宅地開発に力を入れているようです。
 ここでは、洛中のような「景観条例」等を気にしなくていいんだと、のびのびと高層のマンションが林立し、山の斜面の宅地化も進んでいます。墓地の周囲を住宅が囲むような開発手法で、それも墓地を移転させるような勢いで……
市内まで20分程度と考えれば、仕方のないことかも知れませんが。
 京都では平等院や醍醐寺のように、少し郊外にある寺院の方が風情を保つのに苦労しているようです。

 そうそう醍醐寺ですが、開祖は空海さんの孫弟子だそうです。
 それくらいしか調べてません、スミマセン……

化粧なしでもイケてるお年寄り──平等院

2007.03.31
 平等院(Map)—京都府


 観光地で人も多いのですが、宇治は落ち着ける町と思います。
 その理由は「鳳凰堂」にあり、でしょう。この建造物を眺めていると本当に安らいだ気持ちにさせられたからです。造ろうとした人の気持ちがそのまま伝わってくる気がしました。その願いは、現代のわたしたちも変わらないこと、伝えました。
 白粉や、紅でお化粧しなくてもこの建造物は、しっかりと存在感を示してくれます。そう、銅のレリーフの中で示してくれるように……
 昔、ポケットに10円玉があることを確認したときの「希望感」が、今にもつながっているのかも知れません。
 10円玉を媒体とした付き合いは常に身近なのですが、今回の出会いにはとてもインパクトを受けました……


 これが、背景にマンションが入ってしまう光景です。
 確かに「これで世界遺産?」と言われたら、反論できないと思いました。
 マンションを壊せとは言えませんが、せめて高い樹木でも植えられないものか、と思いますが……


 この後の電車で、隣の席に芸妓さんと女将さんが座ってきました。どこかのお参りの帰りのようでした。
 初めて芸妓さんの白粉の匂いをかぐ機会を得て、目立たぬようにクンクンしちゃいました。
 控えめなのですが何とも落ち着くというのか、安らぐような匂いでした。
 この匂いには男はスリスリいっちゃうだろうと「ガッテン!×3」しました。
 それにしても「素人はん」は老いも若きも、何であんなにも匂いのキツイ化粧品を使うのでしょう……


 宇治川です、鴨川あたりに比べると流れは速いですが、それゆえに鮎も多く「鵜飼い」が盛んなのでしょう。
 近所の商店街のお茶屋さんのにおいって、どうもエグい感じがして好きではないのですが、ここの土産や通りには途切れずいい匂いが漂っていました。もちろん宇治茶です。きっと、モノが違うんだろうなぁ。

2007/03/30

冬の時代に花を咲かせた──京都御所

2007.03.25
 京都御所(Map)—京都府


 さぁ、さぁ、南国の夢から覚めねば。
 こちら本土も、もう「春」です。
 日常に戻って、京都めぐり再開です。

 明治の頃、すさんでしまった武家屋敷跡の区画を整備したそうです。
 ある面、京都の都としての歴史はここに向かって歩んできたと言えるわけで、善し悪しは別にしても象徴になっているのだと思います。とても落ち着ける憩いの空間だと思いますが、お金もかかっているのでしょうに。
 都の立場を失ってからも町の営みは続いており、一度は落ちぶれたもののそこからはい上がってきた経験を、次の時代にどう引き継いでいくのかが課題なのだと思います。

 平家、源氏、足利、秀吉、徳川それぞれに功罪があったとしても「財産」(文化)を残してくれましたし、それについてはきちんと評価されていると思います。でもそれらは、過去の遺産です。
 忘れてはいけないのが、現代の京都も歴史の一部になるということです。
 わたしたちは、将軍でも偉人でもない一庶民ですが、後世に残したいと思うモノがあれば、それを守るべきなのだと思います。
 きっといつの時代の庶民もそうだったのではないかと思うのですが……

 07年の一番桜を見て思ったこと。

 明治期に日本の仏教寺院は牙を抜かれたということもありますが、現在の宗派の乱立状態においてもこの平穏を保てていることに感謝し、治安の心配もせずに桜を眺めていられることに、ただ感謝です……
 春めいてきて、ちょうど桜の開花期に出会えて酔ったのかも知れません。
 それがまた「春」ですよね……

2007/03/10

散歩道にしよっ!──真如堂

2007.03.10
 真如堂(Map)—京都府


 立派な寺院なのに地味な印象なのか、人が少なくとても落ち着ける空間です。期待通りの空気に、散歩コースにできそうな「隠し球」を見つけたうれしい気持ちで、お寺を後にしました。また来ます。


 すぐ隣の迎称寺門前。

 また、色味のない写真になってしまったので、ここでひとつ。


 帰路の京阪電鉄出町柳駅(でまちやなぎ)の券売機で、関西私鉄共通のプリペイドカードが「印字が一杯です。新しいカードを発行します」と出てきたのがこの「おけいはん」(京阪のマスコットガールの名称)カード(この絵はあまり可愛くないけど、下がり気味の目と、口を開いた表情がアホっぽくて可愛いの!)です。
 何だか「当たり!」が出たようなうれしさがあって、こんな恥ずかしい写真を撮ってしまいました。
 デジカメは、こんなバカな写真を撮れる(お金がかからない)気楽さがうれしい、と納得した本日です。
 なんて、説明しようと調べたら「神農 幸(じんのさち)」という娘で京都出身で云々と、現実に引き戻される内容を見るハメに。
 調べなきゃ良かった……

「八つ橋」→「門跡寺院」→「役行者」
 ──聖護院門跡

2007.03.10
 聖護院門跡(Map)—京都府

 京都を歩くようになって「聖護院(しょうごいん)」の字面を目にするたびに、懐かしさを覚え「行かなきゃな」と思っていました。
 今ではもう口にしたいとも思いませんが(甘味はゴメンナサイ)、小・中学生時代に出会った「生八つ橋」のニッキ(?)の効いた甘味菓子が驚きで、その包装紙の文字「聖護院」が今でもとても印象的に残っています。
 中学の修学旅行では「生ものですからお土産に買わないように」の指導で、買えなかったような気も…… ちょっと定かではないのですがどちらにせよ、そのころ新興の「おたべ」(生八つ橋の商品名)は偽物だ! なんて思っていたことが思い出されます。
 今では考えられない、遠い日の「甘い」思い出です。
 そんな聖護院が「門跡寺院」(皇族関係者の住まいにだったりした特別な待遇を受けられるお寺)であるとは知りませんでした。昔この付近には、広大な森が広がっていたそうです。
 「ならば、庭もさぞかし!」と思いきや、文化財的には重要視されていながらも非公開とのことで、肩すかしでした(そんなこと調べてから行けよ!)。
 また「役行者(えんのぎょうじゃ)」(山伏の先駆者)縁の修験道総本山であるなどとは、まったくもって知りませんでした。
 ですがここで、乏しい知見ながらも、奈良県吉野山の金峰山(修験道の山岳修行の門のようなお寺で、そこで役行者の名を知った)とのつながりを知ったということに「知的空間の広がり」を自覚し、それだけで心が豊かになったような気がして(単純!)とてもうれしい気分でおりました。
 そんなレベルの感想では「無知なヤツが」と片付けられてしまいそうです。
 でも何と言われようが「着実に自分の世界は広がっている」のだ。そのために、未踏の場所を歩いて回るのだ。
 そう思いたい自分がいるのも確かです。

京都再興祈願事業──平安神宮

2007.03.10
 平安神宮(Map)—京都府


 明治時代に「遷都1100年記念」として造営されます。
 皇居が東京に移ってしまいさびれてしまった「古都再生事業」の一環だそうです。
 周辺の広い範囲に、京都会館、美術館、動物園、野球場などがあり、自治体主導の大事業だったことがうかがえます。
 そうそう、この一角の東側には琵琶湖流水を引き込んだ発電所があり、西側にも発電所と水道局があります。また、この北側には点々とですが併せればかなり広い土地を占有する京都大学があります。それらをひっくるめて考えてみれば、明治維新のおかげで京都自身の革新が始まったと言え、平安神宮と京大はそのシンボル的存在だったようです。
 そんな心意気を、庭園を鑑賞するための「泰平閣(屋根と椅子つきの橋)」の設計精神に感じ、心配りが行き届いていると感心させられました。
 ガイジン客も多いし、結婚式も行われており、造営の目的は達成されたのではないでしょうか。

 近ごろ掲載する写真は、どうも色合いが無さ過ぎると反省しながらファインダーをのぞいた本日です。
 こういう建造物を見た印象として「竜宮城みたい!」と感じてしまう習性は何とかならないものなのか?
 と思ったもんですが、もう完全に「ひとつの夢」としてすり込まれている訳で、臨終の際まで夢見続けていくのでしょう。
 では、竜宮城という概念がなかったら「○○みたい!」と、何を想起するのでしょう?
 それもきっと、想像上の存在のような気がします。


 この木、不思議だと思いませんか?
 庭園の中にあるので近づけず、観察はできないのですが、どう見ても一本の木が枝分かれしてからまた一本になってるように見えました(近くに、なりそうでなってない木もありました)。
 そんなわけねぇだろう! でも、そんな「だまし庭師」がいたのかも(これも生け花?)と思っているのですが……


























 暖冬とはいえ春は待ち遠しいものです。
 それも、もう間近のようです。

2007/03/04

ワンランク上の「男」を目指して──花街(宮川筋)

2007.03.03
 花街(宮川筋)(Map)—京都府

 何の予備知識もなく「街のにおい」に誘われて、ふらりと舞い込んで行きました。「これが!」と最初はドキドキしましたが、この一角だけが整った秩序(健全な観光地です!)をアピールしているようで、妙な印象を持ちました。
 「お上の仰せ通りに商売しております」とのお上に対する姿勢と、事業内容を表に出したくない、という二つの「裏(ダークサイド)」を持ち合わせた「着飾った暗黒街」なのではないかと思えてくると、ちょっとビビッてきました。
 着物の姉さん(女将さんレベル)を「カッコイイ!」と思っていたのが、「プロって怖いんだろうなあ」と一気に見方が変わってしまったりして。
 一説によれば「いまの御茶屋は、コンパニオン派遣の元締め」との見解もありますが、果たして? 万が一にも「ハマッて」しまったらお金は覚悟の上でも、身も心もボロボロにされてしまいそうな……
 「その覚悟がなきゃな、祗園じゃ遊べねえつーの」という、ワンランク上の「男」を目指す気概が必要なのかも知れません。
 わたしには、そんな甲斐性は一生持てそうもないので、前言は撤回します……

 そのすぐ裏に「えびす様」があります。
 理由は定かではありませんが、正面でお参りした後に社殿の脇に回り、口しか見えない賽銭箱(写真下)に賽銭を入れ、その上の板をたたいてお参りするのだそうです。何の「裏取引(袖の下)」なんだろう?(大変失礼!)とかんぐりたくなりますが、御利益ありそうだと思いませんか?

あんたが大将!──清水寺

2007.03.03
 清水寺(Map)—京都府

 人が多くて大変そうだとは思っていました。でも、修学旅行以来の再訪をしたい場所でもありました。行くならシーズン前と、予定を変更して行ってみたら「年中シーズン」みたいなところでした(そりゃ、雪が降ったらそれで歓声が上がるようなところですから)。
 「舞妓さんに変身!」が流行のようで何組も目にしました。遠目には華やかなのですが、表情や動作に品が無いもんですからハロウィンの仮装行列のようなものです。
 やはり「清水の舞台」なのでしょうね、あの高さと広さと人の多さ。
 「100人乗っても壊れない!」の実験に参加したいわけでもあるいまいに……



 清水の飲み場に並ぶ気持ちは理解できるというのも、修学旅行のときは3つとも飲んだ気がしてきたからでしょうか。
 参道の坂道で見知らぬおばちゃんの「江ノ島みたいね」との声が聞こえ「まさしく!」と答えそうになった、大混雑の清水坂でした。
 あなたが京都の人気No.1です。恐れ入りました。

また、桂浜へ──龍馬の墓

2007.03.03
 龍馬の墓(Map)—京都府

 護国神社という神道派が明治維新の礎となって亡くなった人たちを奉っている場所で、意図は理解できますが真偽については? という印象があります(中岡慎太郎の墓が並んでいます)。
 ですが、当時のことを展示する併設の「霊山歴史館」では、新撰組の展示もあるようなので(内容は未見)スタンスとしては偏ってない、現代風になっているようです。
 その墓のある山中から最期の地となった近江屋辺りを眺めることができ「龍馬はあのあたりで死んだのか……」との、思いをはせるには絶好の地であると、現在のビル群をぼんやりと眺めていました。
 そしてまた、若い女性にも人気があることに少し驚かされました。生前の龍馬って、女性にちやほやされたのでしょうか?
 お墓を見ちゃうと、もう終わりのような気がしてしまいますが、さて、ぼちぼちまた桂浜に行きたい気持ちが芽生えてきたぜっ!

 京都はまだ半分しか回っていませんが、これで聖徳太子(広隆寺)から幕末まで一応のタイムトリップはできました。やはり、最も長い間日本の中心地であった「都」ですから、感ずるものは東京や鎌倉の比ではないとの印象があります。
 まだまだ、歩き回ってみたい気持ちに衰えはありません。

食わず嫌いは損──八坂の塔(法観寺)

2007.03.03
 八坂の塔(法観寺)(Map)—京都府

 どうもこの一角の「オシャレなイメージ」は、テレビCMなどの作り物的な印象があって「通ったついでに見てやろうか」的な先入観がありました。
 行ってみると、そんなイメージが当たり前に存在している一角であり、周辺で生活していればあの「オシャレなイメージ」を、裏切られることなく実現出来るのではないかと思えました。
 やはり「八坂の塔」あっての町並みとの認識があり、そのためには何をすべきかという住民の意識が「町への愛着」として現れているのではないでしょうか。「なるほど、なるほど」と納得させられる雰囲気を町全体から感じさせてくれ、観光地としての売りがすんなり伝わってきてとても好きな界隈です。


 これは料亭の玄関で、柳の枝に飾られたお餅は本物です(よく見えないかも知れませんが)。
 これを作りお客さんを待ち受ける人の姿。お客さんを待つこの絵の姿。それをくぐり店に入っていくお客さんの姿。
 どれをとっても、暖かみを感じさせてくれる気がしてきます。

繁華街の中の禅寺──建仁寺

2007.03.03
 建仁寺(Map)—京都府


 祗園の街中に、それもWINS(場外馬券売り場)のすぐ隣にこんなにも静かで落ち着いた空間があることに驚きました。そんな立地情報を知らないわたしは、交通整理の警備員が出ているのを見て「うわっ、何かの祭りにあたっちゃったか?」と思ったのですが、そこでは毎週末「祭り」が行われているのでした。
 ここは「風神雷神」の金屏風があるお寺さんで、入って最初の部屋にその屏風絵が飾られています。ですが、そんな状況に慣れてしまい落ち着き払った態度で「模写だよねぇー」の反応。そんなものかも知れませんが、その態度に自分でも「シラケてるなぁ」と、ちょっと反省です。
 法堂の天井に描かれた「双龍図」は迫力ありましたが、2002年の作と聞いてありがたみのレベルが下がるという「古いモノほどイイ」という感覚にも、いけない認識であると戒めを…… ちょっと、すれてきたのかなぁ? いや、目が肥えてきたと思うことにします。(フォローではないですが、この「双龍図」は一見の価値があると思います)
 意図的に襖を外しているのかも知れませんが、屋内の空間の広さがとても印象的でした。その印象の良さをわたし的に言うと「人が少なかったから」だと思います。
 四条付近の散策に疲れたら「ホッと」一息つける場所なので、是非一度。
 禅道場もあるようです。

2007/02/24

時代の波と戦う「西の陣」

2007.02.24
 西陣界隈(Map)—京都府



 本日歩いたのは、東は堀川通、西は千本通、南は丸太町通、北は今出川通に囲まれた界隈です。碁盤の目のように仕切られた町を「あみだくじ」のように、行きつ戻りつ歩き回っておりました。
 自分としては、カメラを抱え狭い路地をキョロキョロ、ウロウロするのが楽しくて仕方ないのですが、近所の人には「怪しい人物」に映るかも知れないと思うと、妙な動作をしているような気がしてきてしまいます。
 これでは余計に怪しまれると感じたのは、ビラ配りのおじさんと違う場所で4回も遭遇してしまったからでしょう。
 西陣界隈も、前述の四方の大通り周辺から再開発がすすんでおり、いずれ高い建物の城壁に囲まれた町になってしまいそうな印象があります。
 中心街に近い南側が特に、新しい町並みに置き換わっているようです。
 その内側では町家の特徴である、狭い間口と奥行きのある空き地が散見されます。そんな空き地3軒分くらいの土地に、通りから各戸の玄関に面した袋小路を引き込み、道を囲んで3階建ての家がコの字型に肩を並べたような、小規模な再開発区画が目につきました。
 そんな路地に日が差す時間は限られています。その暗い袋小路で、子どもたちがボール遊びをしている姿に「こんな暗くて狭い場所で遊んでて楽しいのだろうか?」と首をかしげてしまいました。
 その暗さには、自然光の取り込みに腐心していた町家の暗さとは意味が違う、ビジョンの乏しさを感じてしまい、少々ショックを受けました。
 古いものは残さねばならない、とばかりは思いませんが、金銭的な感覚だけの「土地の有効活用?」には疑問を感じました。
 「西の陣」(地名の由来:応仁の乱の西軍陣地)として戦うべきではないか、と思いました。相手にはきっと「東の都」も含まれるのでしょうし、お金を崇拝する社会が相手かも知れません。
 守れなくなった文化は、もはや文化ではなく、過去の遺物でしかない、などと考えてしまっていいのだろうか……
 守るためにはお金がいる。持ち主は、それ以前にお金がいるから売りに出す。庶民の家程度の建物には、自治体は手をさしのべてくれない、という現実。しかし、近ごろの世間はその大切さを理解しているのではないだろうか、と思えるのです。
 文化とは、一人で出来るものでもなければ、財力を持つ有力者がお金を掛けても実現できるものではない、ということを。地域を構成する個人個人が、助け合いながら生活を共にすることで、はぐくまれていくものであることを。
 そして、物質的には十分豊かになった社会で、富ではない豊かさを感じられることが身近にあることに、気付きはじめているのではないか、と思えるのです。
 手を差しのべること、協力すること。そんな表現が高圧的で嫌いなら「行動すること」。
 世の中はその意味に気付きはじめていると思うのは、楽観的に過ぎるだろうか……