2007/01/27

くすんだ鏡

2007.01.27
 地蔵院(竹の寺)—京都府

 人けのない門脇の小屋におばあさんがひっそりと、でもしっかりと拝観の受付をしていて「ここだけでも一つの空間を作り上げている」(松尾大社の受付けのじいさんは、グッスリ寝ておった)と、期待が高まります。
 独り占めという絶好の条件だからでしょう、方丈の畳にペッタリ座り込み庭を眺め「雑念が消え、世間から切り離されたと思えるこの空間で、日々のうつろいと四季を感じるだけの生活をしたならば、どれほどの時間を過ごせるだろうか?」などと思いをめぐらせることができました。
 「おぉ、もうこんな時間か」と、年老いてどうにも鈍い動きで手洗いに立つ自分の姿を想像しておりました。
 玄関脇にとてもくすんだ姿見があり、ぼんやりとしか見えない自分の姿を見て「鏡にはこういう演出もできるのか」と、瞑想からの帰り道をうながされた気がしました。

2007/01/21

笑顔になろう!

2007.01.20
 愛宕(おたぎ)念仏寺—京都府


 京都一の荒れ寺の復興に、参拝者の彫った石像を奉納することで実現させたという、まさに寺院本来の活動で復興されたお寺だそうです。
 それは足を踏み入れた瞬間、心なごまされたなら説明は不要でしょう。
 手彫りの石像が今や1,200体。どれもが個性的で、子を抱く母親、ギターを抱えていたり、ウォークマンを聴く姿など、思わず笑顔にさせられるものばかりです。
 ここでは、上手、下手は関係ありません。気持ちが込められていて、それがどう伝わってくるか。伝わってきた気持ちをどう受け止めるか、そんな制作者とのコミュニケーションを楽しんでいいのだと思います。
 自分が笑顔であることに気付き、それがまたうれしくなります。
 楽しい気持ちで門から出てこられるお寺って、そうそうないですよ。
 ここは是非!

無人の写真が撮れた!

2007.01.13
 嵐山(竹林)—京都府


 お決まりですが、やはりいい雰囲気を醸し出しており好きなところです。
 でも、竹林なんぞは日本のどこにあってもおかしくはないと思うのですが、竹寺として有名な鎌倉の報国寺も、素晴らしい空間であっても広がりがなく、物足りなさを感じてしまいます。
 竹林を維持管理するならば他に有効活用を、そんな理由で消えていったのでしょうか?
 竹を利用する文化、竹をめでる習慣が息づいていて、以前の武蔵野でも行われていた、雑木林(里山)を手入れしながら間伐材を生活に使うという文化が残されているとしたら、脱帽です。
 確かに土産物店には、竹の加工品が並んでいます……

2007/01/14

ねねのおかげで

2006.12.30
 高台寺—京都府


 お決まりの構図、八坂の塔です。高台寺からの遠景なので、まだ訪問してません。
 秀吉の没後ねねが開き、秀吉を奉った寺だと知りこの質素さに納得しました。また、その足元にねねが奉られた寺があり、その間を結ぶ道が「ねねの道」として整備されていることからも、彼女が庶民に慕われた人であったことが偲ばれます。そこも今や観光のメインストリートとなっていますが、これも納得でしょう。
 いよいよこの先が…… まだ、心の準備(清水の舞台から…)ができていないので、またの機会にします。

2007/01/04

美しさと、豊かさの施しとは?

2006.12.23
 南禅寺—京都府


 禅宗、臨済宗南禅寺派の総本山と聞いてアレッと思いました。
 お寺なのに何で金の襖絵なの?
 天皇とのゆかりがあり、後の徳川氏などが寄贈したのでしょう。
 その襖絵の飾られた部屋(小方丈)などの素晴らしさに感銘を受けたのですが、禅寺の総本山ってそれでいいのだろうか? と。
 そこが京都の変なところ。
 天皇や政治の中枢にいた貴族たちが寺に入り、そこから指揮を執っていた「院政」という政治手法は学校で習いましたよね。そして、寺や有力貴族が抱えていた「荘園」という独占的収入源があったことも……
 だから財力=影響力もあり、後の権力者たちからの庇護も受けられたのではないかと思います。

人の心は世につれ

2006.12.23
 永観堂—京都府


 入った途端に座り込んでしまいました。
 「落ち着くなあ、この場所」。いや、体力が衰えただけ?
 銀閣寺からの流れとして「禅寺らしくていいなあ」と思いきや、浄土宗ですって。(別に詳しいわけではありません)
 何と言っても「千仏洞」の「合掌童子」の絵に心躍りました。チャーミングな童の仏様のカラフルな絵が、お堂いっぱいに飾られているではありませんか。
 時代に媚びすぎと言う無かれ。人の心は時と共に移り変わるもの。わたしは、作者の思いが伝わってくる心安らぐひとときを過ごせました。
 開祖は空海さんの教え子だそうですが、師匠も文句言わないでしょう。

周囲の気配が消える場所

2006.12.16
 銀閣寺—京都府

 ここは「わび」「さび」の発祥の地なのだそうです。
 足利一族の奉られている等持院と同じ禅寺だそうです。
 そんな予備知識を持たずに入りましたが、飾りっ気もなく実に落ち着ける空間なので、お堂の縁側にペッタリと座り込んでしまいました。
 人は多いのに、何でこんなに落ち着くのだろう。
 きっと、この空間の設計思想とわたしの落ち着ける空間に求める「空気」が一致したのだと思います。
 それが多くの人に共感を与え、「わび」「さび」と称されているとしても、わたしにとっては「落ち着ける空間」の一つでいいのでは、と思っています。

遊戯への道

2006.12.10
 白峯神社—京都府


 ここでは、蹴鞠保存会の練習・奉納が行われるそうです。
 そんな縁で、Jリーグのパープルサンガからの奉納品が飾ってありましたが、残留・降格争いってどうなったんでしたっけ?
 広場で蹴り合う主力選手たちとは離れ、神社の白壁に向かって黙々とリフティング(?)の練習をしている若い女性の姿が印象に残っています。
 写真は撮れませんでしたが……

京都の秋は、日本の中心

2006.12.02
 詩仙堂—京都府


 枯れかけの紅葉しか撮れませんでした。
 秋の京都は俗世界です。
 繁華街は常にそうですが、寺社を中心にした紅葉の名所や散策路に押し寄せる人の波で、電車、バス、道路、歩道が人に埋め尽くされてしまいます。
 人が集まる所ではモノが売られます。それも、サービスではなく数を売るための商売になってしまいます。お客さんたちも「せっかく来た京都」なのに……
 もう来年の秋は近寄らないことにします。
 それにしても、人は群れるとどうして声が大きくなるのでしょう?

拝観拒否

2006.10.28
 大徳寺—京都府


 京都散策も2ヶ月が経ち、少し歩く様も落ち着いてきたかなという頃、『天使の卵』という京都を舞台にした映画を観ました。
 撮影場所を特定できる場面が出るたびに「行った、行った」と思えるようになったのが、自分としてとてもうれしく感じました。
「ここで(この)写真を撮った!」と、心踊りました。
 大徳寺の境内はいくつもの寺が集まったとても広いお寺の長屋的な一角です。
 その中に「拝観拒否」の看板を掲げている寺もあり、中心である大徳寺も中に入れませんが、柵の外から大勢のお務めの声を眺めるという寺院です。(ベンチもない)
 そんな潔さにも接してみるべきかと思います。

天皇は祈り、将軍は悩む

2006.10.21
 御室仁和寺等持院—京都府


 仁和寺も修学旅行で印象の良かったところです。
 人が多いのに落ち着けるって何でだろうと、座り込んで観察しました。
 それはきっと境内の広さにあるようです。
 修学旅行の群れが見えているのに、そんな奇声がこちらまで届きません。
 間にある木々や、風のながれで遮られているようです。
 この時の印象は、小説などで見かける「ふと目を向けたその先に、遠巻きながら二人が言い争っている様子がうかがえた」とは、こんな感じか。
 そんな空間的ゆとりを考慮した設計となったのも、昔は御所であったと考えれば納得できます。


 ここ等持院は足利氏の菩提寺で、思わず「テレビで見た」とつぶやいてしまった、足利一族の「木像」が奉られているところです。
 質素で落ち着きがあるのは金閣を造った反省からでしょうか。
 入口正面の「だるま絵」も、どちらかというと困り顔に見えるところが好きです。
 禅宗の開祖である達磨大師を描いた絵は、天龍寺にもあります。
 足利時代の日本が禅宗と出会ったことが、今日までの日本の宗教観の方向性を、ある意味で決めたのではないか? と思ったりするようになってきました。
 日本全体の定義づけは無理でも、ここ京都の素地にはなっているのではないだろうか。

おいでやす < おおきに!

2006.10.14
 金閣寺龍安寺—京都府

 前回(修学旅行時)訪れた時は結構汚れていた印象があるので「きれいにお色直ししてもらって、まぶしいぜ!」と驚きました。
 でもよく見ると、奇妙な建築物としか見えず「金箔を貼った『ハウルの動く城』じゃないか」(虚勢だけを張って、足元が頼りない張りぼて)と思えてなりませんでした。
 人出もさすがにすごい「京都きってのゴージャス・スター」には失礼ですが、わたしはもう「ごちそうさま」です。







 石庭と言えば龍安寺の評判通り素敵です。異論ありません。
 ですが、この人の多さでは瞑想もできません。そこで雑念を振り払うのだ、と言われたら反論もございません……


 どうもこの日の写真には気合いが感じられない、と思いませんか?
 人込みに疲れ、とりあえずシャッターを押したと、自分でも感じました。

宇宙の窓

2006.10.09
 源光庵—京都府


 ここは是非行ってみてもらいたいところです。
 何の予備知識もなく訪れた者の目には、とても奇異な光景がありました。
 見学者たちがみな講堂の畳に座り、同じ方向を静かに眺めているのです。
 古いですが『未知との遭遇』の光の源(宇宙船)を見ている人々の姿を思い出し、少しギョッとしました。
 視線の先にあるのがこの「悟りの窓」(左)と「迷いの窓」(右)です。
 何を思うのか? こればかりは、行ってみないと答えは見つかりません。
 わたしはこの場の空気が好きですし、この窓の前でしかできない瞑想もあると思いますが、「あの奇妙な光景」の中に入りたいとは思えませんでした。

水と暮らす=街 。

2006.09.30
 上賀茂神社—京都府


 京都になぜ人が集まり、栄えたのか?
 その答えのひとつが「水を管理できた事」だと思われます。
 上賀茂、下鴨神社の生い立ちは違うみたいですが、ともに「水」を見事に配した構図を作り出しています。
 水の流れは「気の流れ道」、「龍神(水の神)の通り道」、邪気を流してくれる道であり、命の源の流れでもあります。
 その流れを守る神様には、感謝の気持ちを忘れるわけにはいきません。
 おそらく、そんな積み重ねで「水」を中心に町も信仰も広がり、定着していったのではないでしょうか。
 これは管理したおかげか否か勉強不足で不明ですが、この日に行った深泥池の植物群が天然記念物に指定されるほど貴重なまま残されてきたというのも驚きです。

思い出は国宝より?

2006.09.23
 高山寺(高雄)—京都府


 30年ぶりです。(中学の修学旅行以来)
 この夏、中学3年生のクラス同窓会があったのですが、これも30年ぶりでした。
 今や校長先生となられた当時担任の先生が「このクラスはコース選択で高雄へ行ったんだっけ? いい選択だったと思うなあ」の裏付けとでも言うのか、仲間内でも「すごく印象に残ってる」の声を多く聞きました。
 事実わたしも再訪時には「そうそう、鳥獣戯画の模写の幅の狭い絵巻が広げてあって、この縁側からの眺めがすごく良かった印象がある」と、昔の感想を再確認しました。
 中学生の感受性を甘く見てはいけませんね。あの頃良く聴いたカーペンターズは今でも好きですから……
 当時は「石水院」「鳥獣戯画」が国宝(当時国宝であったかは不明)であることよりも「教科書で見た!」くらいにしか思えなかったと思います。でも、今は「国宝の縁側を20分も独り占めできた!」と、自慢げに話しています。
 30年の積み重ねから得られた進歩って、たったそれだけ?
 再訪できたのは当時の印象のおかげです。でも、再訪したのは自分の意志です。自ら来られるようになった、くらいは評価して欲しいなぁ……

恋に敗れずとも、

2006.09.16
 三千院—京都府

 前週訪れた比叡山からの眺めの中、山中にひっそりとたたずむ集落が「大原」だと知り是非行ってみたいと、次の休みに足を運びました。
 それまで「きょ〜と〜、お〜はら三千院♪」の観光地という印象しか無かったのですが入ってみると、「日本的自然観」(宇宙観とでも言うのか)にとても好感を覚えました。
 人々が暮らし落ち着きを持てる空間から、苦難からの解放を願う祈りの空間を経て、自然と大地と共にあるべきと山に対峙させてくれる境内。
 そんな祈りを実現させたいという思いで、この寺院が守られてきたのであろうと共感しました。
 その具体例は、大原の山里を寂光院まで歩いてみれば分かると思います。
 田園と集落のあちらこちらから「サラサラ」(チョロチョロ?)という水の流れる音が絶えません。
 田園の水音は実りを、集落の水音は人の生活を意味すると思います。
 その「流れ」がきちんと整備されているこの里は、健康体=活気がある里だと思います。
 比叡山から見下ろせばほんの小さな山里ですが、そんな魅力的な集落です。
 歩いてみないと分からないし「きょ〜と〜、お〜はら三千院♪」を口ずさむ気持ちも変わるかも知れません。(古すぎ?)